TAKESHIS'
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2005年10月20日 有楽町国際フォーラムにて(試写会)
(2005年:日本:107分:監督 北野武)
北野武の映画を始めて観たのは『この男凶暴につき』か、『ソナチネ』か『3-4x10月』か・・・忘れてしまったのですが、コメディアン、ビートたけしと映画監督、北野武、 この躁と鬱があまりにはっきりしているのにびっくりしました。
キタノ・ブルーと呼ばれる海の色など、映像の美しさもあるのですが、私はずっと「鬱」の空気を感じていました。
鬱だから青という色が引き立つのだと。
この映画は、ビートたけしと北野武の躁鬱の映画だと思います。
何もはしゃいでいる、または沈んでいる・・・という明確な描写は出てこないのですが、「死にたいのに死ねない人」という・・・どんなに撃たれても本当は誰も死んでいない、という映画の虚の世界の躁と、俳優をめざすものの全く芽が出ないさえない男の現実の鬱を、1人2役、そして共演者達も2役以上出す、ということで、人間の二面性をあれこれつないで見せるのです。
北野武の映画というのは、大人はすべて死に向かうのですが、この映画では、その死ぬことすらできない、という現実が映画の中の非現実とクロスして、境目がなくなる、というものですね。
監督が「自分の作りたいものを自由に作っていい」といわれるとこういう「分裂した自分」というものが出てくるような気がします。
黒澤明もフェリーニもウディ・アレンも、自分の二面性を出してます。
この映画はあまり突拍子もないファンタジックさは出していませんし、辛辣、皮肉な視線もない。
むしろ銃を撃つシーンはリアル、しかし、人は死なない。
どんなに撃たれても自然に生きているし、動き出すし、しゃべり出す。
かなり構成を凝って、編集しているのですが、北野武の映画を知らない人が観たらどう思うのか・・・騙されたと思うのか・・・
騙されるのなら手品を見ているように丸ごと騙されて、下手に裏のトリックのネタを知らない方が良いような気がします。
へぇ~不思議だなぁって。それだけではダメで、説明と納得が必要ですか?
私は手品のトリックばらしのような不粋な事はしたくないですね、この映画では。