愛をつづる詩(うた)
愛をつづる詩(うた)
Yes
2005年927日 神保町一ツ橋ホールにて(試写会)
(2004年:イギリス=アメリカ:100分:監督 サリー・ポッター)
この原題・・・Yes・・・さてそれを意味するのは何でしょう。
イギリス映画につきものの上流階級と下層階級の差、白人とアラブ人という人種の差、それぞれの価値観の違い。
そこに横たわるのはどうしても、拒絶・・・つまりNoなんです。
イギリスに住むお金持ちの夫婦。子供はいないし、もう家庭内別居状態。
それを説明するのが、その家のハウスメイド(シャーリー・ヘンダーソン)
上流階級にとって下層階級の雇い人は、家族などではないただの「見えない存在」。家を綺麗にするだけの人。しかしそんなハウスメイドだから家の中の細かい塵ひとつをとっても熟知しているのだ・・・私たちは「妖精」なのだ・・・とメイドはカメラに向かってつぶやきます。
シャーリー・ヘンダーソンの声が、ちょっと子供じみていて独特の声なのですが、本当に妖精のように見える。
そんな妖精の声は、雇い主に届くはずもなく、妻である「彼女」は、あるパーティでアラブ人の男性「彼」と出逢い、2人はどんどん惹かれ合っていく。
彼女と彼の会話は韻を踏んだ詩の朗読のようですが、やはり、彼の中では、捨ててきた故郷への思いと、どうしても越えられない人種の壁にぶつかる。白人で金持ちで科学者という「何もかも一流」の彼女にはそれが理解出来ない。
しかし彼女自身もアイルランド出身で、暴動を経験している、という過去があり彼の言い分もわからないではないのですが、そんな2人の隙間はどうしても埋まらない。
どんなに惹かれ合っても基本的な部分でNOがあると、最初は良くても結局は上手くいかない・・・むしろ映画は表面的にはYesでも根本の部分はNOである、を描いています。
しかし、それがどうしたらYesになるのか・・・男女2人の関係を通して、今現在もなくなることのない、人種や階級の差にYesが生じるのか、という問題提起をしているように思います。
彼女の夫がサム・ニール。職業は出てこないけれどパーティに出かけ、家の事はすべてメイドがやっているという金持ち。
しかし、朝食を台所のテーブルで一人で食べていたり、ハードロックに一人身を任せていたり・・・という「ひとり」の姿がなんとも寂しい。
そんな姿をいつも見ているのが、メイド。何も言わないけれど、何もかもわかっている密かなつぶやきをカメラに向かってまた、つぶやく。
その言葉がまた寂しい。そして最後にメイドが見せる涙。
詩のような装飾にあふれた言葉の基本にあるのは、シンプルなYesとNoであるって事実を見つめているサリー・ポッター監督の視線がとても冷静です。