ドア・イン・ザ・フロア
ドア・イン・ザ・フロア
The Door in the Floor
2005年9月28日 有楽町よみうりホールにて(試写会)
(2004年:アメリカ:112分:監督 トッド・ウィリアムズ)
悲しくて、寂しくて、優しくて、傷ついていて、繊細な人たち・・・そんな人たちが集まっている家族というもの。
ジョン・アーヴィングの原作は、家族が必ずといっていいほど、クローズアップされています。
しかし、表面的、優等生的、美談的な家族愛・・・ではなく、何かしらの外からの暴力・・・戦争、事故などで、ざっくりえぐられたようなぎこちない家族の姿を透明感とユーモアでもって描きます。
過去映画化されたものが、監督は違ってもこの透明感というものがあったのは原作の力だと思います。
めぐまれているのに虚ろな表情しか出せない妻、マリアン(キム・ベイシンガー)、作家で奔放なようでも解決できないひとりの世界を持っている夫、テッド(ジェフ・ブリッジズ)、幼いながらも本能的にそんな両親の溝を感じて、事故で死んだ兄たちの写真に固執するひとり娘、ルース(エル・ファニング)・・・そこへ作家志望の高校生、エディ(ジョン・フォスター)が一夏の間、テッドの元でいわゆる書生をする・・・という一夏の物語。
大きな屋敷がありながら、街のアパートを借りて別居している夫婦。そんな夫婦の間に入ってきた十代の男の子。
風景はとことん綺麗で、人々は表向きは穏やかだったり、知的だったりするものの、皆がどこかに棘を持っている。
そんな人間関係の棘を見つめ、棘にささっていくのが、作者、ジョン・アーヴィングの自伝的要素であるエディ。
エディはマリアンに惹かれてしまうけれど、マリアンはほとんど自分の事、悩み、愚痴を話さない。どんなに近くにいても、遠い存在のような年上の大人の女性。
声がとても綺麗なキム・ベイシンガー。目尻の皺を隠さなくなった女優は大したものだと思いますが、まさにキム・ベイシンガーは、目尻の皺に深い悲しみをいつも宿しています。
音楽が、美しいロングアイランドの風景や繊細な人々を邪魔することなく美しい、悲しい旋律を奏でているのも見事。
ただただ、皆がうつろに悲しんでいるのか・・・というとそんな事はなく、悲劇と喜劇の家族ドラマでもあります。
原作は『未亡人の一年』ですが、この映画のタイトルになったのは、作家のテッドが書いた絵本のタイトル。
決して、床にあるドアをあけて入ってはいけない・・・・そんな大人向けの比喩的な絵本。
口で言う言葉の裏に隠れている本当の気持ち・・・そんな心の声を台詞でなく映像で見せてくれる映画。
だから、目で見えるものしかわからない、人の心の問題を安直に考え、映画だから娯楽、ハッピーで楽しくなくちゃと思っている人は、たとえこの映画が、「アメリカ映画」であっても観ない方がいい。何がいいのか、わからないでしょう。無理して、またはアメリカ映画だから・・・で観た所で「わからない」深さがあるからです。この映画はそうそう甘くはないのです。
私はこの映画の世界が大好きで本当に大切にしたいから。
大味なハリウッド映画はいやだよぅ~と思っている私ですが、こういう優れた人間ドラマのアメリカ映画は大好き。繊細で、可笑しくて、悲しくて、美しくて、心の襞の奥深くまで入りこんでいるような精神世界をきちんとわかって作っているということは国は関係なく個人的には好ましいことだと思います。