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幸せはゴール 成功はツール

2023.09.10 02:10

「幸せはゴール 成功はツール」


という格言めいた言葉をふと見つけて、備忘のために。


人生の目的はなんなのか?という問いには、シンプルに一言「幸せになることです」と誰もが考えている割に、みんな自分から「幸せ」という言葉を発しない人が多い。


「愛」とか、「幸せ」とか、日常で使うとなんか気持ち悪がられたり、洗脳でも受けたんじゃない?みたいな雰囲気になるケースが多いように思う。


「愛」とか「幸せ」ってのは、特別な日の、特別な儀式にしかでてこない言葉なのか??

という話。


たしかに、結婚式などで牧師さんに「アイスルコトヲチカイマスカ?」とか言われるし、「私、この人と幸せになります!!」みたいなことも言う。


で、普段の生活ではほぼ言わない。


「愛」や「幸せ」はそんなに大げさな言葉なのだろうか?って話です。

(まぁ日本人特有の照れみたいなのがあるのかも知れませんが。)


しかし、それって、あなたの解釈の問題でしょう?と言いたくもなる。


確かに、「愛」や「幸せ」という言葉を常日頃から発していない人には、少し壁や違和感を感じてしまう、馴染みのない、言い慣れないコトバなのかも知れない。


ただ、一方で、みんな愛に満たされた人間関係や、幸せを感じる瞬間を求めていることは確かなわけで、自分でそれを意識・認識しないことには、絶対にそうななれないのだとも思う。

その一番最初のアクションが「言葉に発すること」ではないかと思う。


内在された思考は、言語化され口から発することで、自分の耳に届き、脳に届く。


その時の、シチュエーション、誰とどこに居たか、流れていた音楽や、香り、様々なものとリンクしながら脳の記憶に残り、それが鮮明であればあるほど、実現に近くなる(はずである)。


簡単に幸せも愛も手には入らないかもしれないけれども、自分が常にそのように振る舞い、考え、自らでそう解釈することはできる。


相田みつを氏も「しあわせは いつも自分のこころがきめる」と、言っている。


物心ともの幸せとは言うけど、まず大事なのは、「幸せだなと感じられる心の状態」が先で、モノの幸せはその後なのではないかなと思う。


最近、実家に帰ると、帰り際に母親と「6秒ハグ」をすることにしている。


ハグをすると幸せホルモンのセロトニンが出るという。人は幸せを感じると健康にもなる。


私はいま、両親や家族とは離れて暮らしているので、人生の中で、家族で過ごせる残された時間はきっとそんなに多くない。

次に会えるという保証も、明日が必ずくるという保証も、ない。


だから、恥ずかしがってる場合でも、照れてる場合でもない。

やれることは、その時その時で必ずやる。そう決めている。