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《浜松中納言物語》⑯ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一

2018.08.31 23:24









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑯









巻乃一









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之一

十六、女王の君をお尋ねなさられること、御君、御子お抱きになられられたること。


上手にも企まれた御いたずらに、中納言の御君、どうしてその女がかの御后とお悟りになられようか、春の夜の夢に見た人、かいま見られた御かたちも奏でられた琴の音も、かの御后にこそ似ていらっしゃられるとばかりにお想いになられておいでなのだったが、猶、あやしくも、その真実を尋ね聞くすべもない幻に入り込む御心地さえなさられて、かの御身にも劣るまじく賢き者を召してかの《かうやうけん》へとお遣りになられて、そのあたりに、さまざまな消息など探りさせなさってみられれば、彼処こそは、《かうやうけん》の御后が御しそく(親族)であらせられて、御后の宮の御身に添われて親しまれておられる、人並みにくらべられずに秀でておられる女王の君という御方の家であるという。

あまりにも此処は辺鄙なところゆえにと申されて、常に此処にはいらっしゃられず、丁里のそこここなるというところにいつも御身を寄せていらっしゃるのだという。

使いのもの、帰りてこうこうでとご報告させていただけば、その方こそは御后の御身に離れぬ瓜二つの御方にして、御かたちも琴の音も、似ていらっしゃられるに違いない、

想えば、かの御后、えもいわれずに稀にして在り難くあらせられるかの御方の、跡も絶えて何のご消息もくださらないでおられるのは、かの人の、御后の御身に近く添うわけでもない異国の人に、馴れ親しませはさせられまいよと、お想いになられておられたが故のことに相違なかろうと、お想いになられていらっしゃる。

陽の暮れて堕ちるのも心もとなくて、《あはれ》なる夕べ、恋して夜這う人でもなければ遠慮するに違いない頃合に、御屋敷、お立ち寄りになられてみられれば、人々、屋敷の端近くに花どももてあそんで愛でられておられる気色にて、この屋敷の暁の頃には、かの恋しい御方の姿さえもがそのうちに、垣間見られるものだと言うと伝え聞かれておいでであらせられれば、ただ嬉しくも御胸もつぶれなさって、いざ屋敷にお入りにおなりになられれば、ものども、かの中納言の御君にこそいらっしゃられるとご察しなされて、御遊びもお絶やしになってお隠れられ、誰の居らっしゃるのにも気付かぬ顔装われるが、とはいえ、御君のお帰りにおなりになられたかと推してみられれば、御姿隠された御君の御事などそれぞれに想われるらしく、さすがにざわめき姿をあらわしてお噂されるのを、

なんとも忍んで私を避けておいでであることか。何をお聞きになられられても気づかいないふりばかりをかえされれば、かの女王の君の御心のうち御人がらのほども、かくの如くも冷たきかと、口惜しくも辛くお想いになられられて、


もののあはれ、ということを

わずかでも知る人さえもいらっしゃられはしないらしい

かの遠い国へと

今こそ帰らねばと想い、

今生の別れに臨んでこそ居る

この秋の夕べにさえも


あはれ知る人こそさらになかりけれ今はと思ふ秋のゆふべを


あてどもなくただただ流れて彷徨う涙を押し拭きになられておられつつ、ひたすらに、絶えることないさまざまな想いに苛まれてお立ちつくしになっていらっしゃる御さまは、来し方行く末にさえもお惑いになられておられ、女王の君とてもさすがに、愛でたく哀れに想われてお仕舞いになられて、《びはにとまれ》という手を、その砥いで澄まされたかのごとき冴えた妙技にてお弾き出されになれば、御君、御庭にお立ち返りになられられて、遣り水のほとりなる岩のうえにおやすらいになられて、笛を吹き合わせていらっしゃられるその御すがた、よろづの者らも涙あふれるがままに、留めようとてないばかり、終には女王の君、名残りもなく、御簾の中にお入りになられなされば、人伝えに女王の君の御想いを語らせさせられなさるに、

