記事より:会社は遊園地ではない
これが約50年以上も前の記事だというのであれば、まるで今の社会を見据えたようなお話だし、読み進めていくと、経営者の違和感の本質は今も昔も変わらない、ということなのかも知れません。
最近、AbemaTVでやっていた「会社は学校じゃねぇんだよ」は私も大好きで全部見たのですが、この盛田さんのお話もそれに通じるなと思って背筋を伸ばして拝読しました。
また、今日たまたま以下のような話をしていたので、尚の事強く感じた次第です。
「楽」という漢字ですが「らく」「たの(しい)」と読みます。
これに「仕事」をかけてみると、「楽な仕事」「楽しい仕事」となります。
同じ漢字を使っていても、全く別の意味になるように思います。
「楽で楽しい」ければこんなに良い仕事はないでしょう。
私もできることならば、そんな仕事をしたいし、スタッフにもして欲しい、会社として、その両立を実現したい、といつも考えています。
でも、「高次元で楽しい」と思える瞬間には必ず「難しい」がセットになることが多いように思います。
ゲームにしてもそうでしょう。
スーパーマリオであれば、ラスボスであるクッパを倒す(もしくはそこまでたどり着く)のは難しいですが、それを倒したときの高揚感はまさしく「楽しい」だと思います。
一方で、最初のクリボーだかノコノコだかをジャンプして避ける作業が延々を続くゲームだったら、それは「らく」だけど「楽しい」とは程遠いものになるかも知れません。
いや、それが「楽しい」と思う人もいても構いません。否定もしません。
ただ、そういう人は、今の当社では絶対に活躍はできないでしょう。
話を戻しますが、この盛田さんの記事の全ページ、一文一文から何かを感じられると思うのですが、会社は組織である以上、構成してるメンバーには必ず期待されている役割と、こう動くべき、という指針が絶対にあります。
野球のポジションと打順を考えるとわかりやすいかも知れません。
ポジションが流動的に動くサッカーにおいても、やはり主たる定位置と役割はあると思います。
組織はそれを前提に採用計画や事業戦略を立てています。
我々のような数人しかいない会社でも、一人あたりの役割が複数に渡ることはありますが、基本は同じです。
その要件に合わせて、採用をしているつもりですし、採用すべきです。
つまり「何人採用したい(しなければいけない)」という目標以前に、「何を期待するのか。何をしてほしいのか」というミッションありきで採用は行われるべきです。
ましてや仮に「男性を何人採用したい」等という目標でそれに数字を合わせに行く事があるとしたら、それはあまりにも思考が止まっています。
プロジェクトタネでも、採用の際に「何を任せたいのか」「どの領域でパフォーマンスを発揮してほしいのか」を必ず伝えているつもりです。
また、それに同意をして入社してもらっています。
盛田さんのもおっしゃっていますが、これが採用における仕様書であり、契約の内容です。
これに対して、同意なく、勝手に意思を変えることは基本的には許されません。
ミッションを遂行できないというのであれば、お互いに不幸ですので、組織にいてもらうことはできないでしょう。
*この場合の「遂行できない」というのは能力的な欠如ではなく、やるという意思の欠如の方を指します。ちゃんと取り組んだ結果の「できなかった」は咎めません。それは上司の力量不足だからです。
私は「やって、できなかった」は許容できますが、「逃げて、やらなかった」は許容しません。
今の環境で「楽しく仕事をして欲しい」という気持ちは私にとっても違いありませんが、それは必ずしも「楽な仕事をして欲しい」という意味ではありませんし、ましてや「Funnyな面白さの仕事をしてほしい」わけでもありません。
「楽しいことをしたい」
「面白いことをしたい」
「楽しく生きたい」
そう願うのは大いに結構ですし、私も同意です。
ただし、自由や権利を主張するには必ず義務が発生します。
会社は利益を出さなければ存続できません。
会社はお友達の集まりでもありません。
でも一方で、所属するメンバーの人生の大部分を担ってはいます。
それを前提に置いたうえで、自由に楽しく働いて欲しいなと思います。