人智、人力が及ばないもの。
私は高齢だからどうしても昔の話を度々してしまう。それも耳学問や過去に読んだ書物の受け売りが多い。
米は食べられるまで八十八回も手がかかるので
八十八で「米」という文字が出来たそうだ。
江戸時代は確かにそうであろう。
田起こしは無論、植えることも水やり、草取り、刈り取り、脱穀、その玄米を入れる収納バッグの俵も手編み、手作業である。
今ならほとんど大なり小なり機械作業となり省力化が進み手作業は三十回ぐらいで済むのだから、、
三十、、、「汁」という字が当てはまったりして。
時代は飛んで省力化が進み人手がかから無い分米価が安くなった。
江戸時代には一俵「60kg」1両。「12、3万円」だったものが昨今は政府買い上げ価格12,000円で十分の一である。
温暖な気候といわれる最近は北海道でも稲作が盛んだそうだ。
温暖な気候は何も今始まったわけではない。
太古の時代の海岸線は今より4、50km内陸にあった。当地宮城県では半分くらい海の下の時代があった。
私の生地である涌谷町は「奈良の大仏様の顔料の金を献上した」とされた町と言われているが、そこには縄文時代の貝塚が至る所にあり当時は海が国土の半分ぐらい覆っていたのが想像できる。
当時は産業もなく排気ガスなど皆無だったのにもかかわらず、気温は暖かく、東北地方北部にも人が沢山住んで居た。
青森県の三内丸山遺跡などがそうだ。
暑い暑いの今年はいまだに治らない。
こんな暑さで北極の氷が溶けて海岸線が内陸に押し寄せてくるかもしれない。
この暑さは気象学者によって解明されていて、台風の発生などもそのメカニズムはよく知られてる。
地震も同様だが研究、解明されてもそれらをコントロールする術はない。
地球や宇宙のパワーは人智、人力の及ばないところだ。
何百万ヘクタールあるか知れない農地に雑草のない世界がある。
その世界を作り出すのは機械であり農薬、肥料によるものだ。大自然の力より人智、人力が勝る世界である。
一方身近な住まいの僅か100平方メートルの宅地に雑草が生え放題で手付かずのジャングルがある。
家屋の分を差し引いて土の見えるところは10平方メートルあるかないかのスペースである。
機械や農薬の使用をしないいわゆる江戸時代の稲作のように八十八回の手作業で自然界をコントロールしようとしているのだが暑い、虫が嫌い、汚れる作業は嫌いなどで放置している。
農薬を使用しないから薬害のない綺麗な環境の中、雑草は健康にすくすくと育つ。雑草の屋敷も山暮らしと思えば快適だろう。
広大な農地を人智、人力で雑草のない世界を作れる一方で極小の敷地を人智、人力を持ってコントロール出来ない世界がある。
除草剤など農薬を使用しなくても繁茂する夏の間、しばらく我慢してればやがて全ての雑草は冬将軍の前に平伏す。
人智、人力を超えた自然の神々しいパワーに叶うものはない。
徳川家康の遺訓に「及ばざるは過ぎたるより勝れり」とある。
3年前は雑草の中に芝があった。除草剤と化学肥料の力と毎月芝刈りで雑草から縁が切れた芝庭です。
雑草の繁茂するお庭のリフォーム。施工から1年経過。