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石川県人 心の旅 by 石田寛人

スーパーブルームーン

2023.09.23 15:00

 令和5年8月つまり先月は、満月が2回あった。その2回目は8月30日から31日にかけて見られ、月に2回の満月は「ブルームーン」と呼ばれている。さらに、このタイミングで月が地球に最も近づいていて、満月が最も大きく見える現象「スーパームーン」が重なった。すなわち「スーパーブルームーン」と呼ばれる状態になったのであり、次にこうなるのは、2029年のこととか。それまで生きてはいたいが、なにせ肥満気味の私のことだから、どうなるかは分からない。そこで、今生の思い出と思って、30日の夜、東天に昇った月を見るべく表に出た。

 屋根の間から見えるスーパーブルームーンは確かに大きい。今年2月の地球から最も遠かった満月に比較して直径が14%ほど大きく見えるのだとか。ブルームーンと言いながら、青色ではなくて黄色く輝いている。しかし、我が家の近くでは、電線が月の前を横切って何とも邪魔だ。電線にかからない月を見ようと思って前進するうちに、無意識に道を横切っており、車が来れば危なかった。

 杜甫と並ぶ中国最高の詩人李白には、河の水に映る月を掴もうと舟から身を乗り出して、そのまま水中に没し去ったという伝説があるが、私が月に見とれて車で命を失っても、誰からも褒められないのみならず、人様に大迷惑をかけつつ、次のスーパーブルームーンが見られなくなってしまう。ともかく、この月を見て世にある幸せを実感した。

 李白の月と言えば、次の詩は高校の教科書にも載っていて、広く知られている。

「静夜思 李白 牀前看月光 疑是地上霜 挙頭望山月 低頭思故郷」

 私は、「牀前(しょうぜん)月光を看(み)る 疑うらくはこれ地上の霜かと 頭(こうべ)を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思う」と読み下しており、意味は明白。月の光に故郷を思う心を詠んだものである。ここで、「牀」とは「床」、寝台、ベッドのことで、室内のベッドの際まで月の光が差し込んできて、その明るさは地上の霜のようだという意味と思ってきた。しかし、この字は、井戸の井桁を意味することもあるとされ、「牀前」は寝台の前というよりも、井桁の前ということで、これを詠んだ李白は室内ではなくて屋外に居たという説もあるようだ。それに「月」と同様に「井戸」もまた故郷を思うよすがであり、人は井戸を掘って井戸の周りで生活をしてきた。この詩は、大天才が自分の思いをそのまま文字にしたような20字であるが、いろいろな解釈があって面白いと思う。

 また、この詩は中国では、「牀前明月光 疑是地上霜 挙頭望明月 低頭思故郷」と起句の「看」を「明」に、転句の「山」を「明」にしたものが一般的に知られているようだ。詩趣は変わらないものの、我々が馴染んできた詩とは違う感じもする。より月明かりがはっきりして、覚えやすいかもしれない。多分、我々が習った方が元の詩と思うが、短い詩でも伝承するうちに変化するのもありうることだ。

 月の青さについては、私の子供のころ菅原都々子の「月がとっても青いから」という歌が広く歌われていた。昇りたての月は、光の青色成分が長く通過する大気で散乱されてやや赤く見えるのに対して、中空高く上った月は比較すればそれより青白い気がするものの、決してブルーそのものではない。「青い月」という表現は、ロマンチックな小説や詩や歌謡曲の世界のことで、私には縁が遠いようだ。(2023年9月11日)