54億のフェラーリ
出品されていたフェラーリ 250 GTOは、
1962年から1963年にかけて生産された36台のうち、
シャシーNo.3413が刻まれたシリーズにおいて3番目に生産されたマシン。
1962年から1963年にかけて36台製造された
GTOはシリーズIは単にGTO 62-63と呼ばれ
国際マニュファクチャラーズ選手権では
1962年・1963年に連続してGT-IIIクラス(排気量2L以上)のチャンピオンを獲得した。
1962年にイタリア・シチリア島で開催された
タルガ・フローリオ選手権(GT3.0)で
勝利するなどの輝かしい戦績を収めており、
オリジナルのエンジン、ギアボックス、リアアクスルが
残っているという状態の良さから、
4500万ドルほどでの落札が予想されていました。
1962年にモデナで発表された250GTOは、
ベースとなったSWBの鋼管チューブラーフレームの楕円断面を
微妙に変化させるなどして軽量化が図られていた。
ホィールベースはSWBと同じ2,400mm。
ボディーはデザインがフェラーリ自社ともスカリエッティとも言われ、
スカリエッティが製造した総アルミニウム製。
ボディスタイルは250GTエクスペリメンタルで
問題になったフロントのリフトを抑えるため、
フロント部をSWBよりさらに低く長くされた。
一方後部はさらに太くなったタイヤを収めるため
大きく盛り上がったリアフェンダーと、
ファストバックのリアデッキがすっぱり切り落とされた
カットオフテール、いわゆるコーダトロンカを形成していた。
1962年型はフロントサイドのスリットが2本であるが、
冷却性能向上のため1963年生産のものから3本へ増やされた。
全高はSWBより90mmも低くなったが、
これはSWBのウェットサンプからテスタロッサの
ドライサンプへエンジンを変更したことで実現した。
SWBの3キャブに対して6基のウェーバー38DCNキャブレターを備え、
テスタロッサと同じカムシャフト、特別なエキゾーストを与えられた結果、
300HP/7500RPMの出力を発生した。
ただし、テスタロッサとは違いGTOのカムカバーは
黒の結晶塗装が施されている。
ミッションはフェラーリ自社製の5段・フルシンクロメッシュで、
ギア比は2.99-1.99-1.44-1.17-1.00(1〜5速)となっている。
このフェラーリ 250 GTOが記録した落札価格4840万5000ドルは、
これまでのオークション史上最高額となり、
2014年に落札されたフェラーリ 250 GTOの
3811万5000ドルの記録を大幅に塗り替えました。
ちなみに2018年6月に5200万ポンド(7000万ドル)で取引が行われた
フェラーリ 250 GTOが史上最高額として記録されており、
日本円で約76億円(当時のレートで換算)なのだそうです。
1964年、フェラーリは強力なライバルシェルビー・デイトナの出現に備え、
250LMをGTクラスへ投入する予定だった。
GTOの公認取得の際に通用した
「エボリューションモデル」という理屈を今回も持ち出したが、
エンジンレイアウトが異なる点
(GTOはFR、LMはミッドシップ)などから受け入れられず、
GTクラスの公認を得られなかった。
また、250LMの戦闘力も熟成が進む1964年後半までは高くなかった。
そこで急遽250GTOを3台増産、さらにGTO62-63に改良が加えられた。
1964年に3台製作されたGTOはおもに空力面が改良され、
250GTO64、またはシリーズIIと呼ばれた。
ボディデザインはピニンファリーナとなり、直線的なフロントノーズ、
250LMプロトタイプと同様のカットオフルーフを備え、
ただし3台とも細部のディテールが異なっている。
エンジンは基本的に62-63年型と変わらないが、
発電機がダイナモ(直流発電機)から
オルタネーター(交流発電機)へ変更になっている(ヘッドライトのハロゲン化のため)。
何台かのGTOシリーズIがシリーズIIと同じ
(細部は異なる)ボディに換装されている。
GTOシリーズIIは1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利し、
ライバルと目されたシェルビー・デイトナが、
ホモロゲーションの取得が遅れるのを尻目に、
その後もGTクラスで勝ち続け、
フェラーリにGT-IIIクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。
ただル・マンではシェルビー・デイトナに敗れている。
GTOの生産内訳は3.0Lが36台、4.0Lのプロトタイプが3台製作された。
そのほとんどがレースで活躍し、すばらしい戦績を残した。また39台は全て現存している。