8月26日 美郷町→横手市(35km)
夜半から雨となって午前中まで降り続く。昨日の花火大会の帰省車は徐々に居なくなり、道の駅は徐々に普段通りの雰囲気に戻りつつある。午前中は車の中でのんびりして、昼過ぎに美郷町歴史民俗資料館へと向かう。
ここは、元々小学校だった建物をリノベーションしてオープンさせた資料館で、体育館はスポーツ施設として運営されている。この資料館には、町内から出土した遺物や古文書を展示した「歴史展示室」、伝統的な農業用具や生活用品などを展示した「民俗展示室」、地元出身の著名政治学者・元東大総長についての「佐々木毅記念室」などがあるが、その中でも「わら細工展示室」が最も興味深かった。
わら細工と聞くと、草鞋や蓑、箒などを想像するのだが、この展示を見ると、伝統的な農村においては、考え得るほとんど全ての日用品が稲わらで作られている、と言っても過言ではない。草鞋一つとっても、人間だけでなく馬に履かせる草鞋もある。わらで工夫した玩具もいろいろあるし、生理用品までわらで作られているとは思いもしなかった。
もちろん、ここには雪国に特有のわら細工も含まれており、日本全国で同様にわら細工の文化が広まっているとは思わないが、「稲作文化における稲わらの活用」は、現代では考えられない相当深遠なものがあると思われた。
ここまで多彩なわら細工を目にすると、自分でも何か作ってみたいと思ってしまうが、実際に作っても、果たして日常生活でそれを使うのか、という疑問が残る。日用品は使ってナンボ、である。草鞋を編めば、沢登りには使えるかもしれないが、それだって、今は切れないフェルトの草鞋を履くからなあ。そう考えると、目の前のわら細工が素晴らしいものであるからこそ、ちょっと淋しくなる。
ここでは月に2回、「わら細工講習会」を開催している。
職員の方と雑談したが、なんでも最近の稲わらは、稲の倒伏を避けるため品種改良で短くなっており、わら細工には使いづらくなっているらしい。特に米俵などはわらの長さが直接関係し、短いものを結べばいいというわけではない、とのこと。とにかく、このわら細工の数々を見るだけでも、ここに来る価値はあると思う。(Y)
この町の歴史は古く、中央政府の東北侵攻が始まり、733年に現秋田市に出羽柵(後の秋田城)が、801年には ここ美郷町に払田柵を築かれ、秋田地方の政治、軍事、経済拠点としたのが始まり。
江戸時代には、この資料館が建つ六郷地区が藩内第4位、横手盆地の中心地として栄え、繁華街には商家が建ち並び、町を守るように寺が町を取り囲んでいたという。
現在商店は殆ど姿を消してしまったが、江戸時代の商家の名残、間口が狭い鰻の寝床のような家屋が多く見られるエリアがある。町の中を縦横に走る水路、黒塀の屋敷、趣のある庭など、なかなか風情がある町並みだ。
町の中を車で流していると、来月行われるお茶会の幟旗が目に付く。「名水の郷」という事で、定期的お茶会が催されているという。この催しは格式ばったものではなく、名水で入れたお茶を「純粋に」楽しむというものらしい。飛び入りの一般参加もOKだそう。
この町の、庶民に根付いた文化レベルの高さがうかがい知れる一件であった。
今日は、この居心地の良いエリアに隣接した横手市内にある道の駅「十文字」に宿泊する。(K)