『ピアノ&ア・マイクロフォン 1983』リリース記念 リレー・インタビュー
プリンスにまつわるリレー・インタビュー、今回は25年間続くプリンスナイトの主宰であるプロデューサーのテリー植田氏にお話しをお聞きする。
■■■植田さんは25年間続くプリンスナイトの主宰をされていますが、このイベントはどのようなきっかけで始まったのですか?
植田:25年前に大阪北新地のBAR UNDERGROUNDで開催されていたプリンスナイトに最初はお客として参加していました。それ以来、BAR UNDERGROUNDに毎日のように通うようになり、店の箱DJになりDJ活動を始めました。25年前の22歳の頃です。いろんなアーティストが来店する有名店でした。シンディ・ローパー、マリリン・マンソン、スティービィー・サラス、スウェード、ジャミロクアイ、エイフェックス・ツインなどアーティストが来店している中でDJをやりました。その後、上京してからは自分で主宰して東京でプリンスナイトを開催するようになりました。
今はもうBAR UNDERGROUNDは潰れてしまいました。
■■■今までのプリンスナイトで象徴的な出来事や思い出があれば、教えてください。
植田:高円寺のCLUB DOLPHINでオールナイトでやっている時は、僕もお客さんらファンのみんなも20歳台で若かったので、朝5時に『NOW』を最後にかけてエンディングにしていました。100人以上で狭いフロアでジャンプして騒ぎすぎて大家さんに叱られた思い出がありますね。あとは、やっぱりプリンスが亡くなったニュースが駆け巡った時にCNNから僕に電話があって、追悼のプリンスナイトはやらないのですか?あるなら取材をしたいと話がありました。ニュースを知ってからひたすら泣いていたのですが、いつもプリンスナイトをやらせてもらっている新宿BE-WAVEにイベントスペースは明日空いているか確認してみたら、さっき決まってたイベントがキャンセルになったからぜひやって下さいと言われたのです。それもエントランスフィーを取らずエントランスフリーでやりましょうと。新宿BE-WAVEに入りきらないほどプリンスファンが来てくれました。こういう時こそファンで集まらないといけないなと強く思いました。ずっと泣きながら涙で見えない状態でDJやってました。今から思うとできて良かったなと思いますね。
■■■植田さんとプリンスの音楽との出会いはどのようなものだったのですか?
植田:中学1年生の時に同級生だった友人の家に行っていつもレコードやカセットテープを聴いていたんです。そこでジェームス・ブラウンやプリンスを聴いてとんでもない衝撃を受けました。プリンスの『リトル・レッド・コルベット』、ジェームス・ブラウンの『スーパー・バッド』を最初に聴いた時の衝撃的なカッコよさは今も覚えてます。1984年な友人たちで、大阪の南街劇場に映画『パープル・レイン』を観てからは毎日のように聴くようにのめり込んで、高校1年生ではアルバイトして貯めたお金で、サンスイのアンプ、テクニクスのターンテーブル、ダイアトーンのスピーカーをプリンスの音楽を爆音で聴くために買いました。アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムス』は発売日に買って部屋を真っ暗にして正座して聴きました。最後の『アドア』が終わったあの時の恍惚とした感覚になった自分をよく覚えてますね。
■■■9/21にリリースとなる『ピアノ&ア・マイクロフォン 1983』で期待していることがあれば教えてください。
植田:1983年 にもう『ストレインジ・リレイションシップ』が作られていたことに驚きました。リリースされるのはその後の1987年ですからね。ラブセクシーツアーでピアノでプレイしていたのを思い出します。大ブレイク直前のエネルギーをピアノプレイで静かに感じたいですね。
■■■今後、プリンスナイトの予定があれば、教えてください。初めて参加する人はどんな体験が期待できますか?
植田:9月18日(火)に東京カルチャーカルチャー(渋谷)でプリンスナイト ザ・トークセッション2が開催になります。
9月21日(金)には、新宿BE-WAVEで開催します。こちらはDJパーティです。
2フロアあり1階ラウンジは、まったりなプリンス。地下は爆音ダンスフロアになりますので両サイドのプリンスが楽しめます。初めての参加でも、きっとプリンス仲間ができるはずです。みんなプリンスファンですからね。
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