150秒前
150秒前
150 Seconds Ago
2005年9月21日 長岡リリックホールにて(第10回長岡アジア映画祭)
(2002年:インド:112分:監督 パトゥール・ムティアール)
私は結構、ドキュメンタリー映画が好きです。
普段、知らない世界が垣間見られてビックリすることが多いのですが、一口にドキュメンタリーといっても色々なアプローチがある訳です。
あるイベントや人間(または人間達)を追うものが比較的多いのですが、このドキュメンタリーは異色と言っていいかもしれません。
2001年1月、インドのグジャラート大地震、150秒間の地震で、たった150秒で都市が壊滅してしまった。
この映画はその惨状から復興という流れが全くないのです。
女性監督とその夫のカメラマン、2人が1年間かけて追ったこの大地震。確かに地震の被害の大きさは映すけれども、時間軸がばらばらです。地震から一ヶ月後かと思うと2日後、一年後、半年後・・・とシーンがかわるごとに経過時間が違う。場所も色々な場所がランダム(?)に綴られています。いつまでも混沌は続いているかのようです。
そしてある人を追うのではなく、とにかく歩き回って道行く人々、次々と話を聞いて回るのです。
だから何度か出てくる人や家族はいるけれども、ほとんどは「通りすがりの人の色々な考えや気持ち」の混沌。
本当に色々な事を色々な人が言うのです。「地震はアラーの神のなさったこと」「アラーの神が怒った天罰」「何もない、何も出来ない」「政府なはなにもしてくれない」「無駄なものをいかに多く持っていたかよくわかった」「スラム街は保護の対象からはずす」「なるようになる」「もう、死んでしまいたい」「カメラなんかで撮影しているなら何かして欲しい」・・・・まぁ、本当にたくさんの人の意見をカメラは拾って行く。
そしてインドに住むドイツ人女性の言葉で「地震の復興には組織力が必要。しかし、インドには組織力というものはない」
地震の後の混沌の解決は、いわゆる私達の考える復興・・・もとに戻るということ、ではないのでないか・・・と思わざるを得ないのです。
また、データでは○万○千人が被災・・・となっているけれど、実際はもう死体はどんどん焚火で火葬していってしまう所などからして本当の被災者の数はもっともっと多いのだろうと思います。どうやって被災者の数を調べたのか?わからないですね。
地震の混沌とインドの混沌、そして人が生き延びようとしている時に、動物特に、牛たちは何故かの~んびり街をうろうろしている。
わいわいあれこれやっている背景に何故か牛がの~んびり、ぼよ~んとしている妙な微笑ましさがあります。食料がない、こんな時にも絶対に牛を殺して・・・なんて考えないのですねぇ。また、各国のボランティアの活動が出てきますが、チベットから来たボランティアはもろに仏教精神からボランティアをしていて、イスラム教、ヒンドゥ教の人たちとの交流・・・不思議な風景も出てきます。
インドって広いですから、インドだから、インド人っていうのは・・って一言では言えないのですが、日本も地震の多い国・・・それでもあまりの違いの数々にやっぱりビックリするのでした。
混沌はいつまでたっても混沌であって、それはインド人の混沌をも垣間見せてくれるような・・・映画を見終わると「混沌・・・」という耐えない自然災害の前にたちすくむ人間の小ささをしみじみ感じてしまうのでした。