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PER TE

屋形船貸切イベントから気づきの反芻…コソコソ話

2023.09.06 10:11

ある日、飲んでいる席で…

「屋形船やらないんですかー?わたし乗ってなくて乗りたかったんですよね。やってくださいーー⭐️」

っていうお声があって。その時8月でした。

そこは、靖国のすぐそばでした。。そんなことある?!なんて思ったりして…



2015年に秋本尊子さんから夏らしいことしたいです、の声から、

【屋形船貸し切ってみちゃう?】

で、初めてFacebookでイベントページ作ったりして、20名集まらなかったら実現できなかった会が、

皆様のお陰様で毎年、毎年、と続き…

5年後、

2020年、コロナ禍のため中止にせざるを得ませんでした。

2019年の時点で、

「来年はできないかも…」

なんて口走っていたことが現実となってしまったのです。


毎年乗せていただいていた船清さんも大変な状況を乗り越えられ、

いつかまたできるといいなぁ…

でもきっとまた尊子さんが乗れる時かな…

なんて思ってました(^^)

尊子さんは今2歳のお子様の子育てに向き合われており、ご一緒は難しいだろうなぁ…という思いがわたしの中にありました。


やって欲しい、のお声は他にもなかったわけではないのですが、、

わたし1人で行うのはちょっとハードル高そう…って。。期間が空いたのもあり弱気になっていたのもあります。


いつもは2ヶ月以上前にお船を仮予約します(^^)

コロナ前の時代といえば、夏の屋形船なんて、とんでもない人気でした✨

春の桜シーズンなんて来年でもとれないくらい。。

1ヶ月前じゃ空いてないかも。

と思いきや、なんと、空いてました(//∇//)

これはやるやつだね‼️と思ったわけです(^^)


最低保障人数が変わっており、今回は30名❗️


いやぁ、毎年開催してましたので、、

4年ぶりとはいえもうそんなに乗りたい人いないでしょー、って思って(・・;)


お声かけくださった3名にご協力いただいたところ、結果的に42名も集まったんですね⭐️

船の確認をしたら、狭すぎます💦減らせませんか?

😵えー、それはもう無理😵

というくらい。。。


その後さらに大きなお船にキャンセルが入ったとご連絡いただき、

なんと40名保障でお願いすることになりました。


そんなわけで当日には41名に。。

どうしても1名はキャンセルとなりました。

(こちらはご参加の方がくださった写真(^^)


18:00前には、きちんとみなさまお集まりくださりご案内。


さぁ、お船に、、、

なんて言って案内してます…

この時実は、お船に遠隔ヒーリングを行いました(^^)

無事航海できますよう⭐️

みなさまの魂が輝きますよう⭐️

といった感じで。。

いろんな方々が乗ります。

気持ち悪がられるといけませんので、コソコソと。。


今年は2月から臼井甕男先生に導かれて急ピッチでアレコレ現実が進み過ぎましたので、ここはお船にも、なんて(^^)

(実は帰りには船清さん全体にしてます(笑)


そして気付けば、お船は牛若丸‼️

牛若丸といえば。。。


清和源氏の流れを汲む河内源氏の源義朝の九男。その幼名です。

母、常盤御前は九条院の雑仕女で

父は、平治元年(1159年)の平治の乱で

謀反人となり敗死となりました。


その係累の難を避けるため、

数え年2歳の牛若丸は母の腕に抱かれ

2人の同母兄・今若と乙若と共に逃亡し

大和国(奈良県)へ逃れます。

《なんだか安徳天皇ともエピソードが被ります》


その後、常盤は都に戻り、今若と乙若は出家して僧として生きることになりました。

後に常盤は公家の一条長成に再嫁し、牛若丸は11歳の時に鞍馬寺の覚日和尚へ預けられ、稚児名を遮那王(しゃなおう)と名乗ることに。。


やがて遮那王は僧になることを拒否して鞍馬寺を出奔し、

承安4年(1174年)3月3日桃の節句(上巳)に鏡の宿に泊まって自らの手で元服を行い

《ここ、桃の節句のタイミングっていうのも、彼の女性性を思わせます》


奥州藤原氏宗主で鎮守府将軍の藤原秀衡を頼って平泉に。

秀衡の舅で政治顧問であった藤原基成は、一条長成の従兄弟の子で、その伝をたどった可能性が高いと言われています。


『平治物語』では近江国蒲生郡鏡の宿で元服したとし、

『義経記』では父義朝の最期の地でもある尾張国にて元服し、源氏ゆかりの通字である「義」の字と、初代経基王の「経」の字を以って実名を義経としたとあります。


(一部Wikipediaより)



