ブルーベリー水玉に雨上がりけり 五島高資
Facebook岡本 よりたかさん投稿記事 「僕らはこう生きる」
少し前だが、宮崎駿氏の「君たちはどう生きるか」と言う映画を観た。
この映画を観て、ふと昔のことを思い出した。
東京でのこと。僕が好きだった和食レストランやフレンチレストラン、ラーメン屋、アジアン料理屋などが一同に会するイベントがあるというので、いそいそと出かけたことがある。
まずは、前菜として人気のアジアン料理の春巻きを食べ、その後、和食レストランのおむすびと焼き魚を食べ、ラーメン屋で軽く締めたあと、最後のデザートにフレンチレストランで食べたことのあるプディングを食べた。
何を食べても美味しく、演出も良く、ある程度は満足したのだけど、後から考えると、結局何を食べたのか判然としなかった。インパクトのあるラーメンだけが残り、あとはごちゃ混ぜ感満載だった。
実は、僕は「君たちはどう生きるか」を観て同じ感想を持った。
ひとつひとつはよく出来たストリーとアニメーションの連続なのだが、何を伝えたいのか今ひとつピンと来ない。
きっと、宮崎駿氏が伝えたいことをごちゃ混ぜに詰め込んだのだろうと思った。
良い作品を観たというのに、僕には、あの「千と千尋の神隠し」を観た時のインパクトが残らなかった。
宮崎駿氏の描きたい世界の総集編と言えばそうなのかもしれないし、掴み取れない自分が未熟なのかもしれない。
「君たちはどう生きるか」というタイトルから推測すると、現実の世界と虚構の世界でどちらで生きるかという問いかけだったとも考えられる。
虚構の世界を、良き現実の世界へと変えていきたいと思う先人と、所詮は虚構は虚構でしかないと察する主人公。対立的な思考がぶつかるという構造の映画なのかもしれない。
それはともかく、面白かったのは、唐突なストリー展開と、各所に散りばめられていた、置き忘れる伏線の多さ。
この出来事は後から伏線回収されるのだろうかと思わせておいて、結局は無かったことにされる。
それは、宮崎駿氏のこの映画に限らず、人の思考というものは概ねそういうものであるという、何よりの証拠である。
多くの出来事と思考と記憶がありながら、自分の人生にそれら全てが反映されるわけでもない。口から多くの言葉が発せられ、熱く人生を語りながらも、多くは尻切れトンボとなる。
素晴らしい主張を常に発しながら、でも後から見ればチグハグな生き方をしていると言うことに気づくわけだ。
それが本来の人間の姿なのである。
映画となれば、オープニングからエンディングまでのストリーに矛盾がないかを検証する。それはいつでもオープニングに戻れる時間軸があるからである。
しかし、人生の時間軸は同じ方向に常に動き続けるものであり、過去と現在の矛盾を正すことは難しい。
宮崎駿氏が自分の人生のラストをこの映画で好き勝手に描こうとすれば、矛盾を検証するという横槍は入らないだろう。それが巨匠の巨匠たる所以でもある。
自分の発する主張が常に変わってゆき、どこかで論理矛盾しても、それが人間というものであり、僕らが生きている時間軸の本質でもあると言うことだ。
それが分かっただけでも、この映画の存在価値は、僕にとってはとても大きかった。
もう一度観てみようと思う。その時は、きっと別な感想が生まれるだろう。そしてそれも、人生の論理矛盾の一つになっていく(笑)。
#あくまでも個人的な感想です
#批判でもなければ批評でもありません
#基本大好きな映画作家です
Facebook羽賀 ヒカルさん投稿記事【君たちはどう生きるか】
宮崎駿さんの最新作私は素晴らしいと思いました。「君たちはどう生きるか?」
というタイトルは、滅びゆく日本や、世界や、人類に対する問いかけです。
宮崎駿さんの人生と、神話と、霊界と、今の日本と世界の現状の、相似的・フラクタル的な描かれ方が凄い。
宮崎駿さんがインタビューで
「一本の映画で、世の中を変えるつもりで作んなきゃ。変わりゃしないんだけど。でも、そう思って作るのが映画だね」と仰ってて。
改めて、その気概を感じる作品でした。
そして「世界を変える作品」って、わかりやすいもんじゃない。世の中に迎合した、わかりやすいものって、合わせに行ってるから、世界を変える力は持たない。
世界を変えるものは、常識からみた時に、時に、狂気じみてて、意味わからかったりする。でも、全く、分からないわけでもない。
しかし、誰かの心に深く残って、人生や、世の中に影響を変えていく。
世界を変えるのは、狂気。
自分もまた、世界変えるつもりで、動画や言葉を遺していきたいと、改めて思いました。
なるはやで、解説動画とりたいな。
https://www.youtube.com/watch?v=oWwawYO5320&t=18s
Facebook髙橋 眞人さん投稿記事
こんにちは。【今日の名言】横井 也有(よこい・やゆう=江戸時代の国学者、俳人)
健康十訓
一、少肉多菜(肉を少なく、野菜を多く) ニ、少塩多酢(塩を少なく、酢を多く)
三、少糖多果(砂糖を少なく、果物を多く) 四、少食多噛(小食で、よく噛む)
五、少衣多浴(薄着にして、陽にあたる) 六、少言多行(口先よりも、行動本位で)
