炎帝や幹にひれ伏す銀杏の葉 高資
https://www.mhlw.go.jp/content/12400000/000661828.pdf【人生の最終段階における意思決定支援 事例集】
Facebook小早川 喬さん投稿記事
怖い花だ、と ばあさんに言われた。毒があって縁起悪いと。
だが彼岸花には 曼珠沙華という別名があってこれは天上のありがたい花、とも。
毒もあるが、薬でもあるし、飢餓時の食糧にもなった。何事にも多面性や相対性ってもんがある。ともあれ何やらとても賢い花だと思う。
Facebook若林俊彦さん投稿記事【かつてこの地球に生まれしマスター達】
例えばそれはブッダかも知れないし、あえて名前はいいませんが宗教の元となった聖者達
それは、この地球の精神文明に関わりなんらかのインスピレーションを与えることによって人類を修正もしくは進化させたでしょう
だがその方達が去るとまるで現人神のように偶像崇拝します
それは宗教組織が権威を持つため、布教のためかも知れない
そして実際あったことに脚色が入り更なるストーリー性を帯び本来とは全く違う方向に話が展開します
そして時には権力者の都合で全く違うように書き換えられました
根底に流れているものは素晴らしいですがうのみは禁物です
もし貴方がその教えから恐怖や不安や不信を感じるならばそれは注意した方がいいでしょう
その時、私は愚か者でと落ち込むならばその部分はあなたに合っていない所です
人はそれぞれ個性があり役割も違います
金太郎アメのように切っても切っても同じ顔は出ません
皆それぞれ生きる形、個性、役割が違うからです
本当のあなたを生きてください 今のあなたが本当のあなたか?
それは他ならぬあなた自身が知っています
Facebook津留晃一の世界投稿記事 変 化
人はお金を欲しいと思います。お金があったらあれも出来るこれも出来ると思います。
すなわち何でも出来る自由を欲しがります。
そして人は何かをする自由を元々持っており、何かをするためにお金を手段とする方法は、
何かをするための無限の手段の内のひとつの手段すぎない事をすっかり忘れ去っています。
何かをするのにお金が便利であることは確かですが、ほかの多くの手段の可能性を検討することさえ、今では誰もが忘れ去っています。
それが頑強な固まった考え方にすぎないことを、思い出す時がやって来たのではないでしょうか?あなたには元々パワーがあります。全てを産み出し形作る内在する無限の力を所有しています。それは嘘ではありません。宗教者のたわごとでもありません。
悟った結果、手にする特別な力なのではなく、修行によりだんだん身についてくるといった、たぐいの力でもありません。どんな人にも今そのままで備わっている力のことです。
それは今あなたの内にあり、その力を失ったことなど、これまでただの一度もないのです。
その力にあなたが意識を向けさえすれば、それが元々そこにあったことに気づくでしょう。
あなたという存在は、エゴと、ハイヤーセルフという2つの意識によって構成されている
と考えると解りやすいかも知れません。
潜在意識と呼ばれているハイヤーセルフと、表面意識と呼ばれているエゴの2人で自分だと思ってみて下さい。
潜在意識をこれまで人は理解しようとしてきましたが、エゴの頭脳で理解できるものではありません。エゴに理解できないのが潜在意識なのです。でも潜在意識は元々あなたの内にあります。あなたがそこに意識を向けさえすればいいのです。
意識を向けた時、あなたはもうそこと繋がっています。
あなたの表面意識がそのことをどう考えようと、それはその瞬間繋がっているのです。
繋がっているのだという言葉を単に受け入れればいいのです。その内なる力を使って下さい。
無限の潜在的可能性を持つパワーです。あなたが創造主です。何かをするのにお金がいる、何をするにもお金がいる、という考え方をそろそろ手放さなければならない時代となるようです。「でも現にお金がいるじゃないか」、「お金がないと生きていけないじゃないか」、「お金がないと電車に乗れないじゃないか」と人は言います。
そしてその内なるパワーを使おうとせず、あいも変わらず何かをするために必要なお金を得るために、自分のエネルギーを消費し続けます。ねばならない作業に自分の魂を曇らせ、内なるパワーをしぼませます。
