RIVALS EYE【第六節:演劇ユニット衝空観】
RIVALS EYEとは
ライバル達が熱いホンネをぶつけ合う
30リーグ参加団体による公式戦の観戦リポートです
今回は第六節『遊撃!浪漫派FAMILIAR×[フキョウワ]』を
演劇ユニット衝空観がレポート
はたしてライバルはこの試合をどう観たのか?
【演劇ユニット衝空観レポート】
8/29 火曜日のゲキジョウ 第2回30リーグ 第6節 感想
お久しぶりです。
演劇ユニット衝空観の銭山です。
暑い日が続いておりますが皆様体調崩さずお元気にお過ごしでしょうか。
私は先日、熱中症でぶっ倒れかけました。
日付にして8/29のことです。
…ええ。ちょうど30リーグ第6節の日ですね。
ここからは言い訳です。このあとに続く感想に対する言い訳です。
そんなつもりはなかったんです。熱中症になる予定なんて無かったんです。でもなってしまいました。
あの、凄いんですねあれ。何故なブワッと汗が出てくるんですよ急に。で、え??なんぞ?とか思ってる間に唇とか指先が痺れ始めて意識がフワフワしだすんですよ。あ、まずいと思った時にはもう時すでに遅しと言うやつでして。
それゆえ本当に申し訳ございません。意識半分飛びかけながら観劇しました…。見落としとか聞き落としとかあるかもです。幻聴とか幻見たとかも…。
しっかり作ったものに対して、ちゃんと観れなくて向き合えなくて本当にすみません。今後体調管理をしっかりさせていただきます。
あの、ええとつまり、もしかしたら全然関係ないこととかつらつらと綴ってしまう可能性がありますがご了承いただけたら幸いです…。
一応ね、他の人と感想会して情報補填してますんで今回はそんな感想になると思います。良かったらゆるりとお楽しみください。
よろしくお願いいたします。
前置き終わり。
先攻団体 遊劇!浪漫派FAMILIAR「FAMILIAR AGAIN」
個人的にFAMILIARさんはコメディテイストのパワーゴリゴリ演劇集団だと思ってました。
第2節でご一緒した時のイメージで。今回はそのパワー感が少なく感じた。
多分それが良い、と思う方も居たと思いますが、僕個人としてはもう少し客席にエネルギーが飛んできても良いかなと思いました。
でも何でしょう。当パンには、FAMILIARらしくないと書いておりましたが、FAMILIARさんらしいなと思いました。作風?多分そういう根本の強みはあるんだろうなと思うたり。
そして前作と比較してばかりで申し訳ないのですが。。。
前作は設定を上手く使ったシチュエーションの面白さがあった気がするのですが、今回は設定があまり上手く活用されてなかった気がしました。
単純に幽霊と会話出来る人が通訳するというノッキングが起こってた気がする。情報があまり有効的じゃなく二重で届く感じ。あと通訳しなくても合間に入ってくる登場人物には聞こえないセリフが登場人物同様僕にも入ってこなかったり。これは概ね僕のせい。
遺品整理をして感情を整理していくという構図はとても面白かった。
僕は結構物を捨てられない体質?性格?わかんないですが。あまり言うのも何ですが、元カノからもらった物とか使わないくせに置いてたりするんです。
やっぱりそういう物には魂のようななにか、明確には自分自身の勝手な思い出だったり、当時の気持ちなんかが入ってしまってる気がします。自分勝手にね。そんでもって勝手に捨てられなくなってるだけで。
そんなもんが無情にも溜まっていくんです。
でも捨ててみてもそんな思い出とか記憶なんてものは案外消えないんです。
消えないから安心して捨ててください。なんて簡単な話ではないけれど、そこに縛り付けられるのであれば捨てる選択肢なんてものもある。大丈夫、何もなくなることはない。そんなお話だったのではないかなと僕は思います。多分書き手の意図とは違うんだろうな。(ここまできて当パンを読んだ)
そこに直結する家族の関係性。
どうだろう。あまりこう言うこと書くと良くないのかな。でもまあ、いいか。
あくまで自論です。血の繋がりにはそこまで便利な作用はないと思ってます。むしろマイナスにも働くことだって大いにある。
今回の設定が(間違えてたらごめんなさい)虐待してるクズ父親のところに娘を置いて逃げた母親と娘の再生の物語だと思うんですが。
