誰のための検査?
医療は誰のためにあるのでしょうか。
今、環境破壊が進み、生物がどんどん少なくなっています。
台風や水害を防ぐために、川や海を人工的に整備したことによって、生態系が乱され、絶滅危惧種が増えています。
人の手によって、生物の命がどんどん失われています。
医療も同じようなことが起こっています。
偏った考え方が強まり、それによって医療を受けたい人が受けられない、希望する人が受けにくい現状にあります。
何が言いたいかというと、
「結局、私たちは自分勝手」だと言うことです。
新型出生前診断においても、選択的中絶を促す検査だとか、障がい者差別の検査だと批判されています。
この批判の裏には、こうした検査を希望する妊婦さんや夫婦に対する差別や
望まない妊娠をした女性の差別が隠れています。
自分たちの主張を強めれば、その裏で圧力をかけられる人が生まれてしまいます。
こうして、私たちは過ちを繰り返してしまい、必要不可欠である環境整備や医療の進歩がスムーズに行かなくなります。
そこで、いつも思うのは
医療は誰のためにあるのか?
ということです。
医療は、「それを望む方が、制約なく受けられること」ではないでしょうか?
新型出生前診断で、選択的中絶を増やさない、安易な中絶を防ぐために、受検者を35歳以上に設定することは、
本当に中絶を減らせるのでしょうか?
おそらく、治療や検査に対してそれを希望する人が、正しい説明を受け、インフォームドコンセントの考えのもと自由に選択して、それを受ける。
これが、不要な中絶を防ぐことになると思うのです。
この一連の流れが、上手くいかないことが、安易な中絶を増やすのであって、年齢を意図的に制限することは、中絶を増やさないことにはならないと思うのです。
新型出生前診断は、妊婦さんの血液を採取して、検査をすることでお腹の子どもの情報を知ることができる、リスクのない検査です。
リスクのない検査であるのに、間違った倫理観や偏った考え方で希望する人たちが受けられない。
これが、本当の医療格差だと思うのです。
受けたい人が受けられる、そして正しい説明の元、正しい選択ができるように整備するのが、
人間という生態を維持するためには必要不可欠だと思うのです。