ピアノのコンクールから考えたメタ認知。
本日は、エスプラッツにピアノの
コンクールを見に行ってきました。
MOTEMOTE佐賀に掲載されていて、
是非見に行きたいと思っていまして、
午後からそれを見に行ってきました。
コンクールということもあって、
場には緊張感が漂い、ライバルの演奏を
見つめる子どもたちの視線も、発表会とは違って
やや攻撃的な場合や、評価しようという場合も
ありまして、その空気に触れることによって
私はその場にいて重要な点に気付きました。
発表会というのは、基本的に間違ったとしても
しっかり最後までやりきることができれば
称賛も集まるものですし、身内だけのものなので
なんとなく柔らかい雰囲気ですが、
コンクールは客観評価にさらされる機会です。
そして、私は子どもたちの演奏を聴きながら、
私が普段先生から何度も指導されている言葉を
思い出します。
「鍵盤を押し込むように弾いていて音が鈍くなっています。」
「レガートを曲想をイメージしながら滑らかに
弾けるようにしましょう。」
「強弱をつけてメリハリを持たせましょう。」
「自信のなさが音の弱さに出ています。」
「気持ちが焦って打鍵が速くなっています。」
「曲のイメージをしっかり頭に作りましょう。」
などなど、1年も通うと私の癖のようなものも見つかり、
自宅で練習する中でも自分なりに気をつけて
トレーニングを続けているところです。
先生の指導がしっかりしているからだと思いますが、
コンクールを見ながら、特に子どもたちのメタ認知、
つまり、自身がどれくらい理解して弾いているのか?について
考えさせられる機会となりました。
先生から与えられた視点によっていくつかの演奏を聴き、
この子たちは多分練習でもこのように弾いていて、
それを自分で”あまり良くない”とか、”これは素晴らしい”とか、
そういう風に自己評価をする観点があるのかどうか、
そういうことを考えていたのです。
学習においても、メタ認知はとりわけ重要で、
自分が何を分かっているか、分かっていないかが
明確になっていると、学習プロセスの大部分を
省くことができるので効率的です。
また、集中的にそこをトレーニングしていくことも可能で、
それは高校に進学してさらに学習量が増えてきた際に、
何を省いて何に集中するかということを
効率化するための布石にもなってゆきます。
わけわかっていないと、”何でも”、”全部”、
解き直し始めますから。無駄ばかりです。
しかし、分かっているのかいないのかが分からず
不安になっているというのも分かります。
ですから、自分が無駄だと思うような連打でさえも、
ちゃんと分かったと思うまで連打してみることから、
徐々に学習を引き算できるようになることというのは
例えば中1とか高1とかの学習には必要なのでしょう。
実際最も量をこなした方がいいのは、小学生や、中1や高1の
学年なのだと私は思っています。
さらに、今日買って読んでいた組織論の中にも、
”自分はその場になんのために存在しているのか?”ということを
認知することの重要性が書かれていました。
個々の目標とか云々より、この場は何を目指し、
君はここで何を実現できるようになりたいのか?
そういうことが子どもたちにハッキリと
認識されていることがとても重要だと
その本を読みながら考えていました。
言われるがままにやっているだけでは、
あるいは強烈な先生の支配の中に置かれたまま
学習をするような形では、
目の前のことを効率化して取り組んでいくことは
難しくなってくるものです。
学習は自分で”メタ的に”認識して
初めて成り立っていくものです。
自分でコントロールできることこそ重要です。
ですから、簡単なことですが、”自分で考えたことを話す”、
”自分で考えたことを遂行する”、そういったことが
ごく普通のことが日常にあるかどうか、ということが
実は先々において役に立ってくる習慣なのだと思います。
人は、指示をし、指示通りに何かを遂行するだけでは、
最初はうまくいくかもしれませんが、徐々に無駄の多い
習慣の罠にハマっていきます。
頭のいい人は、何者の支配にも置かれず、
むしろ目の前の内容を自分で支配しようとします。
計画しようとします。間違いなく、理解できるための
習慣を築き上げています。
ここが、ポイントなのだろうなと思っていますが、
学習というのはいつも”分からないことを分かるようにする”ことに
忙しさの中で傾斜しがちです。
分かっていることを繰り返し、何を”分かる”といい、
何を”分からない”というのか、そういう判断ができるように
なっていくという前提がない場合、上記のような
”高度な”学習によっては内容が身につかないものになりがちです。
内容が難しければ難しいほど、です。
是非、受験が本格化していく前に、あるいは進学する前に、
自分が何をどれだけ分かっているのかという尺度を育むように
量の学習からスタートし、引き算をしてみてはいかがでしょうか。
”何をしなくていいのか”が分かる学習の気楽さや効率の良さというのは
きっと理解してしまえばとても良いものだと思えるはずです。