お金がないと何もできない現実があるのは、皆さんがそう思っているからに他なりません。
創造主であるあなたが、お金がないと生きていけないと考えているからあなたのまわりに、お金がないと生きていけないという現実を生み出しているにすぎません。
人は誰でも一方の手で変化を求め、一方の手で安定を求めています。
右手で変わる事を恐れ、左手で変わらないことに苛立っています。
安定するために変わろうと努力していますが、この矛盾には気づけません。
本質的には変化することと、変わらない事に違いはありません。進化を求める思いと、このままでよいとする心に、どちらも違いはありません。本当にあなたはどの瞬間もただ単に遊んでいる神なのです。
何をしようとも、何をしなくとも、どちらでも良いことに変わりありません。
このままでは駄目だとする思いは、あなたに変化のエネルギーを与えます。
このままではいけないという思いが、あなたのまわりに違いをもたらします。
それがプラスの変化か、マイナスの変化であるかには係わらずです。
そして人はマイナスの変化を恐れ、そうなるまいとする思いが他人を責め、自らに葛藤を引き起こします。あなたの葛藤はあなたを苦しめ、悩ませます。一方、あなたの努力が報われ、プラスの変化をした時、あなたには大きな大きな喜びのプレゼントがやってきます。
これまで多くの人はこのプレゼントほしさに頑張ってきました。
それは人は頑張って変化を求めない限り幸せになることはあり得ないとする考え方に起因しています。こうしてあなたは勝ったり負けたりという高度な人生ゲームを体験できるわけです。
しかしあなたは勝ったり負けたりでは満足できなくなります。勝ち続けのゲームがやりたくなってくるのです。この時あなたは意識の進化に目が向いてきます。
平安が欲しくて、戦っても戦っても平安が訪れることがないことに気づきます。
悟りの瞬間です。
あれ・・・、この三次元物質世界には安定、不変のものなど何一つないのだ。
変わらないままでいられることなどあり得ないのだと悟ります。
あなたは安定を求め続け、求め、求めて行動した結果、安定などどこにもないのだと悟ります。そしてこの時あなたのエゴは沈黙し、涅槃の境地を体験します。
あなたが求め続けた心の変化は、安定などどこにもなかったのだと気づいた時に体験するのです。今はどんなに不安定であったとしても、それはそれで何も問題ないことに気づきます。
このままで何も問題なしと悟ります。宇宙は揺らぎという不安定さを使って、絶えず変化を促します。永遠に完成することのない精妙なメカニズムです。宇宙は完成しないが故に完全であるといえるでしょう。
このままでよいのだと何もしないでいると、宇宙はあなたに変化を求め、あなたのまわりに
不安定さを起こします。あなたはそのままではいられなくなります。
何もする必要など無いのだと思っていると、何かせざるを得なくしてくるのです。
あなたが何か行動を起こさない限り、心の安定を体験することができないよう仕組まれているのです。この三次元界は体験するための世界です。
あなたである神が自ら体験し、そして創造した体験をするための舞台装置なのです。
観て、聞いて、触れて体験し感じるためのステージです。
何かすることに挫折し疲れた人は、何もしなくても良いのだという話を喜び、安心を得ます。
人から「何かする必要など何もないのだ」と聞かされて得た心の安定は、あなたの体験ではありません。人から与えられた安心はあなたに絶対的安心をもたらすことはありません。
悟りたる人の話を聞くことによって得られた安心を維持しようとする思いが、これまで宗教教団を作ってきました。人の絶対的安心が、教祖様から与えられることなどありません。
それはあなたの体験ではないのですから・・・。
あなたが行動に挫折したのは、それが必要であったからであり、それはもう行動することをやめよという合図ではありません。挫折から学べという合図です。
挫折はあなたの人生の最大のチャンスです。
人は違いを求めます。進化を求めます。自由を求めます。そして求めることを通して人は気づいてきます。求めない人に気づきはありません。そのためにこの宇宙は揺らいでいます。
