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逃げたっていいじゃないか。

2018.08.26 06:15

今日は1冊の本を紹介します。


「崖っぷちに立つあなたへ」(落合恵子 著、岩波ジュニア新書)


著者の子供時代の経験を中心に描かれたエッセイです。


著者は私生児で母1人子1人の家庭で育ちました。今では決して珍しくはないのかも知れませんが、時代は昭和の初め頃。その時代は親が決めた相手と結婚するのが当たり前。交際期間0日の夫婦がほとんどだと考えると、結婚せずに生まれた著者もお母さんもさぞや肩身の狭い思いをされたことでしょう。


それを考えると、1章のタイトルも『みんなと「違う」ということ』から始まるのですが、何がどう違うのか少し想像していただけるのではないでしょうか。


著者の祖母は「孫には甘い祖母だったが、一方、未婚で出産した母にはとても厳しい人だった」と書かれています。


祖母自身が父も夫も早くに亡くなり、女ひとりで4人の女の子を育てた方だそうで、「男がいる家庭こそが幸せの象徴という考え」をより一層強めた方だそうです。


なので、祖母が娘である著者の母に接する姿は今の言葉でいえば「毒親」と言えるような状態に私には思えますが、著者の記述にあるように「充分に愛された記憶がない子ども時代を送った祖母だった。充分に愛されたことのない人間はどうやって、充分に愛することを学ぶのだろう。多くの場合、愛されることを通して、子どもは愛することを学んでいくのだから。」と、どこか祖母への同情の気持ちも湧いてきます。


祖母は孫である著者を「この子は父親がいなくて可哀想、不憫な子」と思い(もしくは決めつけとも言える)、とにかく「重すぎる」ほどの甘さと優しさで接してくれたそうです。その分、娘に接する際には怒りがこもっていたのかも知れません。


一方、母は著者を産んだことを誇りに思っているし、そんな母を心の底から著者は尊敬し愛しているのが伝わってきます。


そんな母娘3代の関わりを想像すると切なくなりました。


そんな母娘を考察するのもよかったのですが、今回は「学校」というものについての記述をこの本から引用したいと思います。


当時の著者の気持ちが分かる方がいっぱいいるのではないかと思って。


『クラスの空気にも馴染めないわたしがいた。

先生のつまらないジョークに「笑わなければ」という義務感を多くの生徒はもっていた。

それがつまらなかった。

同じところで笑い、同じところで憤慨し、同じところできゃあきゃあ言わないと、仲間にはなれないというプレッシャーがあった。

学校中、どこに行くにも、教室を移動するにも、グループ単位で動いた。グループとの別行動が何度か重なると、仲間はずれが待っていた。

それは無視から始まった。声をかけても応えてくれない。教室に入っていくと、いつものグループが輪になって楽しげに話しているのだが、わたしが近づくと、笑いも止まってしまう。目配せ、ひそひそ話。授業中に、わたしのところは通過する、ノートの切れはしに書かれたメモ、、、。』


『わたしはどんどん内向的になっていた。

高校は退屈で、クラスにも馴染めなかった。

ほんのわずかな好きな教師と、ほんのわずかな好きなクラスメートがいるだけだった。

たぶん大人から見るなら、わたしもそのひとりだったのだといまでは思うが、女子高生のあのキャーキャーと甲高い声が耳触りだった。〜中略〜

内巻きの貝のように、内に内に感情を巻き込んで、わたしは無表情に通学していた。』


『虐待やいじめにあったら、「NO」と言おう。しかし、「NO」と言えない場合のほうが多い。すでに執拗な攻撃にあって、力を奪われている子どもには「NO」と言うエネルギーが残されていないケースが少なくない。それゆえ、「NO」のあとに、「GO」(逃げる、その場を離れる)と「TELL」(信頼できる大人にそれを告げる、うちあける、相談する)を呼びかけているのだ。〜中略〜

多くの子どもにとって、学校は主要な居場所である。家庭という居場所もあるが、家庭もまた、学校行政にからめとられがちであるけとを考えると、学校という居場所で否定されることは、彼や彼女が全否定されることになる。

その時、別の場所があれば、緊急避難した彼や彼女は、「GO」や「TELL」をすることもできるのだ。

にもかかわらず、わたしたちは、学校に「戻す」ことを必死に考えて悩んでいる。別の場所でしばらく傷ついた心と身体を休めてから抜本的解決に乗りだすこともできるはずなのだが。わたしたちは、急ぎすぎている。その急ぎすぎの理由のひとつが、いみじくも彼の両親が言った、大人の「面子」であったりするのだ。』


『「崖っぷちに立たされてしまったきみに」何度でも伝えたい。いのちまでかけて、学校に行くことはない、と。

ほとんどすべてのわたしたちは、「いま」の中に生きている。その「いま」が、屈辱的で耐えがたいとき、「明日」を夢見ることは、たやすいことではない。そのこともわかる。その、難しいことを敢えてやってみないか。』


『(自殺する人は)しょせん弱い、と言ったエライひとにうかがいたい。ひとはみな、弱い存在なのではないのか。強くて、弱い、それが人間ではないのか。自分の弱さが他者の弱さへの共感や想像力に成長する場合だってあるはずだ。〜中略〜

弱さも含めて、ひとはここにいる。自分の弱さと親密になれない大人は、終生「強さ」に憧れ、けれど本当の「強靭さ」からは程遠い一生を送るのだ。弱さの認識、認知こそ、「強靭さ」への第一歩になるはずなのだが。』


まさにいま、「崖っぷち」に立たされた気持ちの人に捧げたい言葉が詰まった本なのです。そして、取り囲む大人たちにも。

一番大切なのは何なのか、私も含めよく考えたい。

他の子と違うことをぜひ賞賛して認めてあげて欲しい。


今は思った以上にたくさんの選択肢があります。勉強だってアラフォーの私は今一番楽しんでいます。無理してた学生の時の友人は付き合いも皆無だし、大人になってできた友人には心から信頼できる仲間です。学生の時の楽しい思い出なんかなくても生きていけます。


生きるために嫌なことから逃げることの何が悪いのか、考えてみて欲しいです。