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【ラスト2週】サポーターズが紹介したい本①

2023.09.17 05:41

 こんにちは。

 日中は相変わらず30℃超えですが、9月も半ばに入り、月見バーガーが始まったり、秋服ばかりが並んでいたり、じわりじわりと秋が深まってきています。

 何より読書の秋ですよね。スポーツ(観戦)の秋にうつつを抜かしてはいけない。


 さて、前々回お伝えしましたように、9月の最後、24日、100回目の更新をもってポラン堂古書店サポーターズ日誌である当ブログ、の定期更新を終えようと思っています。

 そんなわけで今回と次回は最終回企画。

 あれやこれやと考えましたが、結局は毎度のごとく自分が紹介したい本をこじつけられるテーマ探しとなるわけで、それだったらもう、最後に紹介しておきたい本をテーマにすればいいんじゃないかと、純粋に思ったのでした。

 ポラン堂古書店を一緒に応援する友人たち、勝手にポラン堂サポーターズと呼ばせていただいた彼女たちにも声をかけ、ラスト2週駆け抜けたいと思います。

 今回は江戸川乱歩といえばでお馴染みの香椎さんと、プロの作家でお馴染みの阿月まひるさんです。嬉々として最後の企画に参加してくれたこと、感謝しかありません。センスあふれる二人のチョイスと熱い文章を、ぜひご一読くださいまし。






『辻村深月編 江戸川乱歩傑作選 蟲』 ~香椎さん~

 最後に紹介する本として、何がいいかな、と色々と考えておりました。

 乱歩から離れるのもありかもしれない。けど、私には乱歩しかない……と考えながら本棚と漁ったところ、「やっぱりこれしかない!」と手に取った一冊です。

 「結局最後まで乱歩か」と思ってくださった方もいらっしゃるかもしれません。それならば本望です。


 たびたび名前だけ挙げておりました、辻村深月さん編集の傑作選です。本シリーズは、桜庭一樹さん、湊かなえさん、本作辻村深月さん編の三冊が刊行されていますが、三冊の中でもひと際「エロ・グロ・ナンセンス」に傾いた一冊です。


〈収録作品〉
 白昼夢
 鏡地獄

 芋虫

 人でなしの恋

 蟲

 押絵と旅する男

 防空壕

 目羅博士の不思議な犯罪

 盲獣



 随筆

 残虐への郷愁

 レンズ嗜好症

 妖蟲


 編者解説 あまりに優しき、青春の書


 一つ一つ語っていけば腱鞘炎になりそうなので、ここでは「先生(店主)がお好きな『押絵と旅する男』が収録されています!」とだけ記しておきます。(好きが高じてよく授業で取り上げられているそうです。)


 この中で、ぜひ読んでいただきたいのが、編者解説『あまりに優しき、青春の書』です。

 大好きな作品の一つである『芋虫』を中心に書かれています。


「『芋虫』を読んで、そのあまりの優しさに泣いてしまった」
(中略)
「この小説を「あまりの優しさ」という言葉でくるむように受け止めた人がこの世界のどこかに、すでにいる。その事実が泣き出したいほど、その時、嬉しかった。」


 『芋虫』について書かれた冒頭部分です。辻村さんが尊敬されている作家さんのエッセイを読んで『芋虫』が「優しいお話だ」と知ったそうです。そして読んでみて、辻村さんも同様に感銘を受けたそうです。


 読んだことがある方の中には、「どこが?」と思われた方もいらっしゃると思います。

 辻村さんも優しさを感じなかった方と出会われたと書いています。


(辻村さんが「乱歩の中で芋虫が一番好き」と伝える)すると、彼女の顔色が変わった。
「ええーっ、それ、『蟲』か何かと間違えてるんじゃない? 私、最初、あの小説読んだ時に奥さんが怖くて気持ち悪くて、うえーってなったよ」
 その表情を見て、私は自分が答えを誤ったのだと悟った。あわてて、「そうかも」と言ってしまう。

