8月20日 北秋田市阿仁→大館市比内(82km)
今日も晴れ。ソーラー充電が期待できる空模様だ。道の駅を囲む山々には、秋田杉がいわし雲を突き刺すように、ひしめきあって生えている。その間にモワモワっと混じるのは広葉樹だ。一面の深緑が目にやさしい。
8kmほど山奥に入り、「マタギ資料館」を訪ねる。
ガイドブックには、「マタギの湯に隣接」と書かれていたが、実際には「またぎの湯」という温泉施設内にある、資料館というより資料室と呼んだ方が相応わしい、小ぶりな展示スペースであった。
マタギは狩猟を生業とする集団だが、全ての狩猟者をそう呼ぶのではなく、「北海道・東北・甲信越などに主に分布する『マタギ郷』に生まれ育ち、古来からの方法で狩猟を行う集団」をマタギと呼称している。
マタギいうと「熊撃ち」のイメージが強いが、それはニホンカモシカやニホンザルが保護動物になり、捕獲しなくなったことによる。
マタギという集団は、今ではほとんど見られなくなったが、ここ阿仁地区は「マタギの本家」とされていた地区であり、現在でもその伝統を継承する人たちがいる。
展示物は、マタギが用いる刃物や鉄砲、毛皮で作られた衣服をはじめ、マタギの歴史に関する言い伝えや、江戸時代の藩閥政府下で国(藩)を跨いで活動することもあったマタギについての解説資料など。
自然と闘い、その恵みを享受する彼らは、山の神に対する敬意を表すために、狩に際しては独特の儀礼を行い、山の中では下界の言葉は口にせず、アイヌ語との共通性が指摘される「マタギ言葉」というものを用いるという。
また、山の神を信仰するマタギは、お守りとしてオコゼの人形(干物のようなもの)を携帯するのだが、それは山の神が醜い女性で非常に嫉妬深く、オコゼを見ると「自分より醜いものがあるのか」と安心するからだという。さらに猟に出掛ける前は、水で身体を清め、女性の匂いを消したという。
そんなマタギの中には、戊辰戦争の際に秋田藩の要請を受け、新政府側の義勇軍として参加し、火縄銃を手に幕府軍と戦った者もいたそうだ。
小さな展示室だが、日頃馴染みのないマタギの世界を感じる、良い施設であった。
敷地内には、「マタギ小屋」もある。
「マタギ小屋には、あらかじめ米や薪を運んでおき、冬になると小屋をベースにクマ狩りを行っていた」という。
「山小屋みたい」と昔を懐かしみ、はしゃぐ Y。
資料館見学ついでに「マタギの湯」へ。赤い紙片のような鉄分が浮いている温泉らしい温泉。午前中とあって、ほとんど貸し切り状態。ゆったりと浸かり、長湯する。
その後、阿仁マタギの発生の地とされる、桃源郷のような集落があるというので行ってみることに。
この小さなトンネルを越えると阿仁根子集落へと行けるのだが、横幅のサイズがギリギリ。無理は出来ないので諦めることにする。
真っ暗なトンネルを抜けると桃源郷のような世界が広がっているのか……。
次回は、是非、軽自動車で来て潜り抜けてみたい。
さて、昼時となったので、地元の商店街を探し、スーパーで食料の調達を。店内のテレビでは高校野球が放映中。地元秋田の金足農高が準決勝で日大三高と戦い、接戦の上 ちょうど制したところ。レジの女店員さんが歓声を上げて興奮していたので、こちらまで嬉しくなる。
スーパーの駐車場は狭いので、迷惑にならないよう早々に退散し、近くの阿仁合駅の駐車場に車を停めさせてもらって、昼食をとる。
「しあわせのえき」と書かれた三角屋根の可愛らしい駅舎の隣には、2階建アパートのような秋田内陸縦貫鉄道の本社があり、その向かいには地元の応援を受け第三セクターとして存続をはかる、同社の歴史を紹介する施設があった。
小上がりにはマタギ関連の展示スペースがあり、熊の毛皮が座敷用に敷かれていて「休憩、撮影OK」とあったので、熊には申し訳ないが、上に乗って記念撮影をした。
ついでにKも。クマさんに乗って空を飛んでいるような気分。
また、阿仁には、かつて日本一といわれた鉱山があり、マタギは兼業して働いていたという。
そこからは1時間半ほど走って、比内鶏で有名な大館市比内の道の駅「ひない」へ。ここは、駐車スペースが建物を取り囲むように、15台、8台、30台、20台という感じでバラバラに設置されているという珍しい作り。夜間トイレへの出入りがしやすい場所を考慮に入れ駐車スペースを確保。今夜は、 ここに宿泊させて頂く。(KY)