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ZIPANG-2 TOKIO 2020  ~神の国から石州半紙~ 「和紙の呼吸が聞こえるか」奈良時代から始まる1300年の歴史!ユネスコ無形文化遺産。

2018.08.24 14:55

このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
  


ユネスコ無形文化遺産「石州半紙」

ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産保護条約」の第2条において、「ユネスコ無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」と定義されています。


同条約においては、無形文化遺産の重要性についての意識を向上させるために、ユネスコ内に設置された無形文化遺産保護に関する政府間委員会によって、人類の無形文化遺産の代表的な一覧表を作成することとされている(第16条)とされ、一般には、この一覧表に掲載される無形文化遺産を、世界無形遺産や世界無形文化遺産といった俗称で呼ぶこともあります。


そのユネスコ無形文化遺産の保護に関する条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」76件の一つとして、2009年に「石州半紙」は記載されました。


また、2014年に「石州半紙」は「和紙:日本の手漉和紙技術」として再記載されました。


重要無形文化財

長い歴史を有し、それぞれの地域の風土、生活の中で育まれてきた伝統的工芸品は我が国固有の財産です。用と美を兼ね備えた生活用品として愛用され、手づりのぬくもりが感じられる伝統的工芸品は、近年のゆとりと豊かさ思考が高まる中で潤いを与えてくれる貴重な存在といえます。


伝統的工芸品とは

一般的な「工芸品」とは異なり伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき経済産業大臣が指定した工芸品を「伝統的工芸品」と言います。指定されるためには以下の条件を備えていることが必要とされます。


1.主として日常生活の中で使われているものであること。
2.主要部分が手作りであること。
3.伝統的な技術又は技法が守られていること。
4.伝統的に使用されてきた天然の原材料が用いられていること。
5.産地が形成されていること。


歴史とあゆみ


手すき紙(靱皮繊維の紙)は元興元年(105年)に中国の蔡倫が改良し確立されました。日本へは推古18年(610年)に曇徴により伝来されました。石州和紙(石州半紙)は島根県の西部(石見地方)の地域で漉かれています。



寛政10年(1798年)に発刊された国東治兵衛著書の「紙漉重宝記」によると「慶雲・和銅(704年〜715年)のころ柿本人麻呂が石見の国の守護で民に紙漉きを教えた」と記されており、約1300年もの間、石見(石州)地方では、手すき和紙が漉き続けられ守られてまいりました。


石州和紙(石州半紙)は原料に楮・三椏・雁皮の植物の靱皮繊維を使用し、補助材料としてネリに「トロロアオイ」の根の粘液を使い、竹簀や萱簀を桁にはさんで「流し漉き」により、つくられます。 生産の最も多い石州半紙(楮紙)は地元で栽培された良質の楮を使用して漉かれ、微細で強靭で光沢のある和紙であります。かっては大阪商人が石州半紙を帳簿に用い、火災のときいち早く井戸に投げ込んで保存を図ったものです。


このように先人たちから引き継がれた技術・技法を守ることにより石州半紙技術者会(指定時、会長久保田保一・会員10名)が製造しています「石州半紙」が昭和44年(1969年)国の重要無形文化財に指定を受けました。 また、重要無形文化財の「石州半紙」を代表とする石州和紙の技術・技法は、三隅町を中心に住む職人の手で一貫して保持されており、今後の総合的振興を図るために石州和紙協同組合を設立し、平成元年(1989年)に経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」にこの「石州和紙」が指定を受けました。


平成21年(2009年)、ユネスコ無形文化遺産の保護に関する条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に「石州半紙」が記載されました。 平成26年(2014年)、ユネスコ無形文化遺産の保護に関する条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に、「和紙:日本の手漉和紙技術」として『石州半紙』『本美濃紙』『細川紙』が記載されました。



和紙の種類


石州楮紙

楮の靱皮繊維の長さは平均10ミリ程度で長く、絡みやすい性質をもつ。でき上がった楮紙は強靭で、揉んだり、折ったりしても洋紙などとは比較にならないほど丈夫である。

石州三椏紙

三椏の靱皮繊維の長さは平均4ミリ程度である。強靭性ではやや劣るが、繊細で弾力性がある。でき上がった三椏紙は紙肌が柔軟で滑らかで温雅な光沢を持ち、書道用紙や印刷用紙等に適している。