というわけで、ここには鞍馬山が出てくるのです。。

鞍馬山は、臼井甕男先生が修行された場所で、その修行の先に、命を失くしてもいいと思うところから、開眼され、サナトクマラのエネルギーを得た、という説があります。


そして源平の統合。。

この件は2018年から紡がれておりまして、山口県へと足を運び、その後熊野神社へと繋がっています。。

この件、まだまだ続いているということなんですね?!とか。


この時ふと思ってしまったんです…


導きは、臼井甕男先生だとずっと感じてきましたが、サナトクマラも?!かもしれない。。

そして40名という人数。。

わたしが臼井霊氣ヒーリングのセルフヒーリングでは、臼井霊氣よりもキリストとの方が親和性が高いと感じていたため、40日間のセルフヒーリングを選びました。


そのヒーリングの間に臼井霊氣100年祭への参加がありました。


何故40日を選んだかって…

キリストは40日間砂漠を断食で彷徨ったと言われており、そこが覚醒までの必要な期間であり、悪魔との闘いもそこにはあったと聖書にありました(^^)

大学で聖書を翻訳する講義をとても真剣に取り組んでいたことがあります。

その後、PER TE のロゴもキリスト教信者ではありませんが、十字架を描いていたり、と。

縁深いものを勝手に感じているのです…


今回のあれこれも偶然とは思えません。。。


船内ではこの日、ある小さなトラブルが発生、その際にもすぐにヒーリングを行いました。

動揺しなかったわけではありませんが、落ち着けていました。

その後、その件は無事解決(^^)

というか、特別措置に感謝です。。

さらには、その采配に感謝します。。。


船内では今回1席空いていたのですよね…

それにも意味があると感じています。

お座りになられたのは、臼井甕男先生かサナトクマラか…


次の日はテンション上がりすぎたか…(^◇^;)

熱を出し寝込むという。。

一応、コロナではありませんでした。

この日は遠隔ヒーリング予定日(^^)

なんとありがたいことでしょう、

朝はちゃんと起きて、6:30〜気持ちよく送ることができました。


臼井霊氣遠隔ヒーリングの良いところは、わたしの状態が関係ないこと。

そもそもは、全宇宙エネルギーをわたしはパイプとなり送るだけです。

お会いして、となると頭痛が問題であったり、わたしの状態がかなり重要になります。


しかし臼井霊氣の遠隔ヒーリングは、

宇宙エネルギーをわたしの状態は関係ないのです✨

そんなことを改めて感じられるよい機会でした(^^)


そしてこの日の予定は、

前日に連絡があった親戚の容態の件で、会いに行ってヒーリングを行う予定でした。

しかし体調不良で行けず😭

旦那さんとお義母さんのみ向かいました。

そこに、悲しいことと、罪悪感を感じながらも…

気持ちだけでも行こう、と、ここもまた遠隔ヒーリングを。。


ここでも…遠隔ヒーリングの良さを感じるわです。

会いたかった…悲しくもあり、申し訳なくもありましたが、行けるタイミングにまた行く事は必ずあるとして、今できることに集中できるのです💫


そしてさらにある思いが湧き上がりました。


臼井霊氣ヒーリングの実践者たちは、

互いに遠隔ヒーリングを送り合う仲間意識があります(^^)

特に体調が悪い場合や、その家族が体調不良の場合もです。


わたしも可能となった今は、

本人に伝えなくてもお友達の子供や家族に

送ることがよくあります(^^)