そして、茫然としながら思った。大学の、読書好きの友達との間でもこうなのか、とかすかなショックを受けていた。

乱歩作品の多くに共通する、所謂“乱歩的なもの”に惹かれることを、それに惹かれない人に説明するのは難しい。

 「芋虫」を読み、それを「気持ち悪い」と断じる人がいる一方で、それを「優しさ」や「美しさ」という言葉で表す人がいる。美しさ、優しさの基準は正解があるものではなく、自分の心のままに決めていいものなのだ、と私は乱歩を通じて知った。


 『芋虫』は戦争で四肢を失くした須永中尉と妻・時子の関係を描いた作品です。生きて帰ってきたは良いものの、口もきけない夫との生活はままならず、夫の世話に悩み苦しんでいた時子は、次第に加虐的な行動をとるようになります。


 しかし、時子は怖い人ではありません。四肢を失くしたことで、二人の関係が変わってしまっただけなんです。現代で言うと、誰の助けも得ずに、認知症の夫を介護しているようなものでしょうか。とても辛かったと思います。

 時子の加虐場面を性的な意味合いが強めで「耽美」と捉える方もいらっしゃいますが、須永中尉は己の取るべき責任として、行為を受け止めていたのだと思います。夫婦どちらも苦しかったのだと思います。


 乱歩作品は基本的に「気持ち悪い」話なので、王道や綺麗なお話が好きな方には好まれづらいし、万人受けするものではありません。ゾンビなど、ホラー小説系の気持ち悪さなら、そういうものとして受け入れやすいのだと思いますが、乱歩のような「人間の内面的な気持ち悪さ」は、現実と結び付けて余計に気持ちが悪いのだと思います。

 また乱歩好きの中にも、気持ち悪さを楽しむ方や、気持ち悪さの中に別の何かを感じ取る方もいらっしゃいます。


 私も、辻村さんと似たような経験があります。「女性は普通、乱歩読まないよ」とか「芋虫の奥さん怖い」とか、単純に気持ち悪いと言われたこともあります。

 今はジェンダーの話がしたい訳ではないので割愛しますが、私も辻村さんと同様、『芋虫』定期的に読み返しては、須永中尉の優しさに打ち震えるタイプの読者なので、単純に否定されるのは非常に悲しいです。しかし、優しい話だと受け取った方がいらっしゃるのを知って、崩れ落ちるほど嬉しかったです。救われたような気分でした。


 今はSNSで他者の感想が簡単に見られるようになって、いいねがたくさん付いている発言や、投稿数の多い多数派の意見が正解だと思われがちです。それを見て、自分の感じ方は間違っているのだなと思うこともしばしばありますが、そんなことは絶対にありません!感じ方は人それぞれです!

 と力強く言える人間であれば良いのですが……。

 少なくとも、『芋虫』に優しさを感じる方に届けば、これ以上に嬉しいことはありません。


 最後になりますが、あひるさん、本当にお疲れ様でした!



  


大童澄瞳『映像研には手を出すな!』 ~阿月まひるさん~

 私事であるが、三年ほど前に引っ越しをした。その際『映像研には手を出すな』の既刊を全部、新居(とはいえ別に新築とかではない)に持っていった。実家に置いている、大切な本もたくさんあるのだけれど、この本に関しては手元にあったほうがいいなと、当時の私は判断したのだった。実際、手元にあって良かったなと思うことが何度かあった。


 『映像研には手を出すな』、私などが改めて言わずともみんな知ってるだろうとは思うのだが、あれは創作賛歌の物語である。教訓くさいわけでもなく、登場人物らがのべつまくなし賢いのでストレスなく、創作っていいなーと浸れるわけである。


 というわけで、大なり小なり創作に手を出している人種は、漫画を読むことに抵抗がなければ大体、読んでいらっしゃることだと思う。おっとアニメ化もしている。で、何故そんな大人気漫画をいまさら取り沙汰するかというと、これまた私事であるが、創作に対する認識がちょっと変化したからである。


 「書かなきゃ死ぬから書く」「だから作家になった」という文言に、私はとても抵抗があった。生きることは楽しいし、書くことも楽しいから書いていた、書くと何かしらが満たされるから書いていただけの人間にとって、その言葉はあまりにも厳かで、肌に馴染まなかったのだ。