御后、《そく山》を御下山になられてより、この《そく山》にてお生まれになられなさった御若君をお預かりになられて、御みずからも此処に居て腰をすえられるとのこと、お知りになられなさる。

御若君、月日に添ってすくすくとばかりにも、愛でたく美しき御后、中納言の御君の御有様を、ひとつに取り合わせになされられたような御顔なさられていらっしゃるようになられて、このごろ、しだいに立ち歩きなどなされられるようにおなりなのを、《あはれ》にもただ悲しく見えて、その後ろめたさに、容易のことでは宮にも参られずに明けても暮れてもここにてお世話をなさって差し上げておられるのだが、

實の親子の契り、この世の手には扱い獲ることでもないものに違いなくとも、中納言の御君に、このようなことの次第さえもお打ち明けもして差し上げないままなのも罪深く《あはれ》なる事にほかなるまいと、御君の、お帰りになられるというのを聞くにつけても、ただ悔恨のような想いにばかり苛まれていらっしゃって、万象愛でられること限りもなく、ものの《あはれ》を知られたこの女王の君であらせられても、為すすべもなくて、心弱くうちひしがれて、いかんともし難い世の淵に立たされておいでになられるらしい。

日本ならば、こうもなって仕舞っては、お知ら差し上げないでおくわけもなく、とはいえ周囲に群がるのは、この賢しいところのある国の人々なのであって、尊いがものを尊重する御心やりなどなきが如きこの国なのだ。

女王の君も御簾のうちよりいざりでて、言葉などおっしゃられる御気色、じかによく御耳にもお入りになられておいでであったが、かつて《雲居のそとの…》とお歌いになられられたかの御后の、その御気色まではそなえられておられはしないように想われになられなさって、異母姉妹なのだろうかともお想いになられておいでの御君ではあらせられるものの、

あさましくも御想い侘びていらっしゃられる月頃日頃の心の中を、泣く泣くおっしゃり聴かせなさっておられるほどに、悩ましさも募られるばかりになられて、忍びも出来ずに、

女王の君、かの御二方のなされられたのは誰の耳にも告げるわけにもいかない、そら恐ろしくもある御秘め事であれば、そのような事はこの国にのみ留まらずに、罪も深い所業でこそはあれ、かの故国にあっても、この御事の知られて仕舞えば、由々しきが事も出来しようけれども、少しばかりでもものの道理をお知りであれば、いかに国をへだてられても、よもやご他言などなさるまい、と、おっしゃられて、

別れて後のその後の次第、初めより御有様こまかにお語りはじめになられるのをお聴きになられていらっしゃられるうちに、御君、

かの故国の人であらせられたならば、時もすでにおそく今頃になってからこのような告白などなさられなどしないだろうものを、九百九十九人の王の数に入って、帰り来た人の告げる真実よりも、夢のうちの夢よりも、實にいかなる涙を流せばよいものか、

御后とは願にかけても想いもよらずに、何心もなく《かうやうけん》に参りまかんで出でられたのを、いかなるものが、いかに御覧じられなさったものか、おぼろげな事とはすまされもしない確たる宿命の契りの重さをお想いつづけられていらっしゃられるに、言うすべもなくただ《あはれ》といしか言い獲なられない。

ある者、御若君を、お抱きになられてお出ましになった。

えも言われずにお美しくもお可愛らしくあらせられて、まるですでに御父君を、お見知りになられておいでであるかのような御顔にて、うち笑まれてかの御腕に抱かれられておいでになられる。

御君、我ながらも、なんとも心強くも想い立ったものかなとお想いになられられたこの険しい異国への荒れた旅の道も、この契りに曳かれてのことにこそと、御想いも千散にさまざま想いめぐらされていらっしゃられるに、我が宿世かくの如きであったか、かつてはさすがに怪しくもお想いになられておられた夢の顕わしも、定かにまがうことなく想い合わされていらっしゃられるのだった。

