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54億のフェラーリ

2018.08.27 06:46


出品されていたフェラーリ 250 GTOは、

1962年から1963年にかけて生産された36台のうち、

シャシーNo.3413が刻まれたシリーズにおいて3番目に生産されたマシン。


1962年から1963年にかけて36台製造された

GTOはシリーズIは単にGTO 62-63と呼ばれ

国際マニュファクチャラーズ選手権では

1962年・1963年に連続してGT-IIIクラス(排気量2L以上)のチャンピオンを獲得した。



1962年にイタリア・シチリア島で開催された

タルガ・フローリオ選手権(GT3.0)で

勝利するなどの輝かしい戦績を収めており、

オリジナルのエンジン、ギアボックス、リアアクスルが

残っているという状態の良さから、

4500万ドルほどでの落札が予想されていました。  


1962年にモデナで発表された250GTOは、

ベースとなったSWBの鋼管チューブラーフレームの楕円断面を

微妙に変化させるなどして軽量化が図られていた。

 ホィールベースはSWBと同じ2,400mm。

ボディーはデザインがフェラーリ自社ともスカリエッティとも言われ、

スカリエッティが製造した総アルミニウム製。


ボディスタイルは250GTエクスペリメンタルで

問題になったフロントのリフトを抑えるため、

フロント部をSWBよりさらに低く長くされた。

一方後部はさらに太くなったタイヤを収めるため

大きく盛り上がったリアフェンダーと、

ファストバックのリアデッキがすっぱり切り落とされた

カットオフテール、いわゆるコーダトロンカを形成していた。


1962年型はフロントサイドのスリットが2本であるが、

冷却性能向上のため1963年生産のものから3本へ増やされた。 

全高はSWBより90mmも低くなったが、

これはSWBのウェットサンプからテスタロッサの

ドライサンプへエンジンを変更したことで実現した。

SWBの3キャブに対して6基のウェーバー38DCNキャブレターを備え、

テスタロッサと同じカムシャフト、特別なエキゾーストを与えられた結果、

300HP/7500RPMの出力を発生した。


ただし、テスタロッサとは違いGTOのカムカバーは

黒の結晶塗装が施されている。 

ミッションはフェラーリ自社製の5段・フルシンクロメッシュで、

ギア比は2.99-1.99-1.44-1.17-1.00(1〜5速)となっている。


このフェラーリ 250 GTOが記録した落札価格4840万5000ドルは、

これまでのオークション史上最高額となり、

2014年に落札されたフェラーリ 250 GTOの

3811万5000ドルの記録を大幅に塗り替えました。 



ちなみに2018年6月に5200万ポンド(7000万ドル)で取引が行われた

フェラーリ 250 GTOが史上最高額として記録されており、

日本円で約76億円(当時のレートで換算)なのだそうです。


1964年、フェラーリは強力なライバルシェルビー・デイトナの出現に備え、

250LMをGTクラスへ投入する予定だった。

GTOの公認取得の際に通用した

「エボリューションモデル」という理屈を今回も持ち出したが、

エンジンレイアウトが異なる点

(GTOはFR、LMはミッドシップ)などから受け入れられず、

GTクラスの公認を得られなかった。


また、250LMの戦闘力も熟成が進む1964年後半までは高くなかった。

そこで急遽250GTOを3台増産、さらにGTO62-63に改良が加えられた。 

1964年に3台製作されたGTOはおもに空力面が改良され、

250GTO64、またはシリーズIIと呼ばれた。


ボディデザインはピニンファリーナとなり、直線的なフロントノーズ、

250LMプロトタイプと同様のカットオフルーフを備え、

ただし3台とも細部のディテールが異なっている。

エンジンは基本的に62-63年型と変わらないが、

発電機がダイナモ(直流発電機)から

オルタネーター(交流発電機)へ変更になっている(ヘッドライトのハロゲン化のため)。


何台かのGTOシリーズIがシリーズIIと同じ

(細部は異なる)ボディに換装されている。

 GTOシリーズIIは1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利し、

ライバルと目されたシェルビー・デイトナが、

ホモロゲーションの取得が遅れるのを尻目に、

その後もGTクラスで勝ち続け、

フェラーリにGT-IIIクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。

ただル・マンではシェルビー・デイトナに敗れている。 

GTOの生産内訳は3.0Lが36台、4.0Lのプロトタイプが3台製作された。

そのほとんどがレースで活躍し、すばらしい戦績を残した。また39台は全て現存している。