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キャンピングカーで日本一周

8月29日 にかほ市→酒田市→三川町(64km)

2018.08.30 02:38

朝、車の背後から聞こえてくる男性達の楽しげに談笑する声で目覚める。「ああ、外国人の方達だ。フランス語かなぁ」と、ぼんやりと思いながら窓から外を眺めると……。そこにいらしたのは、バリバリの日本人男性でした。そうか、ここは東北。太宰も「津軽弁とフランス語は似ている」と何かに書いていたけど、確かにリエゾンが効いた流暢な語り口。音声で判断する機械があったら、絶対にフランス語と判断するだろうなぁ、と妙に納得。


さて、一行は居心地の良かった道の駅に名残惜しさを感じながら、象潟を後にし、山形県酒田市へと向かう。


国道沿いの畑には白っぽい砂地が目立つ。このあたりは、砂丘のような地質が広く分布しており、江戸時代に酒田の大地主 本間氏が、砂防と土質改善につとめたという歴史がある。

酒田市は山形県第三の都市。一見すると、日本中に よくある寂れた地方都市のようにも映るが、平安時代には出羽の国府が置かれ、以来山形・秋田の政治、文化、経済の中心として栄えた湊町。室町時代には海運業の36人衆と呼ばれた豪商が諸国を巡り、京文化の影響を色濃く残しているという。

江戸時代には、日本海側の重要な海運ルートである北前船の寄港地として、「西の堺、東の酒田」と並び評されるほど、日本屈指の港町として名を馳せていた。


いにしえの酒田の繁栄ぶりを知るには、まず湊へと向かわねば、と一行が向かったのは酒田港の隣にある日和山公園

文人墨客がここから日本海を眺め、船乗りはここで船出の気候を見極めたという。ここで車を停め散策することに。

芭蕉「暑き日を 海に入れたり 最上川」の句碑をはじめ、与謝蕪村、正岡子規、田山花袋、志賀直哉など、文豪の句碑がある散歩コースもある。

公園中央には、2分の1縮小サイズの北前船。

北前船といえば、京・大阪の物資を敦賀、能登を経由して北海道の松前まで運ぶ定期船であり、京の文化をここ酒田、さらには最上川を通じて東北内陸部へと伝えた、いわば文化交流使節のような役割を負っていた。

続いて、その文化交流の足跡を今に語り継ぐ施設「山王くらぶ」を見学。

ここは、明治時代に「宇八楼」として開業した料亭。北前船によってもたらされた京文化が身近に感じられ、多くの著名人が訪れている。


画家・竹久夢二も度々来訪。「夢二の間」が現在でも特別に残されている。

「余生は ここ酒田のような場所で過ごしたい」と言うほど、この豪奢で文化的な風土を愛していたという。

せっかくなので、 Yも 一人宴席を設けてみることに。女将にお酒のお代わりをするの図。


さて、気分を変えて、次に向かったのは、人気の観光スポット山居倉庫

もともとは15棟の倉庫が長屋のように連なっていたが、現存するのは11棟。そのうち8棟は「全農山形」が庄内米の貯蔵庫として現役で使用しており、左右の端の2つが「庄内米歴史資料館」と「観光物産館」として開放されている。

また、最近よく見かけるJRのポスター。吉永小百合が重厚な倉庫群の前で佇んでいる、それがこの場所。

またまた、せっかくなので、同じ場所で記念撮影。

庄内米歴史博物館は、日本随一のブランド米として知られる庄内米の歴史を伝える施設として、地味だが特色のある資料館となっている。


これは、最も活気のあった時代を投影したジオラマ。

米の品質検査の様子も、人形で再現。

この女性は最も力持ちで、担いでいるのは俵5俵、300㎏。

ということで、 

さっそくYも、1俵(60kg)の米俵の重さを体験してみることに。「学生時代は優に20kgはあるザックを背負って山に登っていたし、その後は20-30kgある養鶏の配合飼料を日頃扱っていた経験はある」という Y。しかし、60kgというのは、背中を使って持ち上げることはできても、いっ時のこと。


昔の運搬労働者の力自慢の女性が、この米俵を一度に5俵300kgを担いでいたと知り、脱帽。「これから毎日スクワットを日課として、鈍った身体に喝を入れることにしようと思う」(Y談)


さて最後に、東日本随一の豪商本間氏のお話を一つ。


江戸時代には、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われるほど、城主を凌ぐ財力を誇る日本一の大地主であったとされている。


明治時代の長者番付では「東の大関」として堂々君臨。関脇には「あさが来た」でおなじみ五代様、小結に三井家と続き、「西の関脇」が岩崎弥太郎という序列。

この本間様が、当時どれだけの財力と権力を有していたかは想像に難くない。

しかし、この本間氏。資料によると、起業・興業にはあまり執心がなく、財閥化せず。しかし、その一方で防風林や灌漑事業の整備に貢献し、酒田の近代化に尽力した、とある。


最近、そんな東北の賢者や偉人と出会うことが多く、いろいろと考えさせられる日々である。


酒田市街地には道の駅が無いので、15kmほど南に走って、道の駅「庄内みかわ」に宿泊し、明日は再び酒田市内に戻り、博物館や資料館などを回る予定。(KY)