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死と再生

2024.06.16 06:42

Facebookウォン ウィンツァンさん投稿記事  <友人たちの自死>

 昨日の朝、知人が自死したと、奥様から連絡があった。

一年前、首の手術をして以来、体調がどんどんと悪化し、そんな中での自死だったと云う。

突然で自分も受け入れられないでいると、泣いている。

応対していた美枝子が「ともかく祈っている」と伝えて、少し落ち着いたようだった。

 彼はかつてディストリビューターとして、サトワミュージックのCDを多数扱ってくれていた。

一時期はインディーズとしてはありえないぐらいの枚数を彼が売りさばいていた。

しかし時代は移り変わり、CD店が軒並みクローズになっていった。

それとともに、彼の事業も先行きが見えなくなり、ローンだけが残り、子供を抱えながら肉体労働者になっていった。

その中で過労で病気になったとも聞いていた。

私達もどうすることも出来なかった。

連絡も途絶えていた。

 そして突然の訃報を受け、私達も驚きと悲しみと、そしてやりきれなさが覆った。

なんとも言えない不全感や、いきなり強制終了されたような、そして寄り添えなかったことへの悔い、、、

 これで私の友人、知人で自死されたのは4人になってしまった。

彼らは皆、病魔に侵されていた。

一人は双極性障害で、自死念慮がいつもあって、ある時、身投げした。

一人は視力を失いつつある中で、天涯孤独だったこともあり、自死を選んだ。

もう一人は筋力がウイルスに侵されて、寝たきりになる直前に母親に手伝ってもらって自害した。

その後母親は行方不明だと聞く。

 また家族が自死したという友人も多い。残された家族は、本当に大変そうに見える。

わたしも自死念慮に取り憑かれた人に、数ヶ月関わったことがあるが、なんとかギリギリのところで命を取り留めることは出来た。

それは強烈な体験になった。

 彼らは皆、将来に絶望し、自死を選んだ。

以前世間では、筋無力症の自死に関する議論があったけど、答えを導き出すのは難しい。

彼らの立場になって、私達は考えられないのだから、何を言っても、虚しい感じがする。

 私もかつては自殺をいつも考えているような青年だった。

高校時代、原口統三や高野悦子、太宰治に傾倒し、村山槐多やゴッホなど夭折した画家たちを好んで画集などを手に入れていた。

当時は孤独、理解者の不在、悲観、厭世観、そして死の美意識に覆われていた。

中学時代に受けた校内暴力が原因だったけど、そのことを誰にも話すことはなかった。

 19歳ごろからジャズやフリージャズを演奏することで、自殺の代償行為になった。

おかげで生き延びることが出来たけど、自殺念慮は30代の後半まで続いた。

求める音楽が成就できず、絶望の淵にいた。

音楽を実現できないのであれば、これ以上生きる意味がなかった。

美枝子も息子もいたのに、、、

私には音楽しか眼中になかったし、音楽が成就しないということは死を意味した。

幸いにも瞑想に出会うことで、希望を見出し、ようやく命を取り留めることが出来たのだった。

でもそれで自死念慮が終わったわけではない。今でも、ふとしたきっかけで死の思いがよぎる事がある。タナトスを払拭することは出来ない。 自死を美学で語る輩を私は信じない。

