六畳
風呂は大浴場、洗面台とて共用かまわぬも、せめて。他に選択肢なく、宿泊の希望欄に示された一万円に用意されし六畳間に集うは見知らぬ三人。どこでも結構、と余るねぐらや二段ベッドの上階。踏み外した際は保証せぬと下に告げ。そのへんが旅の魅力なれど、さすがに完走当日の一泊は狭くても個室、がいいよナ。
早朝より地元の銘酒「満寿泉」を注いだグラス片手に窓から眺む雄大な山々。談話室の書庫で見つけて手に取るは登山家、田部井淳子さんの著書「山の単語帳」。「ガレ場」なる一般には聞き慣れぬ語彙にも解説添えられ。砂利よりも大きな石や岩が散乱する斜面のこと。着地にバランス崩しやすく、特にトレイルにおける下り坂などは故障の原因にもなりやすく。
そう、下りの怖さはガレ場に限らず。ダウンヒルパット、つまりはグリーン上にてカップ上から転がすこと、を三指に入れるはサム・スニード。残り二つはカミナリと「その人」だそうで。兎に角、寡黙で無愛想というのが定評。ラウンド中も無言貫く中にあって発する一言やグリーン上。「君のボールのほうが遠い」。
かと思えば、世に知られた一流選手が彼に教えを請わんとするに、自らのクラブの製造メーカーに聞くべし、と答えた逸話は有名なれど、会得せし秘密というか奥義を隠すほど当人セコくなく。万人向けにゴルフ理論を体系立てた「モダン・ゴルフ」は上達者必読の書として。
多く読み、少なく書き、あとはゴルフに尽きる、との明言残すは、かつての英国宰相アーサー・バルフォア卿。理論以上にその人生こそ糧となるべき。ということで、レースへの往復の道中、携えるはボブ・トーマス著「ベン・ホーガンのゴルフ人生」。
当時の名選手にはキャディ上がり少なからず。当人もその一人。テキサスといえば牧場。蹄鉄工を営む家に生まれるも時代が味方せず、父親が自宅にて拳銃自殺。現場を目の当たりにした少年の衝撃やいかばかりか。路頭に迷う家族を救わんと幼き彼がキャディに職を求めんとするに立ちはだかるは不良連中。他の参入許しては自らの取り分が減ってしまう、との武力行使も後に退けぬ彼は覚悟を決めて。
球聖ボビー・ジョーンズとの邂逅にヒントを得てか、次々と栄冠を勝ち得ていく中にあって、またも彼を襲いし突然の悲劇。バスとの正面衝突に瀕死の重傷。歩行困難の状態から奇跡の復活を遂げる原動力や妻の献身的な愛とファンからの手紙。単なる出場のみならずメジャー大会まで制す破竹の勢い。そんな彼が最後に挑むはロサンゼルス・オープン。プレーオフに敗れる相手が前述のサム・スニード。
物語の終盤は晩年の回想。ゴルフがなければ今もテキサスの丘にて貧しい生活を送っていただろう。今の子供たちは恵まれすぎていてかわいそうだ。彼らは困難な境遇を乗り越えようとする気概がない、というよりも発揮する機会そのものがない。困難を克服せんともがく中にこそ人としての成長があって。そして、語られる真髄。
自らの目標との間に何人たりとも介入させてはならぬ。雑音に耳を貸すな、か。
(令和5年9月10日/2804回)