《ひやうきう》にて琴お弾きになられていらっしゃられたのも、この御后にこそおわされる。

御帝の、この国のいかに優れてあるかを知らしめようぞとお望みになられて、まさか御后とは見知らぬまいよとお企まれになられたのだろうと御心得なさられるにも、いかにも風変わりなご趣向であったことか。

とてもかくても、この御后のもはや御心に染み渡ってさえいらっしゃられて、浅からぬ御契りには違わなけれども、同じところに生を同じうして添い遂げることも叶わぬ切なる悲しさも、ただ、御身を責めさいなまれられる御心地なさられてあらせられる。

かくて後は、日がな一日、この丁里にお留まりになられつついらっしゃられるに、御若君、よくお馴れしてお親しみにもなられなさって、御君にお付きまといにならればかりいらっしゃられれば、さて帰ろうかとなさろうものなら、お慕いなされて泣き出されてさえいらっしゃられれば、お見棄てなさられるわけにいかなくて、かの故国にも御若君、お率きになられてお渡りなになられようものかとお想いになっていらっしゃられる。

御君、この国にお留まりになられなさるのもただ、しばしのこと、今一度かの御方に申し上げて差し上げたくお想いになられておられることもありながらも、

ただの好色のあやまちならばこそ罪も負うて引き下がれましょう。

とはいえ、菊の花御覧ぜし夕より、またいかにしてお目にかかろうかとばかり、心に秘めて想いつづけていはしたものの、こうまでの御縁とは想いも寄らず、遁れ難き契りの苛烈さいかにも激しく想い知らされたもの、であればこそ、この国に留まるうちにのいつかにひとめであっても今いちど、お逢わせいただけないものかと、

泣く泣く責めらていらっしゃられる。

女王の君、聴き侘びられなさられて、御后の宮に参られれば、おんみずからの取り図られたこととはおっしゃりもせずにそれとなく、

この中納言の御君、菊の花御覧ぜられた夕の琴の音もお聴かれになられ、御有様をもご拝見になられれば、今一度と探し求められながらも探しあぐね、いずこに御すがた隠されたかとお惑われておいでになられておられたが、《ひやうきう》の月の宴の日に、御琴をもお聴きになられなさって、ほのかにではあってもお逢いになられては、今よとばかりに終にお尋ねあてになられていらっしゃられて、御若君をもお見かけになられなさって、こうこうと、責めていらっしゃっておられる、と、

申されるに、御后、なんということか、いかにしても知られてはならないことだのに、なんということになって仕舞ったものかとお想いになられておられるが、いかにも、口惜しく取り返しもつかないことになって仕舞ったものか。

とはいえ人に落ち度のあったわけでもなくて、為るべくして為ったことには違いなかろうとは想われるけれども、

さりとても今一度お逢いすることなどゆめゆめあってもなりますまいとあえて想い断ったもの。

實に、おっしゃられるが通りの前世の契りの深さ苛烈さ、いかにしても遁れ難きこと想いしらされて、とはいえ、我がため人のために、堪えて棄て去らねば為らないことにほかなるまいに、

皇子も心より《あはれ》に想いみだれられて御君をただ惜しまれていらっしゃる御さまなどの、この世のこととは想えぬほどにただ《あはれ》極まるのをご拝見させていただくにつけても、

さまざまのことに想いしらされて我が身もただただはかなく想われることばかりであって、

このまま同じ国にあってまた幾日も同じ時をともにしていてよいわけでもなくて、夢の様なる前世の契り、解き難きがままに為るように為るほかなくは想いもし、

とはいえただ我が身だけは想い留まっていたにもかかわらず、

さすがにただ寄り添って仕舞いたい心もつきずに、懐かしさ限りなく想われてもならず、いっそのこと宿世の命じたるがままに任せてみたくも想われてやむこともなく、

けれどもこうも恐ろしい国の人々の心のうち、實にすこしでもかの秘め事の漏れて仕舞うことなどあれば、我がため人のため、よからぬ事にしかなりもしまいと、想い留まりつづけるものも、

