最後の言葉
最後の言葉
Dear Beloved
2005年10月7日 新橋ヤクルトホールにて(試写会)
(2005年:日本:113分:監督 高橋雄弥)
現在19歳の歌手、川嶋あいのドキュメンタリー映画。
とにかく最初の一時間は、いきなり「全く知らない女の子の独白の連続」で、身内のビデオ(知らない人の結婚式とか、知らない人の子供の学芸会とか運動会)をスクリーンで見せられているような感じで????だったのです。
えんえんと知らない若い子が、自分のことを話している・・・それに全く共感ができず、このまま歌手誕生苦労話だったら、テレビの一時間番組でもいいような映像に内容かなぁ~と思いました。
舞台挨拶に出てきた川嶋あいさんといい、映画の中のあいさんといい、本当にごく普通の街にいる19歳の女の子で、特に面白いことを話すわけでもありません。
お母さんが歌手になることを熱望していた・・・というステージママのちょっと過剰な親ばか?とさえ思ったのです。
3,4歳のまだ何もわからない子供に派手な衣装を着せて、ステージで歌わせて、娘の自慢ばかりしている親のエゴイズムをみせつけられているようで。
所が、一時間すぎたあたりから「なんですと!」と「本当かな、これ?」と思うくらいびっくりしたのです。
ファンの方や、原作の本を読まれた方はこのことを知っているのでしょうが、歌すら知らない私はびっくり仰天です。
見終わった後は、「恐るべき19歳!」と唸ってしまったのでした。
やはりドキュメンタリーになるような19歳は普通ではありません。
歌手をめざして福岡から東京に出てきて、半年後にはメジャーデビューもして、曲もヒットするけれど、1000回の路上ライブをするという目的の方を優先させる川嶋あいさんですが、その時々で顔つきや表情が別人のようになって、精神状態がそのままフィルムに焼き付けられているようです。
メジャーといっても、本名は出さずに、路上ライブは川嶋あいという名前で全国を回りますが、地方に行くと閑散としている方が多いです。
反面、ホールツアーなどもする、というメジャーとマイナーを同時にこなした十代の女の子。
そして母の娘への思い入れというのが、納得するような、びっくりするような。この母の印象、インパクトが絶大になって、何故、前半で川嶋あいさんが、ある意味、もう19歳なのに「お母さん、お母さん」と連呼するのかわかるような気もします。
それでいて前半と後半がぱっくり割れてしまっているかといえば、淡々とした語り口は変わらないのです。前半と全く変わらないから凄いと思うようになります。
ひとりの人をそれなりに知るには、ある程度辛抱して話を聞かないとダメなんです。その辛抱が出来るかどうかの試金石みたいなものかも。
ドキュメンタリー映画ですから、特に凝った映像も、綺麗な映像もないし、むしろスタッフが撮り貯めてきたものの集大成なのですが、ドキュメンタリー映画の面白さというのは、知らなかった世界を見せられてびっくりするという事かなぁと思います。
ただ、監督、カメラ、編集が入る時点で、ドキュメンタリーとはいえ、作られたもの、ですから、どう真実を伝えるか、どういう方法をとるか、という選択肢はあったと思います。例えば、脚色してドラマ化するとか。
しかし、あえて地味で、淡々としたドキュメンタリーという方法をとったのが、別に売れたならしなくてもいい路上ライブを続けた、楽な道を選ばない頑固な職人みたいな川嶋あいという人の性格が、迫ってくる結果となりました。
そして、最初の一時間の辛抱があったからこその後半の驚きと納得であり、また、ラストが前半にまたつながるような・・・もう一回、前半を観たら見方が変わるだろう、と思わせる密かな技に気づくのです。