「善良な市民」は「凡庸な悪人」?
アルテイシアさんの本「ヘルジャパンを女が自由に楽しく生き延びる方法」の「ジェンダーしらなきゃヤバい時代がやってきた」という章を読書会で読んだ。痴漢、セクハラなどの性暴力の場にたまたま居合わせたときに、見て見ぬ振りをせず、声かけなどをして被害者を助ける「行動する傍観者」(Active Bystander)になる事が提案されていた。
傍観者が何も行動しなかった例として「2006年に日本の特急電車サンダーバード号内で女性が強姦された時、車両に40人もの乗客がいたが、だれも何もとしなかった。車掌や外部に通報することもしなかった」と言う事例が紹介されていた。
読みながら、確かにこういう事態に介入するのはけっこう勇気がいるよなと思った時に、サンダーバード号と対極のような事例を見たことを思い出した。6−7年前だったか、ロンドンから田舎の方に行く列車に乗っていた時の出来事だ。
発端は、途中から乗り込んできたカップルの男の人が連れの女の人を強い口調で、口汚くしつこく罵っていた事だった。Fuckという言葉も何度も使っていた。連れの女の人は「ごめんなさい。ごめんなさい。」と言っていた。2人ともちょっと酔っ払ったような感じだった。それともクスリでもやっていたのか、どちらかが精神障害か何かだったのか、とにかく、ちょっとした言い争いの範疇を超えていた。
それをしばらく見ていた中年女性がその男の人に言った。
「ちょっとあなた、連れの人にそんな汚い言葉で文句を言うのやめてくれない?女子高生たちもここに座っているじゃない。この子たちに、あなたの彼女に対する汚い言葉を聞かせられません。」
でも、男は聞く様子がなかった。そうしたら、その中年女性は迷いなく列車の非常ボタンみたいなのを押して列車を止めた。それで車掌さんがやってきて、3人に事情聴取した。中年女性は怒って
「この男性が、反抗もしないパートナーを汚い言葉でずっと罵っているのは許せません。周りの若い女の子供達にも、そんなものを見せるべきではありません。」
と毅然とした態度で訴えた。次の駅でそのカップルは下ろされた。反抗的な態度を取った男の人は両腕を押さえられて、駅員さん達に連れられていった。中年女性はその次くらいの駅で、まだちょっと怒った様子で電車から降りて行った。
私は約束の時間には20分くらい遅れたけど、列車を止めてもらって良かったと思った。
もし私の周りで今後似たような事や痴漢を見たら、(列車は止めない方が良い気がするが)少なくとも声をかけるとか、駅員さんに連絡するとか、何かしようと思う。そこで練習のため、電車内で痴漢を見つけた時の対応について読書会のメンバーと少しイメトレをした。
①被害者の親戚のおばさんのふりをする。
「あら!もしかして、みっちゃんじゃない?山下さんのところの!私、私!!ほら!田中のおばさんよ!まー大きくなって!!おじいちゃんのお葬式で会ったの覚えてる?」など。
別バージョン:子供の同級生を見つけた母親「あれ!ミキちゃんでしょ?りえ子と同じクラスだった!ほら、おばさん、**寿司!**町の!!りえ子のお母さん!」
②立ちくらみを起こしたふりをしてぶつかる
「あ、すみません、、貧血みたいで、、すみませんが、車掌さんを呼んでいただけないでしょうか・・。」
また、この本の後の方には「マジョリティは思考停止する」「男性のいい人は、うっかりそのまま生きてると女性差別主義者」とも書いてあった。サンダーバードで何もしなかった人は、マジョリティの善良な市民なのだろう。
それで、ハンナ・アーレントがナチスのアイヒマン裁判を傍聴して主張した「凡庸な悪」の事を思い出した。アイヒマンは、ナチス上層部の方針に従いホロコーストを指揮して数百万人のユダヤ人をガス室に送り、ナチス敗戦後、エルサレムでの裁判を経て死刑になった人だが、ハンナはその裁判を傍聴した後にこんな事を言った。
・アイヒマンは特別に極悪非道な人というわけではなかった。
・彼にはユダヤ人虐殺について信念も邪心も悪魔的な意図もなかった。ただ、自分で考え善悪を判断することを全く放棄して権威に従っていただけだった。
・彼は職務に忠実な役人で「組織での出世」を求めるというありふれた動機から行動していた。
・アイヒマンみたいな人が、たくさんナチスにいた。
・ユダヤ人側にも、自分や身内の保身のためナチスに協力した者がいた。
・多くのドイツ人はユダヤ人の虐殺に無関心で、止めようとしなかった。
・ユダヤ人虐殺を可能にしたのは、そういった人々の集団である。
つまり「善良な市民」は「凡庸な悪人」かもしれないなと思った。そう思うと、凡庸な悪がつもりつもって誰かが死んでいる事が、今現在もいろいろある気がしてきた。例えば労働基準法違反(サービス残業)による過労死なんか、そうだろう。この場合、経営者だけじゃなくて、体力があったりサポートしてくれる家族がいるからという理由で、過労死レベルのサービス残業をやれてしまって、やってしまう社員も、凡庸な悪の行為をしているのかもしれない。
あとは、ジャニーズ事務所の性的暴行の黙認をし続けた関係者もマスコミも明らかに凡庸な悪だろう。
もしかすると、大概の人は多かれ少なかれ凡庸な悪人だという気がして来た。私もけっこう凡庸な悪をやってきたと思う。
凡庸な悪をやらないのは、難しい事だと思う。
なんで難しいかと言うとまず、自分のやっている事が凡庸な悪かどうかの判断ができる状態であるためには、自分がどんな大きなしくみの中のどんな歯車なのかをある程度わかってないといけない。
それもなかなか大変なので、そういう事を完璧にわかった状態で行動するのは無理だって、諦めたほうがいい。諦めよう。だいたいでいい。
そして、勇気を持って判断して行動した人が、結果間違っていた時、それをバカにしたりマウンティングしていい気になったりとか、それもやめようと思った。
それから、凡庸な悪をしない為には、自分が損する覚悟が必要だ。列車を止めた中年女性は、車掌さんに自分が怒られるリスクをたぶん覚悟した。ハンナ・アーレントも、自分がユダヤ人なのに、ナチスに協力したユダヤ人について言及して、アイヒマンについてユダヤ人が求めるストーリー(ナチスが極悪で、ユダヤ人は完全に被害者。謝罪、補償されるべき)に寄せなかった。そのせいでユダヤ人の友人をたくさん無くしたそうだ。でも、もしハンナが自分が見て考えた通りに文章を書かなかったら、それこそが凡庸な悪になってしまう。それもできなかっただろう。
こうやって突き詰めて考えていくと怖くなるので、ぼちぼちできる事から1個1個やって行こう。