いいようもなく、留め難くも堪え難く、中納言の御君、このままこの国をすぐにも発って仕舞うこともおできになられかねられて、ただ人知れず、御若君を御目に入れられておわせられつつ、その御すがたに、悲しみも癒しも喜びも空しさももろとも、ただただ想い増してのみいらっしゃられるのだった。





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之一


中納言、后とはいかでか思しよらむ、春の夜の夢に見し人、かたちも琴の音も、后に似奉りたるにこそと思ふに、猶あやしく尋ね分くべき方なき心地して、我が心にいたく劣るまじくかしこきものを、かのさんいうにやり給ひて、その邊(わたり)をよく尋ね問はせたまへば、彼所(かしこ)はかうやうけんの后の御しそくにて、宮の御身に添ひて、いとやごとなきものに思されたる、女王の君と申す人の家なり。あまり此所には程遠しとて、常に出で給はず、丁里のそこそこなる所になむ出で給ふといふ人あり。帰りてかうかうと申せば、それにこそ后の身離れぬ人にて、容貌も琴の音も似奉るにやありけむ、さては猶あながちにありがたかりける人の、跡絶えて見え知られじとかまへけるは、后の御身にちかくあらぬ世の人に、馴れじとにやとぞ思さるゝ。暮し終(は)てむも心もとなくて、哀れなるゆふべ、物思はむ人過(すぐ)すまじき程に立ち寄り給へば、人々端近く花ども玩(もてあそ)ぶけしきにて、この暁こゝはといひし人のけはひもすると聞くに、嬉しう胸つぶれて、立ち寄り給ふを、さなめりと見るに、さきざきは跡絶えて、見え知られじと隠れしかど、この人帰り給ふぞかしと思ふには、人知れぬ人の御事など思ひつゞけ、さすがにさきざきのやうには、人影もせず隠れぬものから、いたく忍ぶ気色にて、猶見も知らず顔に答ふるを、人の程さばかりにこそあなれと、かうしもやと心やましうつらければ、