七、少欲多施(欲は少なく、他につくす) 八、少憂多眠(思い悩まず、よく眠る)
九、少車多歩(車に乗るより、よく歩く) 十、少憤多笑(怒らず、よく笑う)
化物の 正体見たり 枯をばな(化物の正体を見たら、なんだ、ただの枯れたススキだった)。
老いは忘るべし。又老いは忘るべからず(老いを意識過ぎてはいけない。同時に、若い頃と同じ感覚で無理をして失敗しないよう慎重さも必要だ)。
夕がほや、月の鏡も、またでさく(夕顔の花よ、静寂のなかで、まるで月の光を美しく反射するように再び開き咲いている)。
※7月15日は横井也有の命日(1783年)でした。
https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20010203,20010801,20090531&tit=%89%A1%88%E4%96%E7%97L&tit2=%89%A1%88%E4%96%E7%97L%82%CC 【横井也有の句】より
鬼もまた心のかたち豆を打つ
中原道夫
江戸中期の俳人・横井也有の俳文集『鶉衣』の「節分賦」に、節分の行事は「我大君の國のならはし」だが「いづくか鬼のすみかなるべし」と出てくる。元来が現世利益を願う行事なので、そんな詮索は無用なのだが、揚句では自分のなかにこそ鬼が住んでいるのだと答えている。鬼は、ほかならぬ自分の「心のかたち」なのだと……。だから豆を撒くのではなく、激しく「豆を打つ」ことで自分を戒めているのだ。真面目な人である。そして、こうした鬼観が真面目に出てくるのは、個人のありようを深く考えた近代以降のことだろう。也有もまた、とても作者ほどには真面目ではないが、世間から見ればいまの自分が鬼かもしれぬとも思い、こう書いた。「行く年波のしげく打よせて、かたち見にくう心かたくなに、今は世にいとはるる身の、老はそとへと打出されざるこそせめての幸なり」。「老」が「鬼」なのだ。てなことを炬燵でうそぶきつつ、そこは俳人のことだから一句ひねった。「梅やさく福と鬼とのへだて垣」。ところで東京辺りの豆撒きで有名なのは浅草寺のそれで、ここでは「鬼は外」と言わないのでも有名だ。言わないのは、まさか観音様のちかくに「鬼のすみか」があるはずもないという理由からだという。まさに現世利益追及一点張りの「福は内」の連呼というわけだが、だったら、もったいないから豆撒きなんかしないほうがよいのではないか。と、これは私の貧乏根性の鬼のつぶやきである。『歴草』(2001)所収。(清水哲男)
晝顔やとちらの露も間にあハす
横井也有
読みは「ひるがおやどちらのつゆもまにあわず」。、一見、頓智問答かクイズみたいな句だ。「どちらの露」の「どちら」とは何と何を指しているのだろうか。作者の生きた江戸期の人なら、すぐにわかったのだろうか。答えは「朝顔」と「夕顔」である。この答えさえ思いつけば、後はすらりと解ける。朝顔と夕顔には、天の恵みともいうべき「露」が与えられるが、炎天下に咲く「昼顔」には与えられない。すなわち「間にあハす」である。同じ季節に同じような花を咲かせるというのに、なんと不憫な昼顔であることよと同情し、かつそのけなげさを讚えている。もう少し深読みをしておけば、句は人生を「朝顔」「昼顔」「夕顔」の三期に分け、いわば働き盛りを「昼顔」期にあてているのかもしれない。露置く朝や夕に比べて、露にうるおう余裕もなく、がむしゃらに働かざるを得ない朱夏の候を、けなげな「昼顔」に象徴させている気配が感じられなくもない。いずれにしても、この謎掛けのような句法は、江戸期に特有のものだろう。現に近代以降、この種の遊び心はほとんどすたれてしまっている。近代人の糞真面目が、俳諧のおおらかさや馬鹿ばかしさの「良い味」を無視しつづけた結果である。芭蕉記念館蔵本『俳諧百一集』所載。(清水哲男)
物申の声に物着る暑さかな
横井也有
物申(ものもう)と読みます。今なら「ごめんください」とでもいうところでしょうか。いえ、今なら呼び鈴のピンポンなのでしょう。マンション暮らしの長い私には、人が声をあげて訪ねてくる場面には、ほとんど出くわしません。子供たちが小さな頃でさえ、「遊びましょ」という呼びかけを、聞いたことがありません。訪ねてきた人は、子供であろうと大人であろうと、いつも同じ大きさの「ピンポン」です。そこには特段の思い入れが入る余地はありません。この句を読んで思ったのは、「普段着」のことでした。昔はたしかに、家の中にいるときには夏でなくてもひどい格好をしていました。国ぜんたいが貧しかった頃ですから、子供だったわたしはそれほど気にしていませんでしたが、思い出せばいつも同じの、きたない服を着ていました。夏はもちろん冷房などはなく、この句にあるように、暑さに耐えるためには服を脱ぐしかありませんでした。今は真夏でも、人が訪ねてくればともかく、すぐに会える姿をしています。それがあたりまえのことではなかったのだと、この句はあらためて思い出させてくれます。一瞬の動作と、時代を的確に描ききっています。『日本名句集成』(1991・學燈社)所載。(松下育男)