人は求め、そしてそれが究極的には手には入らない事を通して悟るのです。
あなたという自我が求めたものは、永遠に手に入れることはできません。
しかし求めなかった人が悟ることもないのです。永遠に手に入れることができるものなど何もないのだと気づいた時、人は何も求めなくなります。
そして何も求めなくなった時、もともと全てを持っている真我が、あなたの内から現れてきます。悟りの瞬間です。あなたが元々全てを創造した本人なのです。
このままで何一つ問題がないところから創造した、問題の世界が今ここなのです。
ここは問題の世界、あなたの人生ゲームを存分に楽しんで下さい。
あなたはそのままで何ひとつ問題ありません。そのままで完全です。不完全なあなたこそが、
今ここにいる理由なのですから。
ミライノシテン-言葉-@mirainoshiten_2
悟りという事は、いかなる場合にも、平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、いかなる場合にも、平気で生きている事であった。正岡子規
Facebook市場 恵子さん投稿記事
★「お母さん、これが最後…どうか逝ってね」~殺めた娘は(朝日新聞 2019年9月22日)
実家で介護していた当時91歳の母親を殺害したとして殺人罪に問われた熊本県八代市敷川内町、無職宮崎和代被告(64)の裁判員裁判の判決が20日、熊本地裁であった。西崎健児裁判長は、突然娘に窒息死させられた被害者の身体的、肉体的苦痛は察するに余りあるなどとして、懲役3年(求刑懲役7年)を言い渡した。
判決などによると、宮崎被告は3月22日午前3時半ごろ、同市二見洲口町に住む母親の宮崎久子さん(当時91)の首を靴ひものようなもので絞めたり、ポリ袋を頭にかぶせたりして窒息死させた。
西崎裁判長は量刑の理由で、認知症で普通の会話も難しく夜中に大きな声でわめくこともあった久子さんの排泄(はいせつ)物の処理を宮崎被告が頻繁に行っており、介護の負担は客観的に見て少なくないとしつつ、「懸命に生きようとしている母親を独断で殺害したことは身勝手である」と述べた。(大木理恵子)
■お母さん、これが最後だから、どうか逝ってね
「お母さん、きょうで最後にしよう。私も後で一緒に死ぬから。そう思いました」。宮崎和代被告(64)は、母を殺害した時の気持ちを公判でそう振り返っていた。
その日、被告は午前1時半ごろに久子さんの排泄(はいせつ)の世話をして仮眠した。午前3時過ぎ、異音に気づき部屋へ向かうと、久子さんがタンスの引き出しを開けようとしていた。その腹からは、大腸がんを患い10年ほど前から使っていた人工肛門(こうもん)に装着した排泄物用の「ストーマ袋」が外れかけていた。清掃する間、久子さんはわめき続けていたという。
「それまでにたまっていたストレスがはじけて、思い切り頰を平手打ちしてしまいました。そうしたら、『殺される!』『人殺し!』と大きな声で言い始めました。今までたまっていたものがぷつんときれたような気がしました」
久子さんは17年夏から排泄や食事の介護が必要になり、12月にアルツハイマー型認知症と診断された。週に4日は別居している被告が、残る3日は久子さんと同居する義姉が介護を担っていた。
トイレの介助ではストーマ袋の中身を孫の手とお尻ふきでかきだし、新しい袋を人工肛門に取り付ける。「肌がたるまないように、引っ張ってぴたっと。一つ500円で、失敗すると新しいものを使わなければならない。ものすごく神経を使っていました」
久子さんは「神様、殺してください」などと夜間に外に聞こえるほどの声で騒いだ。腕力が強く、機嫌が悪いときは手がつけられなかったという。「近所迷惑になっているのではないかと苦痛でした」
ただ、介護を始めた当初の気持ちを検察官に問われた時、被告はこう答えた。「うれしかったんです。こんな私でも、お母さんの役に立てるんだ、と思いました」。コミュニケーションをとるのが苦手で、実母と同居する兄、義姉とも、介護をするようになるまでほとんど交流がなかったという。義姉は弁護側証人として出廷し、「一生懸命に頑張ってくれていた」と証言した。