 あはれ知る人こそさらになかりけれ今はと思ふ秋のゆふべを

さまよふ涙押し拭ひつゝ、いみじう恨みしをれて立ち給ふさまの、来(き)し方行く末の事も覚えず、めでたく哀れに思ほゆれば、びはにとまれといふ手を、いたくすまして弾き出でたれば、立ち帰り、遣水(やりみづ)の邊(ほとり)なる岩の上にやすらひて、笛を吹き合せ給へる、よろづ涙留め忍ぶべき心地もせずなりて、名残なく、御簾の内に入り奉りて、人々に物など言はせて、女王の君思ひつゞくるに、后そく山を出で給ひしより、この若君を預りて、我も此所にゐていつく。月日にそへて引き延ふるやうに、めでたく美しき后、中納言の御有様を、一つにとり合せたる顔つきして、このごろやうやう立ちありきなどし給ふを、哀れに悲しう見つきて、後めたさに、おぼろげならでは宮にも参らず、明けても暮れてもあつかひ聞ゆるを、親子の契り、この世のことにもあらざなるを、かゝる事なども知らせで止み給ひなむが、罪深く哀れにもあるべきかなと、帰るべしと聞くにつけても、覚えければ、物めでをし、哀れを知る方も心弱う、さすがなる世にやありけむ。日本ならば、さばかりにては、知らせで止みなましを、賢しき所ある世の人にて、深き物かくしと思しき事などはなき世なるべし。女王の君膝行(ゐざり)出でて、物などいふ気色著(しる)う聞ゆれど、雲居の外のといひしけはひにはあらず、兄弟(はらから)などにやと思して、あさましう思ひ侘びつる月ごろの心の中を、なくなく言ひ恨み給ふ程、いとらうたげなるに、えも忍ばれず、かくも聞ゆまじう、いとそら恐ろしき事なれば、やがてかくて、跡絶えてやみむべき御事なるを、さる事はこの世ならず、罪深き事申し侍ればなむ、知らぬ国にもこの御事の聞えむは、いとほしかるべき事なれど、少しも心おはせむ人、さりとも世を隔てても、世に漏させ給はじと思ふ様など言ひて、初めよりの有様細かに語り出でたるに、かくしたらむに、我が世の人ならば、今になりてかく顕はし出でざらましを、九百九十九人の王の数に入りて、かへり来りけむ人の實(まこと)よりも、夢のうちの夢よりも、實(げ)にいかなる涙か流れ出でむ、后とはかけても思ひよらで、何心なく、かうやうけんに参りまかんでつるを、いかに見給ひつらむ、おぼろげならぬ契りの程思ひ続くるに、いふ方なく哀れなり。若君抱き出で聞えたり。いひしらず美しげにて、事しも見知り顔にて、うち笑みて抱かれたり。我ながらも、心強く思ひたつかなとおもふ道を、この契りにひかれけるにこそと、掻きくらしつゝ、さまざま思ひ続けらるゝに、我が宿世もいとなべてならず、この世にては、さすがに深きとお見し夢も、さだかに思ひ合せられぬ。ひやうきうにて琴弾き給ひしも、この后にてこそ在(おは)しけれ。いかで優れたらむ事、見せ聞かせむと思して、后とは知らじと、構へられたりけると心得るも、いとさま変りたり。とてもかくても、この人の心にしみ思ひとめ奉るべかりける程を、浅からぬに、同じ世のうちにてだに聞き奉るまじき悲しさも、身を責むる心地ぞする。かくて後は、旦暮この丁里におはしつゝ見給ふに、若君いとよう馴れて、いみじう付きまとはし給ひて、出でなむとするにも、慕ひて泣き給へば、見捨つべきにもあらで、率(ゐ)て渡りなむと思す。この世に侍らむも唯暫時(しばし)なり、今一度聞ゆべき事一言なむ侍るを知りながら、すきずきしきあやまちならばこそ罪も負ひ侍らめ。菊の花御覧ぜし夕より、又いかで見奉らむとばかり、心にしめて思ひ渡り侍りしかども、かうまでは思ひかけず、遁れ難き契りのほど、さりとも思し知るらむを、この世にかくてめぐらひ侍らむ程、今一度聞えさせむと、なくなく責めわたり給ふ。女王の君聞き侘びて、宮に参りて、我が言ひ出でたる事とはなくて、この中納言、菊の花御覧ぜし夕の琴の音を聞き、御有様をも見奉り知り給ひければ、あやしと思ひ渡りながら、さしもやはと思ひ定めがたく思ひわびしを、ひやうきうの月の宴の日、御琴をも聞き、ほのかにも見奉りあはせてければ、尋ねおはして、若君をも見奉り、かたがたなむ、いと理(わり)なく責めいられ給ふと申すに、いとあさましく、知られ給はで止みなむをだに、猛き事にせむとこそ思しつれ、悔しく口惜しうも見知られにけるかな。實(げ)に人の怠りにもあらず、さるべきにこそはと思ひ知らるれど、さりとては我が心にしるしる、今一度のゆきあひはあべい事かはと思し絶えたり。實に宣はする前(さき)の世の契り、遁れ難く思ひ知らるゝ事なれども、さりとて我がため人のため、今更いとあいなく便なかるべきわざなるを、皇子いと哀れに思しみだれ、惜しみ聞え給ふ様などの、この世ならず哀れなるを見るにも、萬の思ひ知らるゝ事多く侍れども、同じ世にだに、今幾日(いくか)かは聞きかはい奉るべきにもあらず、夢の様なりける前の世の契りの程ぞかしとばかり、思しけちて止み給ひぬれど、さすがにいつあるべかしう懐かしきものから、思ひよらず言ひ放ち給ひ、いふかひなく悲しけれど、かばかり恐しかめる知らぬ世に、實にいさゝかも事の聞え出で来なば、我がため人のため、いみじう便なかるべき事ぞかしと、思ひ留むるしもいふ方なく、せき難く堪へ難きに、すがすがしう出でたたむともおぼえず、唯人知れず若君を見給ひつゝ、思ひをまし、胸のひまをもあけつゝ、過ごし給ふ。










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