怒りは二次感情

2023.09.19 07:42

かなかなや魂のずれととのへる  五島高資

Facebook野口 嘉則 さん投稿記事 【自己実現の7原則】

第2の原則、心の器を育む

こんばんは、野口嘉則です。「自己実現のための7つの原則」のうち、前回の投稿では、第1の原則についてお話ししましたが、今回は、第2の原則についてお話しします。

第2の原則は、「心の器を育む」です。

この第2の原則について理解していただくために、まず、自己受容についての話から始めたいと思います。

自己受容とは、自分をあるがままに受け入れること、

別の言い方をするなら、自己受容とは、自分という存在(being)を受け入れることです。

ですが、「あるがまま」とか「存在」とか「being」という言葉は、何やら抽象的で、わかりにくいですよね。

そこで、もっと具体的な言い方をするなら、自己受容とは、自分の感情を受け入れて、それをちゃんと感じることです。

自己受容を深めていくこと、つまり、自分の感情を受け入れて感じていくことは、自己実現の土台づくりとしてもめちゃくちゃ大切です。

しかし、自分の感情を受け入れてちゃんと感じる、ということは、簡単なことではありませんよね。

自分の感情をちゃんと自分で感じるためには、自らの心の中に、感情をしっかりと抱えるための丈夫な「器」が必要です。これが「心の器」です。「心的容器」とも言います。

この「心の器」がしっかりしていないと、僕たちは、自分の感情に直面することができず、

無意識のうちにさまざまな方法を使ってその感情をごまかしたり、その感情を感じることを回避したりします。

ただし、それは、自分の心を守るうえで必要なことでもあります。

心の器が脆弱な状態のまま、自分にとって感じるのがキツい感情に無理に直面しようとすると、心のバランスが崩れてしまうからです。

ですので、僕たちは、自らの「心の器」の丈夫さの度合いに応じて、キツい感情に直面することを無意識のうちに回避し、自分の心を守っているのです。

心を守る方法の一つにアクティング・アウトというものがあります。

アクティング・アウトとは、直面するのに耐えられない感情や自分では抱えきれない感情を無意識のうちに行動にして外に出すことです。

怒りを相手にぶつけるのも、一種のアクティング・アウトです。

たとえば、自分の意見に対して妻から反対意見を言われ、怒っている夫がいるとします。

そして妻に対して、怒りをぶつけるように「お前は頭が悪い!何もわかっていない!」と怒鳴っているとしたら、この夫はアクティング・アウトをしていることになります。

怒りは第二感情と言われますね。

怒りの背後には、本来の感情(第一感情)が隠れています。

上記のケースでしたら、夫は、自分の意見に賛同してもらえなくて「がっかり」したのかもしれませんし、自分の意見に反論されて「悲しかった」のかもしれません。

この場合、「がっかり」や「悲しみ」が本来の第一感情です。

多くの場合、本人は第二感情としての怒りしか自覚していませんが、実際は、その背後に、

本来の第一感情があるのです。

しかし、これら本来の感情を自分で抱えて感じるためには、丈夫な「心の器」が必要です。

「心の器」が丈夫でない状態で「がっかり」「悲しみ」などの感情に直面するのはとてもキツいことです。

そこで、無意識のうちに、怒りという第二感情にすり替えて、それを相手にぶつけることにより、「がっかり」や「悲しみ」などの本来の感情への直面を回避しているのです。

逆に、「心の器」が丈夫になってきて、自分の中の「がっかり」や「悲しみ」に直面できるようになると、それを怒りという第二感情にすり替えて相手にぶつける必要がなくなってくるわけです。ここで、話をアクティング・アウトに戻しましょう。

アクティング・アウトとは、直面するのに耐えられない感情や自分では抱えきれない感情を

無意識のうちに行動にして表出すること、でしたね。

「相手に怒りをぶつける」の他にも、アクティング・アウトにはいろいろあります。

たとえば、「やけ食いや過食をする」「酔っぱらうまでアルコールを飲む」「ギャンブルにのめり込む」「衝動的に浪費をする」「仕事中毒になる」「自傷行為(リストカット等)をする」などもアクティング・アウトです。

