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アラブ500年史(下)

2023.09.16 06:28

  「アラブ500年史」下巻では、第二次世界大戦後の中東が舞台になります。第一次世界大戦以後、現在のアラブの政治・経済の基盤ができあがったといってさしつかえないと思いますが、、この下巻では、第二次世界大戦後のアラブ世界と現在のアラブ世界を結ぶミッシングリンクを紐解いていくような面白さがありました。


  子どもの頃、TVニュースや新聞で見ていた、ターバンを巻いた背の低いアラブ人の演説の映像(今思えば、おそらくPLOのアラファット議長でしょう。)、エジプトのナセルやサダト、リビアのカダフィ、、このような映像では良く見ていた人物がいつ頃何をやってそれが、国内外にどのように影響を射当てたのか。。。それに1970年代のオイル・ショック。。(当時は、世界共通の大切なエネルギー資源・石油を、自分達の政争の道具に使うアラブ指導者やOPECを勝手に悪者と決め込んでいた時分を思いだしました。(こうやって考えると改めて自分がアメリカの傘の下で成長し、自然に西洋的価値観に浸っていたことを実感します。)また、こうやってこの「アラブ500年史」を読んで、西洋世界から搾取され続けていたアラブ人の立場で物事を考えると、自分達の人の住めないような過酷な砂漠に、現代世界が喉から手を出しても欲しい「石油資源」が埋蔵されている、という事実は正にアラーの神からの正統な贈物と感じたことでしょう。。そういったことに思いを馳せながらページをめくり続けたのですが、個人的に特に興味深かったのは、アラブのナショナリズムの台頭と共に激化したアルジェリアの独立運動、アラブ諸国の優等生といわれるエジプトの近代史、そしてやはり、最近のニュースで取り上げられる「イスラエルとパレスチナの問題」でした。


  アルジェリアの独立については、「500年史」上巻のところでも書きましたが、アルジェリアは、フランスの植民地であった歴史が深く、フランスもアルジェリアを自国の県(日本で言うなら日本の神奈川県、埼玉県、千葉県のような行政地域)として扱ってましたし、フランス人のアルジェリア植民も相当進んでいて現地で人々を雇ってプランテーションを築いていた事実もありました。(イスラエルのパレスチナ植民活動もそうですが、植民というのは、侵略値を自国化する有効な手段です。そこに自国民が生活すれば、それが既成事実となりその土地の権利を主張できるからです。)そのアルジェリアが独立運動の隆起により、現地アラブ人、アルジェリアに移住したフランス人、アルジェリアに駐在するフランス軍、本国フランスの右翼、一般人等巻を巻きこんだ熱狂的な一大政治運動に発展したのです。(アルジェリアに駐屯していたフランス軍指導者の一部は、フランス本国に現地軍隊を派遣し、自らのアルジェリア独立反対の意思表示のため、フランス本国へパラシュート部隊を送り、都内で武装威嚇をしようとした右翼グループもあったほどです。


  この時のフランス大統領は、ド・ゴール大統領。ド・ゴール大統領は世界時流の変遷を感じ取り、アルジェリアからのフランスの撤退は時代の必然と感じ取ったのでしょう、アルジェリア独立を支持。そのため、反アルジェリア独立過激派からはたびたび命を狙われます。大都横領の護衛車に爆弾を仕掛けられたこともありました。しかし、フランスの国民投票の結果、フランスは独立を支持。これにより長年のアルジェリアのフランス支配は終わったのです。


