大飯原発差し止め訴訟 第1回口頭弁論での意見陳述
現地から、このような情報がありましたのでお知らせします。
大飯原発差し止め訴訟 第1回口頭弁論(2013.2.15)で、原告のひとり、今大地はるみさんがおこなった意見陳述の全文です。
<意見陳述書> 今大地 晴美関西電力大飯発電所3,4号機の再稼働が決定したとき、野田首相は国民の生活を守るために再稼働をするのだと言い放ちました。
原発銀座とよばれる若狭の地に住むわたしたちにとって、まさにその言葉は、お前たちは国民のために犠牲になってもらうといわれたのと同じで す。わたしたちすべての国民は、憲法や地方自治法によって、平等であることや基本的人権を国や地方公共団体によって守られているはずです。確かに、原発立地自治体は国からの三法交付金や電力会社からの固定資産税、立地県が定める核燃料税に加え、直接電力会社からばらまかれる寄付金など、いわゆる原発マネーによって財政は潤ってきたかもしれません。しかしながらそのメリットは、原子力発電所内で起こる様々な事故によってもたらされる放射能汚染というとてつもなく大きなリスクの上に成り立っているのです。
原発マネーという甘い蜜は、立地自治体の住民に雇用と経済の活性化を与えてはくれましたが、わたしたちは、その甘い蜜が麻薬であることに長 い間、気が付かないまま・・・いえ、気が付いていたけれど、実際は声を上げることができなかったのです。地域で暮らす住民の多くが何らかの形 で、原発に依存しなければ生活できなかったからです。原発は怖い、放射能も怖いと心の中ではつぶやけても、家族の誰かや、友人、知人、親類の誰かが原発で働いているという現実の前では、見ざる、聞かざる、言わざるを通さなければ、暮らしてこられなかったのです。
わたし自身もそうやって長い間、声をだせずに敦賀という原発立地自治体で暮らしてきました。親が、商売で原発に品物を納入し、そのおかげで わたしたち家族は生計を立ててきたからです。わたしが大学まで進めたのもそのお金が、あったからにほかなりません。
わたしの夫は、敦賀市内で小さなおでん屋を営んでいます。その店にも、原発関連の企業や、電力会社で働いている方たちがお客さんとしてやっ て来ます。見ざる、言わざる、聞かざるでなければ、暮らせない環境に甘んじてきたのが、わたし自身なのです。
原発とおよそ半世紀にわたって生きてきた、わたしたち立地自治体の住民は人間としてとても大切なものを失ってしまいました。失ったというよりむしろ、奪われたというほうが正しいのかもしれません。それは「考える力」と「思ったことを口に出せる自由」です。サイレント・マジョリ ティという言葉があります。声を出せない多数の人々は、国や地方自治体や電力会社にとっては、まことに都合のよい住民ととらえられているので しょう。実際は、その構図をつくりだしたのがいわゆる、原子力ムラと呼ばれる利権構造であったにもかかわらず、わたしたちは声をのみ、耳をふさぎ、見て見ぬふりをしながら、考えることも放棄せざるを得ない状況に、置かれ続けてきました。これが果たして、人間らしい生き方だといえるのでしょうか。その生き方を選んだのは、お前たちだといわれるのはなぜでしょうか。お金をもらっているくせに、となぜ言われ続けられなければ ならないのでしょうか。
原発は沖縄の基地と同じく「差別」が産み出したともいえます。「日本の国民のために」という大義名分によって生み出された差別です。
今もなお、多くのフクシマの人たちが、放射能汚染という見えない恐怖におびえながら、不自由で苦しい生活を余儀なくされています。2年前の フクシマの事故は、この若狭の地に住むわたしたちにとって決して、他人ごとではありません。とくに、若狭地方には活断層がほかの原発立地地域 よりはるかに多く存在しているからです。おたまじゃくしのしっぽのように細いこの地に、廃炉が決まっているふげんを含め、15基の原発が集中 しています。福井県内の原発でフクシマと同じような事故が起こった時に、逃げる道路も避難する場所さえないのも同然のところで生活しているわたしたちには、不安と恐怖が常に付きまとっているのです。
再稼働されてしまった大飯3,4号機の敷地内でも活断層だと明言する科学者が多数を占めています。しかしながら関西電力は、活断層ではないことを証明するための証拠探しに躍起になって、調査を続けているところです。そして調査を請け負っているのは、原子力ムラの一角を担う大企業 の三菱マテリアルの子会社である「ダイヤコンサルタント」という会社です。顧客である関西電力の希望通りの調査内容に仕上げるためにかかる何百億円とも言われる調査費用は、関西電力から電気の供給をうけている人たちの電気料金に上乗せさせられ、関西電力もコンサルタントも三菱マテ リアルも原子力ムラは、利潤を上げ続けているのです。
わたしたちを取り巻く差別と原子力ムラの利権構造がなくならないかぎり、この地で再び、フクシマ原発事故の悲劇が繰り返されることは言うまで もありません。原発の存在は、地域の民主主義を破壊し、地域に住むわたしたちの基本的人権を侵害しているのです。
わたしは、半世紀にわたり原発と生きてきた町に暮らしているわたしだからこそ、今ここで声を上げなければならないと決意し、原告に名を連ね ました。原発を止めることができるのはこの地域に暮らす住民だと信じているからです。フクシマの原発事故の悲劇をふたたび繰り返さないため に、そしてわたしたちの子どもや孫の世代に、放射能汚染という大きなつけを背負わさないために、この美しい若狭の自然を破壊させないために、 わたしたちが自由と考える力を取り戻すために、原告として闘い続けます。
最後にこの裁判において、わたしたち住民の命を守るために従来の判例にとらわれない適切な審理が行われることを切に願っております。
もう一つ、裁判官のみなさんにぜひ読んでいただきたい本があります。大鹿靖明さんが書かれた、「ドキュメント福島第一原発事故 メルトダウン」というノンフィクションです。ここに書かれているのと同じことが、30秒後、あるいは3日後、1年後かもしれないけれど、フクシマのよう なマグニチュード9クラスの地震が起こった場合、この若狭の地でも起きるのだということです。ぜひとも読んでいただいたうえで、わたしたち立 地地域の住民がおかれている状況をわかっていただき、審査してください。お願いです。わたしたちの命をどうか守ってください。
こちらの被告席に座っているみなさん 本当に原発を止めることができるのは、あなたがたなのです。関西電力の下請けで働く派遣の作業員の 方々の命もここに座っているみなさんの命もわたしたち若狭でくらす住民の命も命の尊さや重さは、みんな同じだということをわかってください。 どうか経済や雇用やエネルギーとわたしたちの命を天秤にかけないでください。心からお願いします。これでわたしの意見陳述を終わらせていただきます。