俗と聖のシーソー
アルナーチャラの頂上で、
日本人に会った。
それが起きる可能性は、
ものすごーーーーーく低い。
そういうときに、
偶然と運命の絡み合いって、
すごいなーと感じる。
わたしが今までアルナーチャラに感じていたものを、
いちばん話せた。
深い体験は、
言葉だけでは説明できなくて。
その場で感じたものが共有できて、
はじめて少し分かり合える。
そんな気がする。
そんな流れで、
サドゥたちとの生活をしながら、
めちゃくちゃマジメに修行をしてた、
彼の部屋を引き継ぐことになり。
(わたし、ぜんぜんマジメじゃないのにいいのかな?と思いながら)
数日過ごし、戻ってきたところ。
なぜかいつも、
そこら辺に行き着いてしまう。
今回は観光っぽくライトだな!って、
途中までは思っていたのになー。
仕入れ?ってくらい布を買ったりしてたし、笑。
そんなわたしとは真逆で、
彼らの暮らしをひと言で表現するなら、
質素の極み。
俗世を捨てた意志を表す、
オレンジの衣を纏っている。
山にお家(ひと部屋くらいの)を持っていて、
アシュラムでご飯を作り食べて、
静かに暮らしている人たち。
よそ者には最初、
もちろん反応しないけど、
そのうちお互い馴染んでくるのが、
うれしい。
最初から外人にウェルカムなタイプは、
やっぱりお金への執着を感じる。
一概には言えないけど。
これは2年前。
このとき友だちになった彼らは、
山を降りてすぐの町に、
家も仕事も家庭もありつつ、
山で修行もする。
そういう人たちもいる。
このアルナーチャラという、
大きくはない山の各場所で、
さまざまな彩りが見えてくる。
場所によって、
エネルギーが違って、
暮らす人たちが違って、
生活が変わって、
生き方も違う。
距離にしたらとても近いし、
神さまを中心にしてる土地柄で、
そのベースは同じはずなのに、
こんなにも違う世界が広がっていることに、驚く。
場所というよりは、
一人の人で、
世界ができあがってたりもする。
尊敬したくなるタイプのサドゥは、
特にそんな感じがする。
周りの人たちと交流してるけれど、
根っこは孤高の人。
シーソーのように、
違う場へ行っては、
バランスを取り直し、
自分の中心点に戻っていく。
前はシンプルにぞっこんだったけど。
今は町のカオス的なエネルギーもいいなと思えて。
いろんな場に行き来することに、
だいぶ慣れてきたかも。
自分の嗅覚を信じて、
人との間に、
シーソーのような橋を渡し、
「絶対」を捨て去る。
あるのは、流動的なものだけ。
そして、
通り過ぎるだけなら、
表面しか見えないし、
大抵いいとこ取りできるけれど。
ちょっと覗きこむと、
どこへ行っても同じだな〜と思う。
いいことも悪いことも、
いい人も悪い人も、
美しいものも汚いものも、
安全も危険もある。
人と人とのあたたかな交わりがあり、
人同士が生み出すガサガサ感がある。
大都会でも、
聖地でも、
それは同じ。
わたしも含め、
ひとりの人の中にも、
さまざまな彩りがある。
矛盾こそが、
火打ち石のように、
火花を散らし、
火を灯す。
あたたかな食事を作ることも、
すべてを焼き尽くすこともできる、
力の源が、そこにある気がする。
帰ってきたゲストハウスは、
3階が屋上で、
そこにひと部屋だけあるのが、
わたしの部屋。
広〜いスペースをひとり占め♪
ラッキー!
そこを出て、
あの暮らしをしてた自分は、
やっぱり変態だなって思う。
そんな自分がやめられないけど。