三島由紀夫も、いわゆる即身成仏なるものも、どれも死の美学にとりつかれた亡者だ。

カミカゼを美しく語るものも許せない。本当の「死」はそんなものじゃない。

 あるカウンセラーの友人がガンに侵され、死期を言い渡された。

彼女は死を受け入れ、友人知人とお別れ会を盛大にやって、その後、自宅ホスピス的な生活に入った。

近親は娘さん一人だったこともあり、私達が交互に付き添い、看取ったことがある。

死のおとづれを受け入れ、静かに娘さんと友人たちに看取られて旅立った。素晴らしい旅立ちだった。残された娘さんや友人たちに悔いはなく、とても爽やかな別れだった。

 多くの別れを体験した。

どんな死に方が良いとか、語り様もない。

どの場合もそれぞれの、のっぴきならぬ事情があるのだ。

私だってこれから追い詰められて、あるいは衝動的に、自死しないとは限らない。

 ただ今は、いつか必ずやってくる「死のおとづれ」を、静かに待つことが、命に対する最も誠実な態度のような気がしている。

Facebook滝沢 泰平さん投稿記事 ·

世界で最低の場所にある最高の場所、それが死海。「塩分濃度が高くて生物が生息できない海」Dead Sea(死海)の異名を学校の地理で習った時「なんとも不気味な地名が世にあるものだ」と不思議に思いましたが、いざイスラエルにある死海を訪れてみると、ここは死海とはほど遠い命を生かす楽園。

「塩分濃度30%以上だから、プカプカ浮くよ」という死海浮遊体験で知られていますが、これは死海の持つ極々一面に過ぎず、死海は知れば知るほど、世界の中でも貴重な究極の癒しの地。海抜マイナス423m。世界で最も低い、釜底の底のまた底。

標高の高い山の上は、空気が薄く、心拍数も上がる。

では、その反対の海の底の海抜マイナス地点は、逆に空気が濃く「死海の酸素濃度は地上より20%も濃い」と言われています。

高濃度の酸素で頭はスッキリ、脈拍もゆっくり穏やかに。そして死海には「臭素」が大量に含まれており、臭素は精神安定作用があり、死海周辺にただいるだけで、深いリラックス効果が得られます。

不眠症の人が劇的に改善されることでも知られています。

そして、一般の海水は塩化ナトリウムが中心の塩水ですが、死海は塩化ナトリウムだけでなく、むしろ「塩化マグネシウム」が大量に含まれていることが特徴。

塩分濃度は10倍ですが、複合ミネラルも普通の海より30倍以上濃いそうです。

それが故に、アトピー性皮膚炎、関節炎、リューマチ、乾癬などの難病にも効果的である薬湯であり、お肌も髪もスベスベで乾燥肌も良くなる最強の美容液。

そして複合ミネラル64種類も含む死海の泥パックは、2,000年以上も前、かの有名なクレオパトラが魅力され、死海からエジプトまで大量に泥を運ばせたことでも知られています。

それにしても真夏の死海は、完全に温泉レベルの熱湯。

世界最低地点にある超高濃度複合ミネラルの温泉気分です。

やつはイスラエルツアーは、半分以上の人が、この死海体験が大きな目的の1つであり、もれなく全員がプカプカ浮かび、そして皆本物の死海に大絶賛で感動。

夜は星空の下、まるで宇宙遊泳をしている気分となり、耳まで浸かり目をつぶり、全身の力を緩めて死海へ身も心も委ねると、まるでお母さんのお腹の中に還った気分に。

海抜マイナス400mは、紫外線も20%ほどカットされ、光の度合いも地上とは違い、朝焼けに照らされる海面は、この世とは思えないほど幻想的で美しいもの。

一般的なツアーでは「死海よりも教会」が重要視され、死海は日帰り体験、または1泊で短時間滞在となるケースが多いですが、やつはツアーは必ず死海は2泊たっぷり。

半日フリータイムもあり、各々が死海で現実を忘れて自由な時間を過ごせます。

11月ツアーも、もちろん死海滞在はたっぷり。

是非とも世界最低で最高の場所へご一緒に。

これまでの人生の禊をして生まれ変わったようにリフレッシュ。


Facebook船木 威徳さんが過去の思い出をシェアしました。【 反PPK派 】

いま改めて、私はPPK(ピンピンコロリ)反対派と言うことを言っておきます。

反対、というより、FFK(深く触れ合ってコロリ)を理想としています。

人間の地上の命が消える最後の時間をともに過ごす人たちが、その命から学ぶものはとてつもなく、大きく豊かなもの。

「世話をかけたくない」「若い人の負担になりたくない」そんな声をよく聴きますが、何百人もの命が去りゆく姿をそばで見てきた私からすれば、みんな、格好つけすぎ。

どんなに「平凡な」人生だったと振り返る人たちからも、私はあまりにもたくさんのことを学ばせていただきました。

最後の最後、声が出せなくて、涙目で唇を動かすだけになった人たちが、何を伝えようとしているか深く深く、話を聴きとろうとするならそのごく一部だとしてもきっとわかるはず。

