世界大戦へ18-モロッコ危機再び
2023.09.13 11:28
1911年アフリカではさらに第二次モロッコ事件が勃発していた。これは現地ベルベグ人の大反乱に、フランスが鎮圧に出兵したところ、ドイツも現地自国民保護と称して軍艦を派遣したのだ、しかし実際現地ドイツ人はおらず口実にすぎない、フランスはイギリスにも軍艦派遣を要請した。
欧州大戦の危機にベルリン証券取引所はパニックとなる。ドイツも戦争する気はなく、フランスをゆすって他の植民地を獲得しようという思惑だった。今の北朝鮮のような瀬戸際外交である、かつてはドイツもそんなことをやったのだ、ところがイギリス首相ロイドジョージは「フランスがドイツに攻められれば座視しない」と強硬姿勢を見せた。
ドイツは、フランスのモロッコに関する協定違反をとがめただけだ、と姿勢を軟化させ、フランスと交渉に入り、モロッコに対する権利をあきらめるかわりにフランスのカメルーン植民地を少し分けてもらった。
しかしこのモロッコ事件の結果、英仏はますます連携を強化して軍事協定を締結するまでになる。ドイツの瀬戸際外交は失敗した。この件では皇帝ヴィルヘルム2世は消極的だったが、ドイツの世論は皇帝を「臆病ヴィルヘルム」と呼んだ、皇帝一人ではなく、ドイツも好戦的となっていたのである。