だが、事件の数日前、夜中のトイレの介助中に目を離し、久子さんが転倒。その後から「電話局に電話しているけど全然出ない。うんともすんとも言わない」と、それまでにみられなかった妄想を話し始めた。被告は、自分の不注意で認知症が進んだと思い、共に介護する義姉にも負い目を感じるようになったという。
そして事件当日、母親を平手打ちした被告は、タンスにあった靴ひも様のもので後ろから首を絞めた。苦しいと叫ぶ声を聞いてひもを握る手が緩んだが、「逝かせるしかない」と、白いポリ袋を頭にかぶせた。「お母さん、これが最後だから、どうか逝ってねとつぶやきながら、時計を見ました。3、4分後に手がだらんとなって、お母さんの手を握ったら冷たかったです」
犯行後、包丁で手首を切るなどして自殺を図った。遺書には「この日がいつかくると思っていた」「一緒に暮らす家族のストレスはいかほどか」「先の見えない不安が追いかけてくる」とつづっていた。
公判では、被告が介護のことで周囲に相談したり、頼ったりすることがなかったことが明らかになり、病院や施設に入れる手段もあったことが指摘された。だが被告は、今年6月に亡くなった弟が精神病を患い、入院した病院でベッドに縛り付けられていた様子が焼きついていたと語り、「わめく母も、きっと同じようにベッドに縛り付けられると思い、施設や病院に入れることはできなかった」と話した。「介護は娘の義務だと思いますか」との裁判員の問いには、「はい」と強くうなずいた。
判決は、被告が周囲に相談する方法もあったと指摘した。西崎裁判長は、判決言い渡し後、こう語りかけた。「社会復帰後、助けがほしいとき、周りに頼るように」。宮崎被告は短く「はい」と答えた。
■介護に悩む人に「気軽に相談を」
熊本県の認知症対策・地域ケア推進課は、介護に悩む人に向けて、介護経験者らが電話や対面で対応する「認知症コールセンター」(096・355・1755、水曜以外の午前9時~午後6時)や、介護者同士が交流したり情報交換したりする「認知症カフェ」の利用を勧めている。認知症カフェは公民館などで定期的に開かれており、開催場所は県のホームページに掲載されている(https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_14016.html)。
同課認知症対策班の担当者は「介護の悩みを積極的に気軽に相談してほしい。話したり共有したりするだけでも楽になる」と話す。
写真:現場となった宮崎久子さん宅=2019年3月22日午後0時5分、熊本県八代市二見洲口町
Facebook相田 公弘さん投稿記事【もし人生のやり直しができたら?】
ある人が老人ホームを訪れて、ご老人たちにこんな質問をしました。
「もし、人生のやり直しができたら、どうしますか?」それに対する応えがこちらです。
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・「きゅうくつな人生だったな。もっとのびのびと暮らしたかったな」
・「今度生まれ変わったら、たくさんのことに挑戦して、たくさん失敗して みたい。
なにしろ、失敗を怖れてばかりいたからな」
・「もっと、旅行しておくんだったな。オレ、生まれた県から、外へでたことがないんだよ。
テレビを見ていても、後悔が残るな」
・「身体にいいことばかり考えてさ。納豆だの、海藻だの、麦飯ばっかりでさ。身体に悪い
ものばっかり飲んで食べて、ピンピンしている人を見ると、理解できないのさ。まずは
大好きな、アイスクリームを腹一杯食べてみたいな」
・「人生って、長く生きればいいってもんじゃないな。完全燃焼しなかったからな。
細く長く生きても、思い出がない人生って、寂しいもんだよ」
・「一生の目標を持たなかったことかな。人生ってさ、目標を持って、一日一日、全力投球
している人は、幸せだと思うよ。その日その日を何となく過ごすって、虚しい気がするな」
「転ばぬ先の智恵 転んだ後の杖」 笠巻 勝利 著
講談社より
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先人たちの言葉なので説得感がありますね。
目標(夢)を持ちそれに向かって失敗を恐れず やりきる後悔しない人生を送りたいですね。