石州雁皮紙

雁皮の靱皮繊維の長さは平均3ミリ程度で粘着力がある。でき上がった雁皮紙は半透明で光沢があり、最も繊細で湿った状態におかれても丈夫であり、虫の害に強い。


和紙の製品

紙・三椏紙・雁皮紙の一枚ものから、重要無形文化財の石州半紙をはじめ画仙紙、書画用紙、賞状用紙、染め紙、封筒、便箋、葉書、名刺、色紙、和帳、巻紙、その他多種多様の和紙と製品があります。

 

石州和紙ができるまで


石州和紙会館は、重要無形文化財の「石州半紙」・伝統的工芸品「石州和紙」の技術伝承を目的として、2008年10月開館しました。


浜田市三隅町古市場地区は昔ながらの伝統的技術・技法を今もなお、かたくなに守り続けている地域であり、日本全国の産地の中で海の見える紙漉きの里は石州だけです。


重要無形文化財の「石州半紙」を代表とする石州和紙の技術・技法は、三隅町を中心に住む職人の手で一貫して保持されてきましたが、この数年間で貴重な職人としての人材を失い、事業所は四軒となりました。


平成20年10月にオープンしました石州和紙会館の大きな役割は石州和紙の技術・技法を研修する施設として後継者育成を図ることです。且つ、日本の和紙の情報発信と国際交流の情報発信の場、会館オリジナル和紙の製造と商品開発を行うことです。


さらに、原料栽培を行っている楮生産者組合等との連携を強化し、地元産の良質の原料の確保を図ります。 和紙会館の工房内では石州和紙製造の全行程の体験などができ、展示室では石州半紙技術者会と石州和紙協同組合の和紙を一同に展示し、地域と密着した施設です。


工房紹介


川平 正男(かわひら まさお)

1941年生 工房:かわひら
石州半紙技術者会会員・石州和紙伝統工芸士

紙漉き40年、一枚の和紙を素材として生かし、アイデア、加工を施し新しい品物作りに励んでおります。
自然に易しく公害もない靱皮繊維を使用しての紙布や編み物は夏は涼しく、冬は暖かい商品です。
新しいものばかりを作り出すのではなく、昔からある良いものを再現させる人生を今後も歩み続けたいと思っております。

〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場683-3
TEL 0855-32-1166 FAX 0855-32-1166
kawahira@pub.herecall.jp


久保田 彰(くぼた あきら)

1950年生 工房:石州和紙久保田
石州半紙技術者会会員・石州和紙伝統工芸士

1974年より父、久保田保一を師に、手すき和紙製造を始める。
石見の風土を生かした特徴ある和紙を追い求め、先人たちが残してくれた石州半紙の技術・技法を守り続け現在の生活様式にマッチできる和紙を漉き続けたいと思っております。
そして、今後の石州の伝承者育成に人生を捧げます。

〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場957-4
TEL 0855-32-0353 FAX 0855-32-2473
kubota@sekishu.jp


西田 誠吉(にしだ せいぎ)

1955年生 工房:西田和紙工房
石州半紙技術者会会員・石州和紙伝統工芸士

1981年より家業の石州和紙製造に従事し、7代目を継承する。
地元の楮を使用し、原木から皮とり、白皮加工も一貫して自家で行い、和紙づくりを行っています。純粋な和紙造りを継承しております。
良い和紙は良い原料からを心に刻みながら、こつこつ黙々と紙漉きに取り組みたいと思っています。

〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場1548
TEL 0855-32-1141 FAX 0855-32-3463
nisida@pool.co.jp


西田 裕(にしだ ゆう)

1972年生 工房:西田製紙所
石州半紙技術者会会員・石州和紙伝統工芸士

1993年より叔母西田喜栄に師事し石州和紙製造に従事する。
原料作りから紙漉きまで、一枚の和紙に至るまでの一貫とした手作業を守りつづけています。
書画用紙を主体に日常生活を豊かに彩るお手伝いできる和紙作りに励み、和紙と触れ合うことでしか得られない特別なものを求め、追求していきます。

〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場1965-2
TEL 0855-32-0349 FAX 0855-32-0349
sekishukamiya@yahoo.co.jp


和紙に託す郷愁

昔、手漉き和紙の職人さんからこんなことを聞いたことがある。

一昔前の木造住宅で育った子供ならば、障子紙の一つや二つ破って叱られた記憶は誰にでもあるものだが、とりわけ「紙漉きの家に生まれた子供は幼い頃より家業を手伝いながら紙漉きとして育ってきた。紙漉きの子供は障子を破った時に和紙特有の繊維の絡み合う感触や粘りを肌で知り、和紙の知恵をつけていく」という・・・

ふと気づく…私たち現代人はこれら伝統的素材・能力をどれだけ今の生活に生かしているのだろうか?顧みればほんの昭和の半ばまで、茶の間と言えば日本家屋の中心部。普段着の触れ合いの場だった。

左官が受け持つ壁面は一面くらいで三方は障子と襖で囲われたプライバシー0に等しいのあの「茶の間」は何処へ消えたんだ〜‼その言葉さえ絶えて久しい。いつも綿入れの半纏着て背中を丸めながらお茶を入れてくれたばあちゃんは茶の間の主人公だった。

学校から戻るなりランドセルを放り出して友達と表に駆け出していたガキの頃…「コラッ〜お行儀悪い〜片付けて行け!」背後から叱責が飛んでくる。でもばあちゃんはたまに、いたずらっぽく僕の眼を覗き込みながら「内緒だよ〜たった1個しかないからあっち行って食べろ」と、懐から饅頭を如何にも大事そうに取出して僕のポケットに捩じ込んだっけな…あの懐かしくもほのぼのとした安心感はもう、今は無い。

茶の間は真ん中にちゃぶ台があって、TVも角っこに据えられ、障子を開けると正面の鴨居の上には南向きに神棚があったり、何となく家族は思い思いに出たり入ったり…ご近所のオッチャンなんかも勝手に入ってきて親爺と碁を指していたり、食事時はバラバラでも誰かの気配を感じながら、腹ごしらえしたもんだった。冬は掘り炬燵になり、暖気を溜め込んだフッカフカのコタツ布団に潜り込むと先客の猫が居たりして…徹底して傍若無人の感覚。しかし、いつの間にか人を寄せ集める開放空間なのであった。

茶の間はじいちゃん、ばあちゃんの堂々たる居場所でもあった。確かに立ったり座ったり、面倒なことである。(でも、あれで足腰鍛えられたメリットもあったのに…)では、彼らは今何処に?そうか…ナウい隠居部屋か「離れ」にいるんだ。なる程ね。プライバシー尊重主義だから茶の間ではダサいのか〜?「離れ」ね〜?それって…体のいい隔離病棟じゃないの?

家族団らんは何処へ訪問しても今や「LDK」に代表される洋風椅子スタイルだ。でも何となく団欒の風景は殆どないに等しい。インテリアコーディネートされたお洒落な空間では、縮のシャツにステテコ姿なんて凡そ絵にならない。 しかし…個室を与えられた子供たちは銘々が指定席のように、そこへ閉じこもり親も遠慮勝ちとなる秘密基地と化した。 

故郷への郷愁とは決して個室空間での話ではない。家族の触れ合い、ご近所との交流で垣間見てきた日本人の心の優しさ、慈しみ、慮り(おもんばかり)の根幹を培ったのは、あの朧な光の漏れる開けっぴろげな茶の間ではなかったのか… いわば日本家屋の要めの役割を担っていたのであった。 


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

石州半紙技術者会・石州和紙協同組合
〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場957-4 電話番号 0855-32-0353

石州和紙会館 〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場589 Tel/Fax: (0855) 32-4170

文化庁〒100-8959東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号 03(5253)4111

経済産業省 〒100-8901 東京都千代田区霞が関1-3-1 代表電話 03-3501-1511 


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