「宇田川源流」【現代陰謀説】 「宰相は孤独なり」から「そして誰もいなくなった」習近平
「宇田川源流」【現代陰謀説】 「宰相は孤独なり」から「そして誰もいなくなった」習近平
毎週金曜日は「現代陰謀説」をお届けしている。現代に生きる陰謀を見ながら、報道の中からファクトお読み取り、そのうえで、その内容をいかに考えてゆくのか、またそれを見抜くのかということを連取する内容である。
さて、本日は中国の話である。中国では習近平の独裁体制が確立したといわれている。「独裁」とは何か。多くの人が「独裁」ということの意味を、なんとなくわかっていながら、しっかりとした定義を見えていない状態ではないか。独裁とは、少数者に権力が集中し,大衆の政治的自由が抑圧されている統治状態。専制とは異なり,被支配者である大衆の政治参加と積極的支持に基づく点が特色である。辞書などによればこのような「定義」になる。
しかし、私のような人間からすれば、「独裁」とは「その権力構造のナンバー2以下全員が、独裁者の恣意的な感情によって地位が安定しないという恐怖による支配構造とその支配構造を維持するための権力の集中」ということがあり、同時に「その権力の集中に対しては、多くの人の嫉妬と怨嗟を生みやすく、またその決断に関して相談できる人がいないために孤独になりやすいために、政治的または人事的決断に関してはより恣意的な判断を招くことになる」というような定義になる。もちろん独裁であるから支配がおかしいとか、または政治的決断に劣るというようなことはないと思われるし、また、その内容に関して派個人の能力は支配機構などの動きによって変わってくるのであるが、しかし、私の定義にあるようにナンバー2のように、最も独裁者に近く、また、独裁者の目の届く場所にいて、なおかつ独裁者の力に拮抗する勢力を持つ可能性おあるものは、最も狙われやすいということになる。
戦国時代の話であるが、柴田勝家の配下になって北陸遠征を命じられた羽柴秀吉は、柴田勝家と喧嘩をして居城の長浜城に帰ってしまった。その時に、秀吉の軍師竹中半兵衛は、毎日猿楽を呼び、遊び、そして遊興を極めよという支持を出した。「信長のような独裁者は、間違いなく謀反の疑いをかける。その為に、金庫が空になり戦う力がないように見せ、なおかつ、反乱の石がないことを示すのが最も身の安全につながる」という。まさにこれが独裁者の部下の心得であろう。
中国国防相の動静途絶え憶測
中国の李尚福国防相の動静が2週間にわたり途絶えています。中国では1か月間、消息を絶った外相が7月に解任されていて、李国防相についても憶測を呼んでいます。
中国の李尚福国防相はことし3月に就任し、6月には浜田防衛相とも会談しました。
ところが、先月29日に北京で開かれた「中国アフリカ平和安全フォーラム」で演説したのを最後に、活動の情報が途絶えています。
中国では外相を務めた秦剛氏が1か月間、消息を絶った後、7月に解任されたほか、汚職疑惑が取りざたされたロケット軍の司令官らも突然交代しています。
アメリカは、トランプ前政権の時代に李国防相を制裁対象としていますが、中国側は制裁の撤回を求めていて、米中国防相会談は実現していません。
アメリカのエマニュエル駐日大使は、中国高官の相次ぐ交代について「今やアガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなった』の登場人物のようになっている」とSNS上に投稿し、「誰がこの失業レースを制するのだろうか?」と皮肉っています。
2023年09月13日 13時27分TBS NEWS DIG
https://news.nifty.com/article/world/worldall/12198-2551871/
中国やロシアが「共和制」を歌っていながらも、独裁国であることは明らかである。実際に、「共和制」であるということは、多くの人が投票によって厳守を決めるのであるが、一方でその選挙システム、もちろん投票行動だけではなく情報の統制や立候補の制限などを行った場合には、すぐに独裁が行われる土壌になる。世界で最も民主的であると評価されたワイマール憲法からナチス・ドイツが生まれたことは、民主制が最も独裁制に近いということを歴史から学ぶことができるものではないか。
独裁が始まった場合、独裁者は、自分に向けた権力への嫉妬や自分が行った粛清などにおける怨嗟が向かってきていることをよく知る。同時にその権力を他者に渡した場合、当然に自分または自分の親族が最も先に、その怨嗟の対象として粛清されることを知っているのではないか。先ほど、独裁とは権力者が恐怖によって支配する構造であるということを書いたが、まさに、その「独裁」とは、同時に「独裁者自身を、将来の復讐または革命など独裁的権力を手放したのちの恐怖によって自分で自縛している構造」であるということにも気づくはずである。
そのような権力構造と権力者の心理が見えてくれば、当然に、その内容に関して見えてくることは明らかではないか。基本的には「疑心暗鬼」がすべてを支配し、お互いの恐怖をもとに物事が推移する世の中になっており、中国共産党の上層部は、すべてその構図で支配されているということがよくわかるはずだ。
さて、、その犠牲者になったのが一人目が外務大臣であった秦剛であろう。香港のテレビ局の開明派のアナウンサーと不倫をしたことによって更迭されている。ある意味で、開明派とは、民主派に近い。同時に「民主派」とは、独裁者から権力を奪い分散化することを合法化・制度化するシステムであるから、当然に、そのようなことを認めるはずがないのである。しかし、秦剛外相(元職)は、そのようなことよりも、多分女性的な魅力を優先し同時に、外国とのパイプが必要などといって、それを正当化していたところ、権力者の疑心暗鬼の犠牲になった。当然に「アメリカに情報を売っている」というような話になる。
同様に、今回は国防大臣が犠牲になった。まあ、国防をやっていれば当然に情報漏洩には気を付けなければならないのであろうが、それにしても「またか」という感じになる。このように見ていれば「習近平の新体制は人材がいなかったのか」という事にもなるしまた、その人材がいない中でまた新たな人を指名するのであるから質が下がってゆくということになることは明白であろう。今回も何があったか、公式の理由は何かはまだわからないが、それにしても「疑心暗鬼」と「独裁者の恐怖」であるということは間違いがないし、同時に、もしかしたら旧西側諸国の中に、そのようなことを画策し、わざと近づいているかのように見えるような行為をしている人がいる可能性もあるのだが、そこまでの話はまだ証拠はない。
いずれにせよ、独裁政権というのは陰謀を仕掛けることもあるが、逆に陰謀を仕掛けられる可能性も少なくない。そして、それが中国共産党の中の権力争いなど、様々な場面で使われるということを覚えておくと、今後の中国の政治が見えてくるのではないか。いずれにせよ、戦争を回避するという動きを見せた国防大臣が更迭されたということの意味を日本はもう少し真剣に考えるべきであろう。