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轟英明さんのインドネシア・レビュー、第10回 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』の深みにハマる ~ 執筆者の一人キム・ユジンさんインタビュー(後半)

2018.08.20 12:55

 前回は大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』の前書きと概要を簡単に紹介しました。今回も執筆者の一人であるキム・ユジンさんへのインタビューを続けたいと思います。ユジンさんは第10章「インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟」、またコラム15「ステージからモスクへ?」を担当されました。  


478頁の厚くてアツい本、『東南アジアのポピュラーカルチャー』


 23年前の出版ながら今読んでも面白い『インドネシアのポピュラーカルチャー』


 (前回から続く)


 - 大きな傾向として、東南アジアのポピュラーカルチャーが以前のような「伝統」と「近代」の二項対立から最近は脱却しつつある印象を論文集全体から受けました。インドネシアの地域専門家であるユジンさんは、ポピュラーカルチャーを分析研究する際にそうした二項対立的な観点を重視されますか?


 これも重視するとも言えますし、重視しないとも言えます。そろそろメルマガ読者の方にさすがに「白黒ハッキリせんかい」と怒られそうですが(笑)。


 まず大前提として、私自身はそうした価値判断を一切せず、全て現地の方々の価値観に委ねています。例えば、「伝統」と「近代」の対立が有効であった時代というのは確かにありました。少なくとも70年代までは強くあったでしょう。


 一つ象徴的な事例を挙げます。美術界におけるバンドゥン派対ジョグジャ派の論争です。西洋近代至上主義者のバンドゥン派の美術家に対してジョグジャ派は「西洋の奴隷」と批判し、バンドゥン派はジョグジャ派に対して「伝統的」というレッテル貼りを行い、民族性を否定しました。このような対立軸は現在有効ではなくとも、一般社会の中でバンドゥンの人々が「バンドゥンはモダンでありジョグジャは伝統的だ」という語りは今でも見聞きします。対立軸は鮮明ではなくとも、見え隠れしており、完全に無視はできないです。


 - ユジンさんは以前の論文で、政治のアウトサイダーである建築家リドワン・カミルが「創造経済」や「創造性」を有権者にアピールする新しいタイプの首長としてバンドゥン市民から支持される文化的土壌を論じてました。先日リドワン・カミルは西ジャワ州知事選挙で勝利しましたが、論文を発表された昨年の時点でこの結果を予想されてましたか?


参考 ; 東南アジア研究55巻1号掲載の論文

https://kyoto-seas.org/wp-content/uploads/2017/07/550103_Kim.pdf

「創造都市」の創造 ―― バンドンにおける若者の文化実践とアウトサイダーの台頭――[Invention of “Creative City”: Youth Cultural Practices and the Rise of an Outsider in Bandung]


正直、どうでもよかったです(笑)。リドワンが勝とうが負けようが。ただ、1年前の世論調査ですでにリドワンの支持率はダントツだったので、勝つだろうとは何となく思っていました。しかし、ジャカルタ前州知事アホックが宗教侮辱罪で告発され選挙で敗北、裁判でも有罪になった事件があったので、選挙はどうなるかわからんなあとも思いました。とはいえ、あの投稿論文を書いたあと、自分の興味関心に正直に向き合った結果、面白くない選挙分析からは一切手を引きましたので、今回の西ジャワ州知事選は全くフォローしていません(笑)。


 - えっ、それは予想外の展開(笑)。私としてはカン・エミル(リドワンの愛称)が支持層の多いバンドゥン以外でどれだけ人気があるのか、やや懐疑的でしたが、地域ごとの候補別得票率を比較してみると、やはり濃淡はあるようです。彼が「創造経済」を政策の軸として、保守的な農村部と日系自動車関連企業をはじめとする工業地帯が混在する西ジャワ州行政をどう切り盛りしていくか、注視したいと思います。

前述の論文に関連して質問を続けます。バンドゥンがインドネシアにおいてもっとも創造性の高い都市であること、或いは創造経済を盛り上げる文化的土壌があることに異論はないのですが、一方でバンドゥンは80年代以降勃興したダッワ・カンプス(大学におけるイスラーム宣教復興運動)の中心地でもあり、西ジャワ州全体で言えば、イスラーム主義団体や政党が政治的にも無視できない勢力を誇ります。先日の州知事選挙結果も、見方によっては現在のジョコウィ政権に満足していない層が多数を占めたとの解釈も可能です。  

創造経済とイスラーム主義の相性は良いのでしょうか、悪いのでしょうか?


