難病患者さんの中絶
著書「新型出生前診断の全てが分かる本」から一部抜粋してお伝えします。
それは、ハンセン病患者さんのお話です。
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今になって考えるのですが、こういうハンセン病の患者さん、特に妊婦の人は病気のことを思って、中絶したいと思って中絶されたのか、あるいは周辺から圧力をかけられて中絶をしなくちゃいけないとなったのか、とても複雑な気持ちに襲われます。
過去の長いハンセン病の歴史を聞かされて、ほとんどの患者さんたちは望まない子供を産むことを望まないというよりは、周辺の圧力で、中絶せざるを得なかったのではないかという感じがしました。
非常にお気の毒な現状を目の当たりに見させていただいて、中絶行為の是か非かということの論議が、こういった難病の患者さんたちの生活の中に暗い影を落としているんだなあと思えました。”
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自分が病気だから、中絶をしたのか?
それとも、病気を持った妊婦さんが産むことが直接的に障がいを持つ子を誕生させると考え、周囲の圧力で中絶をさせられたのか?
どちらにしても、
「望まない妊娠」もあれば、
「望まない中絶」もあるのです。
日本で特に中絶に対する問題があるかというと、こうして病気や障がいを持つ人たちを社会から切り離していた歴史があるからです。
今でこそ、障がいを持つ人でもみんなと同じように社会で暮らすことができます、
昔は、隔離された施設に収容されていたこともあります。
ですから、中絶=障がい者差別
という方程式が出来上がっているのです。
しかしながら、昔と違って今の日本は違います。
この方程式が成り立つ時代ではありません。
命を大切にしていないじゃないか!
という方もいますが
検査を受ける方、
検査を提供する医療機関、
検査をする医師、
検査をする検査機関、
命を粗末に扱ってはいないのです。
医療の目的というのは、やはり病気を治す、病気を防ぐことにあると思います。
それが、胎児の病気に限って、障がいを持つ子どもが減るからダメだと否定することは、医療の目的から逸脱しています。
今、世界では遺伝子治療の研究が進み、お腹の子どもの病気を調べて、
妊婦さんの血液に遺伝子を放り込むことで、お腹の子どもの病気を治療することをしています。
医療には医療の目的があります。
仮に、新型出生前診断によって陽性と分かった場合、中絶をしたとしても、命を粗末にしているのではなく、医療の目的、信念を貫いていることに変わりはありません。
大切なのは、医療の在り方を否定するのではなく、
その結果、私たちがどのように扱っていかないといけないのか?ということです。
これを、倫理観という言葉1つで片付けてしまっている今の日本が、もっとも問題なのです。