あとは、「いじめをする」とか、子どもや高齢者に対して「虐待をする」なども、アクティング・アウトです。

以上、アクティング・アウトの例をいろいろ挙げましたが、これらの背後には、直面するのに耐えられない感情や抱えきれない感情があり、それが行動となって出てくるのです。

「心の器」が丈夫なものではなく、器に穴があいてたり、フタがちゃんと閉まらなかったりすると、その器の中で感情を扱うことができず、感情が行動に姿を変えて器から漏れ出てきます。穴や半開きのフタから中身(感情)が漏れ出るわけです。これがアクティング・アウトです。

アクティング・アウトには、自分の心を守るという面もあります。

自分の中で直面できない感情や抱えきれない感情を、行動によって表出することで、

その感情への直面を避け、自分の心を守っているわけですね。

しかし、あまり健康的な守り方とはいえません。相手を傷つけてしまったり、自分の健康を害してしまったり、自分の経済状態に大きなダメージを与えたりするからです。

そこで、「心の器」を丈夫にすることが大切になってきます。

「心の器」が丈夫になると、僕たちは、自分の中の 悲しみ、不安、孤独感、がっかり、残念、劣等感、無力感などの感情を、自分でちゃんと感じて味わい、解放することができるようになります。これが自己受容です。

そして、そうなると、アクティング・アウトという方法に依存しなくてもよくなります。

また、「心の器」が丈夫になると、他者との間に境界線を引けるようになります。

境界線が弱い人は、たとえば友達から、何かのイベントに誘われたとき、気乗りしない場合でも、なかなか断れません。

「これを断ったら、友達はがっかりするだろう」とか、「これを断ったら、友達は不機嫌になるだろう」といった考えが頭によぎって、断れなくなってしまうのです。

たしかに、誘いを断った場合、相手ががっかりしたり、不機嫌になったりする可能性はありますよね。そして、相手のがっかりする表情を見たり、不機嫌な態度を見たときに、こちらの心の中には、「不安」や「罪悪感」などの感情が湧き上がってくるわけですが、その「不安」や「罪悪感」を自分で抱えて感じる器がない場合、それらの感情を回避するしかないわけですね。

そして、多くの場合、断らないことによって、つまり、誘いに対して「イエス」と言うことで、「不安」や「罪悪感」を味わうことを回避するわけです。

このやり方は、「不安」や「罪悪感」を回避するという意味では、自分の心を守っているわけですが、「誘われたことに対して気乗りしない」という自分の気持ちを抑えて他者に奉仕することになるので、ストレスがたまります。また、他者に振り回される人生になってしまいます。

「心の器」を丈夫にして、自分の中の「不安」や「罪悪感」を自分で抱えて感じきることができるようになれば、相手ががっかりすることや、相手が不機嫌になることが、それほど怖くなくなり、必要に応じて断ることができるようになります。

「心の器」を育んで丈夫なものにすれば、他者との間に境界線を引くことができるようになり、それが、心の安全基地を強化することにもなり、自己実現の土台づくりも進んでいくのです。

最後にワークセッションの提案をするにあたり、もうひと言だけお伝えしておきたいことがあります。

僕たちは、心に余裕がないときほど、アクティング・アウトをする頻度が高くなります。

逆に、心に十分な余裕があるときは、自分の中の感情に直面する余力もあるので、アクティング・アウトをする頻度が低くなるのです。

そのことをお伝えしたところで、今回のワークセッションを提案したいと思います。

今回の記事を読まれたあとで、以下の問いに対する答えを、下のコメント欄に書き込んでみてください。

1.今回の記事を読んで何を感じたか?

2.自分はどんな条件を満たしているときに、心に余裕ができるか?

3.心の余裕をつくるために何ができるか?

これが、今回のワークセッションです。

情報をインプットするだけでなく、自分の内面にあるものをアウトプットすることで、

理解と気づきが深まり、学んだことが定着します。

ぜひ、この機会に、気軽にアウトプットする習慣を体得され、学びをご自分のものにしていただきたい、と思っています。

今回のワークセッションでは、他の人の書き込みから、心に余裕をつくり出すためのヒントが

見つかるかもしれませんね。僕もあなたのコメントを楽しみにしています。

次回は、「自己実現のための7つの原則」のうち、第3の原則についてお話しします。

楽しみにしていてくださいね。