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シーズーと一緒に映画

シーと森の隠遁者 Part6

2018.09.01 22:53



赤い傘



秋霖。

空は雲ひとつない暗灰色で、覆われていました。


焦茶色の鉄製のベランダの手すりには、雨水が次から次へと新たな玲瓏な玉を造っては、滴り落ちます。


前方の白いコンクリート造りの建物の、2階の純子の部屋は、明かりがなく、ピンク色のカーテンがぼんやり霞んでいました。


まだ寝るには早い時間です。

純子は、まだ1階の茶の間で、テレビでも観ているのかと思いました。

糸のような雨が、降り続いています。


眼下の白いコンクリート造り柵に囲まれた10畳ほどの庭には、濃い紫色のクレマチスの鉢が2つと、ピンク色のコスモスが群がるように咲いていました。


雨の中、クレマチスは、1つの鉢からいくつもの、6片の鮮やかな濃い紫色の花びらを拡げています。

一方、ピンク色のコスモスは、普段は乙女が誰かを想うような表情を浮かべて、可憐に花びらを拡げていますが、今夜は、少し悲しそうにうな垂れていました。


しばらくすると、この雨の中に、白っぽい犬がぼんやり見えました。

ちょうど私の家の庭の前を、行ったり来たりし始めます。


あれは

「隠遁者」のシロ?


階段を下り、庭に面している茶の間の両親に気づかれないように、静かに裏の玄関から外に出ました。


細雨が、綿々と降っています。

官舎を西側から回って表に出ると、白いコンクリート造りの柵の前で、雨に濡れたシロがうろうろしていました。

しかし、私の姿を認めると、立ち止まってじっとこちらを窺います。


シロどうしたの?


小声で問いかけると、シロは、私の方へ向かって来ましたが、そのまま脇をすり抜けました。

そして、官舎の西の、夏には向日葵を眺めていたアスファルトの路から、裏の「森」の方へ、足早に向かいました。


待って


私は、子供用のブルーの傘を開いて、すぐに痩せこけてしっぽを下げたままのシロを、追いかけました。


「森」は、真っ暗です。

雨を含んだ樹々の葉や枝の隙間から覗く夜空は、暗灰色でした。

雨が語りかけ、樹々は黙って頷くようです。


霞んで見えるシロの白い後姿を頼りに、濡れた雑草を踏みしめながら歩きました。

藍色のスニーカーが、雨水を吸収します。

雨と草の匂いがします。

雨音に混じって、僅かにピアノの音色が聴こえたような気がしました。


Ravel?


「森」を抜けると、音色が幻聴ではなく、はっきり聴こえて来ました。

やはり「隠遁者」が、「森」に向けて奏でているようです。


今日も「亡き王女のためのパヴァーヌ」


糸のような雨が、錆びたトタン屋根を鍵盤として、指を乗せているようです。

まるで、古い木造平屋建ての建物がピアノとなって、音色を奏でているようでした。


シロは玄関先まで来ると、東隣の同じく錆びたトタン屋根の物置の下屋へ、向かいました。


あれ?


玄関の軒下の、木造の引き戸のすぐ左脇に、木製の柄の赤い傘が立てかけられています。

見たことのある傘でした。


これは

純子ちゃんの傘?


やや斜めに立てかけてある木製の柄の赤い傘は、確かに彼女の家の傘立てにあったものでした。

雨の日、学校から帰って来た赤い傘の姿を、見たこともあります。


まさか?


「隠遁者」の木造平屋建ての縁側の奥の部屋の方から、ピアノの音色が聴こえます。

雨音に混じって、「亡き王女のためのパヴァーヌ」が、聴こえて来ます。


しばらく、ブルーの傘に当たる雨音と、ピアノの音色を、映画のワンシーンみたいに感じながら聴いていました。


なぜ

純子が「隠遁者」のところに?


やがて、傘に落ちる雨音だけになりました。

微かに、純子の笑い声が聞こえたような気がしましたが、幻聴だったかもしれません。


私は、シロのいる東隣の木造の物置の下屋に行きました。

シロは、雨の吹き込まない下屋の中頃あたりに伏せて、すやすや寝ています。

すぐ傍の黒ずんだ地面に、直接座りました。


下屋の屋根からは、雨滴が定期的に落ちて来ます。

純子を待とうと思いました。


再び「亡き王女のためのパヴァーヌ」が、雨音に混じって聴こえて来ました。



小学校2年生になった春。

父が、たくさん童話の絵本や子供図鑑を、まとめて買ってくれました。

童話のいろいろなお話しと不思議な世界、図鑑の中の、動物や昆虫などの様々な色や形や生態に、すっかり夢中になりました。

なかでもバージニア・リー・バートンの絵本「ちいさなおうち」が、お気に入りでした。


そしてもひとつ、決して忘れられなかったのが、「星の王子さま」でした。

そこには、いろいろな大切な言葉が散りばめられていました。

キツネが、王子さまに秘密を語ります。


いちばんたいせつなことは、目に見えない


最後に王子さまは、地球に来てちょうど1年目の日に、ヘビに噛まれ、魂だけ赤いバラの待つ星へ帰って行きました。

子供心に、それはとても不思議なことでした。


魂だけ帰るということは

天国に行ったことと同じなの?



どれだけ待ったのかはわかりません。

もう眠くなって、瞼がとても重くなっていました。

うとうとしていたのかもしれません。


ゆうちゃん


突然、声が聞こえました。

目を開けると、月を隠す薄雲のような表情の純子が立っていました。

グレーのトレーナーに、デニムのズボンを履いています。


ゆうちゃん

どうしたの?


とても儚く美しい二重瞼の瞳でした。


待ってたんだ


バカね

風邪ひくわよ


純子の華奢な腕に、包まれました。

下屋の外の、一面暗灰色の夜空を見上げました。

まだ不思議なほどの、細い糸のような雨が降っています。

それ以上、何も言えませんでした。


帰ろう


純子は、木製の柄の赤い傘を拡げて、私の手を握りました。

とても、優しさに満ち溢れた温もりでした。


すでに、ピアノの音色は聴こえません。

傘に落ちる雨音だけが、耳に残ります。

石鹸の香りがしました。


雨に濡れた「森」が、暗灰色の空の下、大きな黒い翳に見えました。

私たちは、赤い傘の下、「森」へと向かいました。


いちばんたいせつなことは、目に見えない