  エジプトでは、第二次世界大戦後からナセルが大統領に就任。アラブのリーダー国としての自負を持ってアラブへの外国勢力に対峙します。パルスチナ問題についても、アラブのリーダーとして、アラブの軍をまとめ、建国したばかりのイスラエルに戦争を仕掛けます。また、冷戦時代はアラブ地域で影響力を強めたいアメリカの思惑を感じながら、アラブの独立性も維持するためソ連との協力関係も維持します。また、アラブ諸国間での問題が発生すれば、自らが問題解決にあたったり、、とアラブの同盟国からの信任も厚かったナセルでした。ナセルの後を継いだのが、サダト大統領。彼はナセルが築いた国内政治や外交を継承。しかし、ナセルと違ってカリスマ性のない彼は国民の支持離れを敏感に感じ取り、イスラエル、アメリカ寄りの外交スタンスを取るようになります。そして、イスラエルとの和平を実現するためイスラエルとの直接交渉に乗り出します。当然ですが周辺のアラブ諸国は、サダトを裏切者と敵視。この四面楚歌状態のサダトに当時のアメリカ大統領、ジミー・カーターが助け舟を出します。このサダトの和平姿勢をアメリカ国民は広く支持。イスラエルはこれにより譲歩せざるを得なくなり、ついに、エジプトはアラブ世界においてイスラエルとの単独講和を結びます。(1979年アメリカ、ホワイトハウスでの「エジプト・イスラエル間最終的平和条約調印)しかし、サダトの反対派は、1973年の中東戦争で対イスラエル戦でのエジプトの軍事的指導力を讃える「国軍記念日」にイスラーム主義者の反対派兵士により射殺されます。(このサダトの後を継いだのが当時の副大統領、ムバラク。彼は2011年のいわゆる「アラブの春」による民衆運動により失脚、エジプト革命が始まります。)


  1970年代末には、イランで現代中東史上、最大の出来事といわれる「イラン・イスラーム革命」が起きます。これは、それまでのアメリカが支持していた国王がイスラムの宗教指導者主導による民衆革命によって打倒された事件です。この革命によりアメリカはこの地域の影響力を弱めることになり、この革命は石油の安定供給にも影響をあたえそれにより石油の国際価格の上昇を招きます。おそらく、アメリカをはじめとする西欧諸国は、アラブの人々の心情を理解しきれていなかったのでしょう。。イランのイスラム革命もそうですが、イスラム教の根本精神に根ざすアラブ人にとってはアメリカのイスラエル寄りの外交はあまりに無関心・無頓着に感じられたのだと思います。西欧諸国側では一般に、過激組織とみられている「ハマス」「ヒズボラ」などイスラム原理組織が現地アラブでは、広い支持を集めているのが現実です。


  パレスチナ問題に関しては、どうして今このようになっているのか、、例えばガザ地区とかヨルダン川西岸地区といった区域の成り立ちや、少ない機会ながらもその機会をイスラエルとアラブの和解に努力した人々が存在したこと、この問題を国連でも幾たびか取り上げたのにも関わらずこの問題を解決できない、国際的な状況、、などなどそういった本書で語られているような事実の積み重ねが、今日のパレスチナ問題、そして中東を創っているのだと現実感覚で理解できました。。。


  これまでは、シリア、ヨルダン、レバノン、エジプト、イラン、イラク、サウジアラビア、アラブ首長国連邦といってもその存在が地図上のどこになるか、あまり気にも留めなかったのですが、この本の読後には、例えばシリアはここ、レバノンはシリアとパレスチナの間の小さい国、、と初歩的なことが頭に入るようになったことも(些細なことですが)良かったと思います。些細なことと言えば、先に紹介した「イエスの生涯」。あの本を読んでわかったことが、イエス・キリストは生涯パレスチナ地方で過ごしていたという事実でした。キリスト教はローマ帝国の国教にまでなったのだから、当然イエスも当然ローマを訪れたことがあるのだろうと、勝手に思っていたのですが、そんあことはありませんでした。また、キリスト教で言えば、ユダヤ人が一般的に迫害をうけるのは、イエスの弟子の一人、ユダがイエスを裏切り、その子孫がユダヤ人だから、、と思い込んでる人もいますが、そんなこともありません。。。(当然、こういったことは西欧では幼い頃から親や教会から聞いて理解していることだと思います。)「アラブ500年史」の読後、グローバル時代に住む我々にとって、こういった些細な異文化知識の積み重ね(学び)も決して無益ではないと思ったりしましたが、みなさん如何でしょうか。。。。