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Shilfee fullfull finch

わかりやすさ

2023.09.12 22:40

すごく簡単な話さえ わかりやすく話せない人が多数いる。


何言ってるかわからないけど 別に理解しなくてもいいや ってときは

ふんふんと適当に聞き流して それに対してなにも返す必要ないやと

やんわり無視状態になるのだけど


ちゃんと話を理解しなきゃ!って思ってるのに えんえんとわけわかない話が

続くと。。 いちいち添削をいれて理解を確実にものにしようという作業が

始まって 最後には いいかげんにしろ!!と怒ってしまう。

わかりたいのに わかろうとさせてくれない 主語述語も形容詞も

話す順番もめちゃくちゃで投げられると いまの段階の話ではなく

今後未来においてのコミュニケーションにあっというまに絶望してしまう。

そうはなりたくないのに どんどん追い詰められた気分になり

もうくるっと向きをかえて崖から飛び降りても こいつから離れなきゃ!って

気分になるので、なんともいえない気分になる。


なので自分が相手と話すときは とにかく相手の目をみて

話がちゃんとうけとめれてる顔をしてるか?を観察しつつ

会話を進めていくように それと単語ひとつ知らない語彙がでたら

即座に言い換えて説明補足をし 完全に言葉の理解が追い付かない人には

比喩 たとえ話におきかえて補足したりしてる。


だけど あるていどわかってて当然という立場や年齢の人には

こどもに話すようなかみ砕いた話し方はやってられない

わからないなら もうそこで これ以上の会話は不要というジャッジで終わらせる。


わかりやすく話しするひとが かしこい人だ みたいな世の風潮があるが

わかる必要もないひとに わからせなきゃいけない義務はない

最低限のハードルとして わかりたいひと、自分でいろいろ即座に調べて理解を努力する前提で

十分なのだ。

とくに 思想的要素なんて絡んだ話の時は 完璧に言葉の理解だけでは及ばないところに

会話の芯があるので。そして これをわからせようと考えたら

それはもう共産主義者となんらかわらないものになってしまう。







 日本には、学者のするむずかしい専門的な話を、市井のふつうの市民の日常的なロジックや語彙で言い換え、わかりやすい喩え話を探し出す、そういう仕事をする人間がいて、そういう人間の書く本を好んで読む読者がいる。専門的な学者を評するときも「あの人の話はわかりやすい」というのは、日本ではけっして悪い意味ではありません。でも、ヨーロッパでは違う。そういう基準で学問的業績を評価する習慣はありません。わかりやすいかわかりにくいかは学問の質とは関係ないから。学問の質について正確な査定をするのは同業の専門家たちであり、彼らがわかればいいのなら、一般読者にわかりやすく書く必要はない。  でも、日本では「学問の質」とは別に、その学的知見が「どれくらい広い範囲に共有されるか」ということが問題にされます。せっかく世界の成り立ちや人間のありようについて価値ある知見が得られたのなら、できるだけ多くの人々に共有されるべきだという考え方を僕たちがするからです。でも、これは世界標準的には「常識」ではありません。


 街場の文体論 作者: 内田樹 出版社/メーカー: ミシマ社