感染症だの、マスクだの言うよりはるかに大切なことが、人と人の間にはあるはずです。

集まることをやめてはいけない。声にならなくても、話すことをやめてはいけない。

何より、弱っている人の声を聴くことをあきらめてはいけない。

人間が、人間らしくあり続けるためには「深く触れ合う」ことを避けるわけにはいかないのです。

そして、人生最後の時間に「深く触れ合う」ことに満足できた人こそ、「コロリ」と、亡くなっていけるものだと、私は、いつも感じています。

〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり

6年前 この日の思い出を見る 船木 威徳

2014年9月15日 ·

【 ほんとに『PPK』が理想か? 】

誰が言い出したのかは知らないけど、「PPK(ピンピンコロリ)」という、理想の生き方・死に方を表すという言葉がある。

Wikipediaを見ると、「ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、病まずにコロリと死のうという意味の標語。略してPPKとも言う。」と、書いてあるし、役所関係や、介護、福祉の研究論文などをいろいろと読んでいても、いまだに「理想の生きざま」みたいな疑いを挟む余地のない理想のように扱われていることが多い。

私は、ずっと、この「PPK」に違和感を感じている。確かに、だれの世話にもならず、見た目は大きな身体的な障害もなく、自分のことを、最後まで、一人でできて、「コロッと」苦しまずに死ぬ・・・。いいのかもしれない。60代、70代の人たちは、そのほとんどが(例外はもちろんあるけど)「死にたくない。ねたきりになりたくない。あと、10年は生きたい」と言う。

そして、80代から90代になると「とにかく、迷惑をかけたくない」「苦しまないで、さっさと死にたい」ということを、よく言ってくる。どちらも、本音だろうし、本音ではないかもしれない。というのは、私は、「人に迷惑をかけないで」生きるなんて、不可能なことだと考えているから。

言い方を換えると、『人間が、人間と関わらずに、その関係を希薄にするほど、人間ではなくなる、すなわち、生きられなくなる』と、信じているから。

人間が、親子だったり、親戚や近所だったり、役所や、医療・福祉サービスだったり、なんらかの関わりを持って、生活するのは、「サービス提供者→高齢者」への一方通行の価値や、サービスの提供があるだけ、と考えている人が多いように感じるけれど、それは間違いだと思う。別に、医療や介護といった、直接、体にさわる仕事だけではなく、この世の人と人との関わりは、価値の交換、影響の与えあい、である。

歳がいって、体が弱り、誰かの「世話になる」のは人が生きていく上で当たり前の、いや、なくてはならない「関わり合い、影響のし合い」の、大事なチャンス。

そう考えると、PPKというのは、他者との関わり合いの機会を、自ら避け、こっそり、静かに、ひとりぼっちで、最後へ向かってゆくイメージがぬぐえずに、違和感を感じるのかもしれない。

京都大学元総長の平澤興先生がこんなことを言っている。

『60歳で一応還暦という人生の関所を過ぎ70歳で新しい人生を開き80歳でまた第3の人生が始まり90歳まで生きないと本当に人生は分からない』

世の、人生の先輩たちには、家に、ご自分の部屋に隠れていないで、どんどん、外に出てきて欲しいし、私たち、後輩に「大事な影響を」与えて欲しいと、そう思う。歩けなくても、少々ぼけても、外に出てきて欲しい。そして、当たり前に、年代を超えた、世話を掛け合い、お互いに図太く、生きて欲しいし、自分もそう生きたい。

そして、最後の最後は、「コロリ」のKではなく、互いの「感謝」のKにしたい・・・。

日頃、多くのご高齢の先輩たちを見ていて、敬老の日に、伝えたいことを書きました。