 相性は抜群だと思います。特にイスラーム・ファッションの分野では、創造経済庁がサポートしている面もありますし。政治的にも、敬虔なムスリムアピールが有効でしょう。実際、西ジャワ州知事選挙予想で、一時期どの候補者よりも下馬評が高かったのは、バンドゥンの説教師アア・ギムでした(出馬はしてない)。

 ただし、2013年バンドン市長選挙に限って言えば、りドワン・カミルがイスラーム主義政党の支持を取り付けたことに対して、創造経済を盛り上げてきた主要人物たちが、次々と拒否を表明したことも事実です。「創造経済」と一口でいってもその下位部門は10分野以上ありますので、イスラーム的結び付きのある側面と薄い側面があります。

 個人的な最大の関心は、なぜバンドゥンでイスラーム運動と世俗的な音楽実践が同時代的かつ局地的に発展してきたのか、という問いです。これに対する答えは簡単ではありません。これを解く一つの鍵は、軍です。これは現在調査中・コツコツ執筆中ですので、ここで申し上げることはできません。


 - 軍、ですか。バンドゥンのもう一つの顔、オランダ植民地時代に起源をもつ軍事都市という側面は日本ではあまり論じられてないと思うので、いずれ調査結果を論文等の形で発表していただければ個人的には嬉しいです。

 ところで、論文集に収められたユジンさんの論考で一番印象深かったのは、スハルト体制崩壊以降に大きく飛躍したインディーズが近年インターネットの普及によって直面する二律背反的な状況、タバコ会社や国軍のサポートや庇護なしでは存続が難しい根本的なジレンマについて書かれた終章でした。アーティストの自主独立性と商業主義の関係は、あらゆる芸術における古くて新しい問題と考えますが、突破口はどこにあると予想しますか?  


 難しいですね(笑)。私の調査地であるバンドゥンでは、あくまで直感的な印象に過ぎませんが突破口はなさそうです。「隣の芝生は青い」だけかもしれませんが、ジャカルタやジョグジャの方がよっぽど「アツイ」気がします。これも印象論です(笑)。

 それはともかく、ジレンマをジレンマとして捉えなくなる時代が来るかもしれないですし、インドネシアの場合、若者人口も多く、安定的な経済成長も達成できているので長い目で見ればそこまで心配は必要ないかもしれません。所得水準が上がれば良いという問題ではないですが、生活面・インフラ面での下支えはなくてはならないでしょう。豊かな文化資本は自主独立性を再生産します。

 直接の関係はないですが、現在、K-POP人気がローカル音楽を凌駕する調査結果があります。K-POP人気にどれだけ持続性があるかはわかりませんが、面白いですね。

 ひょっとしたら、突破口はイスラームかもしれません。つまり宗教ソングです。あらゆるジャンルは栄枯盛衰を繰り返しますが、インドネシア音楽史を俯瞰した場合、最も長らく享受されている音楽にジャズ(ほぼ100年間)が挙げられますが、その次におそらく宗教ソングがあります。しかも、それが社会のイスラーム化を背景に大衆的人気をこれまでの勢いに増して獲得しつつある。音楽がイスラーム化することは音楽産業の持続的発展にある程度寄与する可能性があります。ただ一点、条件付きです。音楽を「ハラム(禁忌)」として拒否する説教師や、音楽そのものを否定する元音楽関係者が影響力を持つことがない限り、です。これは最悪のパターンです。


 - ポピュラー音楽と宗教、特にイスラームとの関係はこれまで以上に注視していく必要があるのかもしれませんね。 

 では最後に、一番好きな歌手あるいはバンド、曲名を教えてください。


INPRESの『INPRES I/V/80 — Eloi! Lama Sabactani!』(1980年)です。


https://www.youtube.com/watch?v=0VVk5KJoRFc


 - 長時間のインタビュー、ありがとうございました!


 <参考文献> 福岡まどか・福岡正太編著 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイテンディティ・国家・グローバル化』 スタイルノート 2018年3月26日発行

 松野明久編著 『インドネシアのポピュラーカルチャー』 めこん 1995年12月1日発行