 しかしながら、引っ越しに伴う環境の変化があり、私は今までの「実家でのんきに衣食住を担保してもらいながら悠々と余暇で小説を書く」という、こうやって文字にするとかつての自分に腹が立つほどの幸せライフを手放さなくてはならなくなった。それは自分の選択であるからして、ようするに全く誰の責任でもなく、私自身のおこないの結果によるのだが、まあとても、小説を書くという行為に対してあらゆる制約ができてしまうようになった。

 大概の小説書きがニュートラルにやっていることを、なにを大仰に、ってなもんであり、この書き方自身が世の中を舐め、翻っては人生を舐めているのと同義であるのだろう、が一旦それは置いといて! 置いといてもらって! 小説を書く時間の捻出、なんで小説なんか書くの? という他人の目、その他もろもろで「小説を書くのって、贅沢なことなのでは?」という思考にぐるぐる陥った私は、今をもって割とスランプである。


 そんな状態の人間には刺さるんだよな、映像研。


 高校生だから、学生だから、というのはあるにしろ、「つくりたいからつくるのだ!」「邪魔はゆるさねえ!」「私たちの世界を見ろ!!」というそのまぶしいまでの創作に対する、己の手腕に対する、信頼。

 浅草、金森、水崎の初期メンバーに加え、百目鬼、桜田、ロボット研究部。最新刊では生徒会メンバーまで彼女らのサポートに回り、彼女らの「創作」を守った。個人的には最新刊のありかたに思うところがないわけでもないけど本筋からずれるので今回は割愛する。創作賛歌とは、創作と自分の力を信じること。世に出すこと、世に問うこと、世間さまの返事を、自分の糧にすること。刺さるわ~。

 推しは徹頭徹尾、金森氏なのだが、めちゃくちゃ泣かされたのが桜田氏。あのエピソードずるくない? ずるい。映像研+百目鬼氏の世界を、共有できなかった彼女が、そこで折れるんじゃなくてなにくそぉ!と入っていく過程、涙腺にきく。


 で、また私事に戻る。「書かなきゃ死ぬから書く」、残念ながらこれはまことだった。書くことは自己を認めることだ。すべての物語には思想が出る。思想とは自我だ。自己だ。自己を発露できないと、死にたくなる。書くことは満たされることだ。満たされなければ、人生は楽しくない。のかもしれない、と私は思うようになってしまった。できれば、気づきたくはなかった。

 ぬくぬくとモノトリアムのまま100歳まで生きたかった。それができないから、人の目を盗んで、時間を惜しんで、心を砕いて書くしかなくなった。そうしないと、自分の価値を感じられなくなってしまった。このままいけば承認欲求の化け物としてラベリングされるやもしれない。つまらないなあ、現実ってやつは。

 そんな風に人生に対して立ち向かわなくてはならなくなってしまった私は、映像研の少女たちが、「つくりたいからつくるのだ!」のまま永遠を邁進してくれることを、一読者として願っている。





 お二人、ありがとう。お疲れ様でした。

 香椎さんは乱歩回やサポーターズ合同の企画など、今回を含めて7回も記事を担当してくれました。先生(ポラン堂店主)の繋がりで知り合って、大学も違うのだけど、毎回サポーターズ日誌の参加にすごく意欲を出してくれて、毎回の文章のクオリティも高くて、モチベーションにさせてもらった。本当にありがとう。ポラン堂古書店の香椎さん棚こと乱歩棚は引き続き人気を集めている模様です。

 阿月まひるさん、友人でありながらプロの作家さんで、すっごく忙しい中で講演のレポやサポーターズ合同の企画で5回も記事を書いてくれました。対等に接してくれる友人だけど、彼女が担当してくれるたび、ひそかに箔がついたような心強い気持ちでした。すごくありがとう。最後に『映像研~』を選んだ阿月さんに、ああ漫画の回とかやりたかったなぁと思い出したりした。またやるかもです。

 ということでラストは来週、100回目の記事となります。

 既に言葉でも内面でも感謝感謝に溢れていますが、あともう少しお付き合いくださいませ。