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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

世界大戦へ19-辛亥革命勃発

2023.09.14 12:14

1911年10月10日、武昌起義によって辛亥革命の火ぶたが切られた。革命の指導者孫文は、中国同盟会という反清朝の組織をつくり、19世紀末から10回の武装蜂起を繰り返していた。今回は清朝による鉄道国有化反対運動があったが、これを武力鎮圧し、首謀者を逮捕しようとしていた。

その中で偶然の事件から近代的陸軍部隊である新軍の中に決起が広がり、総督が逃走したことで11日には武昌全域が新軍に制圧された。革命軍は湖北軍政府をつくり各地に進軍、アメリカに居た孫文は各地の同志に決起を促し、各地は次々に清朝の支配を離れ独立した。

清朝側は、失脚した袁世凱を討伐軍の司令官に任命したが、彼はもう清朝を見限っており、革命軍と秘密交渉を始める。11月1日より新政府の準備が行われ、12月15日に孫文が帰国すると各省代表による選挙が行われ、12年1月1日選出された孫文は、中華民国を宣言した。

この頃清朝の首相となった袁世凱は、イギリス大使を通じて皇帝退位と自分の大総統就任を条件とする講和を提示する。これを民国側が受け入れたことで、袁は皇帝に退位を脅迫した。2月12日皇帝は退位してここに清朝は滅亡した。大総統となった袁は皇帝となることを目論むが16年に死去して中国は再び混乱する。