正直な感想、え?許せる?その状況むしろ会わなかった時間で切っても切り離せない血の繋がり故にどんどん憎しみを溜めるくない?となりました。ひねくれてるのかな俺が。
あと手紙、出してて里親の方が隠してたりして渡らなかった、だったらアプローチかけてるから理解しあえるかなと思ったりしましたが、出せなかったは、私はずっとこう思ってましたよ?って後から言うのと同じぐらいの効力なのでは?なんて思ってしまいました。うんまあこれは多分僕がひねくれてるだけ。
それをゴリっと血の繋がりで無理やり解決してしまったように見えてしまったのが何とも言えない気持ちになった。
いやそう言う状況でも解決できる程、血の繋がりには力があるんです、と言うのもわかるのですが、そんな奇跡の物語にするには駆け足で積立やら情報やらが足りなかったように感じました。多分ランタイムとかそう言うのに追われたのかな…。機会があればそんな制約が無い状況で見てみたいなと思いました。
それでも書きたいこととか作演出の根底にあるもの感じれたそんな尊い時間でした。ええと、まる。
後攻団体 [フキョウワ]「echo“anger”;」
強い打撃をくらったような演劇だった。
なんて書いていいのか正直わからない。ここまで感想提出が遅れているのは間違いなくこの作品のせいです。(褒め言葉です)
何とか書き始めよう。ええとまず、タイトルから紐解いていくか…。
こだまする“怒り”;(Google調べ)
““これに挟むと皮肉的な意味合いが出るそうで。誰かに向けた怒りは何かにぶつかって反響して回り回って遠回しに自分に届く。というニュアンスなのかな。それが;によって近しい人たちに繋げられていく。というニュアンスなのか?作品と掛け合わせるとそんな感じなのかなと僕は思うてます。
ショート動画の様に短い2人から3人での掛け合いのシーンが連続する。その合間に謎の羊人間がその人たちを踊らせる。
全く関係のない知らない人たちのそれぞれのシーン。それが交わらないギリギリのラインで絶妙に繋がっている。こういう距離感の作り方が毎度本当に面白いなと思います。
画面の向こうのショート動画。炎上したものもあれば面白くて拡散されたものあったり共感や批判を集めたり色々あるのですが、何となく僕の感覚としては画面の向こうの関係ない世界線でのエンターテイメントのような感覚でそれを見てる気がします。関係ないから楽しめる。娯楽に昇華できる。でも実際は違う世界線ではなくて同じ世界の出来事で。気付かないだけで案外自分の近くの出来事だったりしてます。他人事じゃないんだ。なんてことを考えてしまった距離感でした。意図したものかはわからないけど。
自分で決めたことのはずなのにいつしかそれがわからなくなってしまって、踊っているのか踊らされているのかわからなくなってしまう。他人に何を言われても最終決めるのは自分ですから。
でも踊らされていると認識してる方が楽だったり。だって責任ないですもん。
無責任に流されるようにあくまでも自分の意思じゃないんだと主張する方が楽なんだろうなとか思うたり。
そうして最後殴り殺される羊人間。踊らせる側の人間。作演出。ここの演出には何かしらあるんじゃないか。とメンバーに話したらスケープゴートというワードが出てきた。いやまああれはヤギなんだけど。
誰が悪いとかの話じゃないと思うんですが。誰かを悪者に仕立て上げて僕は悪くないと主張する。そんな自己防衛がどこかしら存在してたようにも思えます。そうして最後、これは僕らはやらされてただけです。自らの意思ではありません。悪いのは全てこの羊でした。と、物語の中から飛び出した、2.5次元から飛び出てきた3次元の話にも見えたような気がします。
何だこりゃうまくまとまらんもんですね。どうにかもう一度見たい作品であったことに間違いはありませんでした。凄く濃ゆい時間を過ごさせていただきました。ええと、まる。
今回は本当にただの自論だったり主観での解釈だったり感想です。
多分わけわからんこと言うてると思いますがそんな感じです。
楽しかったです。ありがとうございました。
長文乱文失礼しました。
最後まで読んでくれてありがとう。
またね。
演劇ユニット衝空観 銭山 伊織