頼まれなくても。


しかしわたしの希望は、と言えば。。

わたしには遠隔ヒーリングを送らないでもらいたい、という気持ち。

わたしはもともと万が一何かの病気になった場合、とんでもなく辛くない限り病院に行くことはありません。

かつて1度、入院が必要でもそれを選ぶことはありませんでした。


今後もおそらくは、それらのわたしに起きることを受け入れて生きる、

限られた時間を過ごす選択になると思います。


なにもしなくていいのです、自然で。


このことは、土居裕先生のセミナーで、先生もまた仰られていました。

先生の場合は80歳だからだよ、そのように仰る方々がいるかもしれません

しかしわたし、先生からその言葉を聞いた時にものすごくしっくりきてしまったんです⭐️

あぁ、ほんと、そうですよね、っていう感じで、同じことを思ってる人いるんだ、みたいな感じでした。


生きることを諦めてるとか、

生きる努力をしないとか、

そのようにお叱りを受けるかもしれませんが

わたしの中では歳は関係なくて、

今のわたしはその気持ちに間違いは少しもないのです。

家族にももちろんその話は時々していて

理解されなくても構わないのです。

ごめんなさい🙏でもこれがわたしなんです。。

みたいな。。。


病気、痛み、辛さ、は…

湧き上がる時、それはわたしの内なる声です。

その声を聴き、そのそばにいて、その命を大切に。。そのように生きたいのです


病と向き合うクライエントさんたちが

本当に辛いとき…

「何故こんなことがわたしにだけ起きるのだ」

「何故わたしがこんな目に逢うんだ」

「これまでのいったい何がいけなかったんだ」

「これまでの努力の結果がこれなのか」

そのようにおっしゃられます…


お気持ちはよくわかります…

しかしその時にはそう言っても「わかるわけないだろ」そう思われるかもしれません。


しかしその時、そのタイミングには、

何故、を探すことがやることではありません

今そのように現れた内なる声のひとつひとつ

そのままそのそばにいることです

このことを伝えることは、どれだけ辛いでしょう…

いや、ご本人より辛いなんてことはありません。。

しかし、その時の辛さを…理解できないと思われているものがいくら何を言ったところで、全てうわべの慰めになってしまうもの。。


それができないのがわたしでして

うわべの慰めが必要なら、わたしに相談はされないと思うのです。。


今必要なことは、

今起きている身体の声を聴こうとすること


ここには信頼があります


この先もおそらくはかわらぬ思い

そしてわたしもまたそのように自分に対して思います。


かつて、命の危険がありますと伝えられたその時にも

親に心の中で謝りながら…

「いい人生でした」

「生き残ろうと努力しない娘を…育て方を間違えたとは、どうか言わないでください。とてもよく育てられました。。わたしには最もしっくりくる考えがあります。ここで終えるのであれば、それがわたしの魂の約束なのです」


こんな人間です…


その時、命終えることはありませんでしたが

この考えに最も腹墜ちしてしまったタイミングでした。


今後伝授の際には霊氣実践者たちに伝えなくてはなりません(笑)

送らないでもらいたいことを(^^)


話がだいぶズレてしまいましたが…

屋形船貸切イベント、遊びなのに。。

なんかまた別の意味も感じてしまう今回の開催。


そういえば鞍馬山で牛若丸と弁慶の話にもなり、源義経の義経社にも行ったんですよね。。

その時感じたのは、平重盛のような、繊細さのエネルギーでした。

あの当時からすると、少し生きにくかったかもしれない義経のエネルギー。。

世を思い、自ら山を降りて、義経となった…

根底にあるのは重盛と義経の同じ思いのような気がしました。


そうそう、かつて、赤間神宮にて、平家のお墓に手を合わせた際…

統合を願うと言われました。

そして神宮を出る時、真っ赤なトンボが大量に舞っていたんです。。あまりにも季節外れと台風の中。


その時と似ていてここ数日は赤いトンボによく付き纏われていました…

今回はシーズンでもありますから特に気にしてはいなかったのですが、昨年重盛に会いに行きました。そして今年、義経社。。


繋ぐことができたということでしょうか。。


同じように感じるそのエネルギーを感じさせてもらえたこと

改めて感謝します。

そしてそして、必要であればまだ続きは紡がれていきます。


安徳天皇は船から身を投げて身を沈められました…

牛若丸という名の船で、

多くの方々が笑い、歌ってくれました。

とてもとても美しい夕陽だった今回の屋形船

信じられない光景を見たような。。。



祈りは届いたのでしょうか。。。



屋形船にご参加くださったみなさま、

開催にご協力いただいたみなさま、

特別措置を多くしてくださった船清さま、

改めて、ありがとうございました✨


今回ご一緒できなかったみなさまも

お気持ちはご一緒だったのではないかと思います。

お気持ちがあり、予定が合わなかったみなさまも。。

次回があればまたご一緒できれば嬉しいです✨