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《浜松中納言物語》⑰ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一

2018.09.01 07:46









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑰









巻乃一









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。










《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之一

十七、御若君、日本に渡るべき夢のこと、《かうやうけん》の月の翳りのこと。


九月になった。

御君、帰るべき時をも覚えず。

さりとてもこうしてただ無為なるがままに年月をばかりを重ね続けるわけにも行かない。

母上にあらせられても、遠い海をさえ隔てて夢に顕れておいでになるのだった。

とはいえ、ただ遠くから見つめておられるばかりで今こそ渡れと命ぜられる気配もないのを、どうするべきだろう、ただ、お惑いになられられて、この国に留まりつづけるのも悲しく、母君の夢を読み解くすべもなければ、すぐに帰って仕舞うのも堪え難く、中空に身を吊るして責める御心地さえなさられて、この頃に類もなきこの世のことのただ《あはれ》に想われるばかりを、御心にご反芻なさられるよりほかに、さしあったては、為し獲ることさえあらせられなくて、

日々の常になさられておいでであったのは、海のこちらのこの世のことも、海の向こうのかの世のことも、とても正対もできない倦んだ御想いにお惑いになられておられれば、道の空、浪の上にて、あてどもなくさすらうこともあり獲まいと想い侘びられておられつつ、御外歩きもなさらないまま、ただの恍惚のうちに日々をながめておいでになられる。

御后も、人には隠された御若君を、女王の君を忍びさえしてときどきにお逢いになられなさっても、その心も解けず憂きままに、ただただ《あはれ》も限りないのに、中納言の御君の、お留まりになさられておられはなられぬものを、無理にお許し差し上げて、この世の中にお留まり願ったとしても、この世にあってはお添う上げさせていただくこともあるまじきことであれば、行方も知れない御想いさえなさられて、ひたすらに悲しく、とはいえ事の次第のもはやごまかしようもない御有様の、漏れ出て仕舞うこともあるだろうを、御君も御若君も、この世この国にこのまま置いておかれたところで、その行く末の苦難はいかがなものかと、ただもの悲しく方策もすべもなにもない。

こうも荒れたこの世この国の心の気色を感ぜられ、放置しておけばいかに荒んだ出来事の出来することかとお想いになられてご案じなさられるばかりに、中納言の御君の、中空に想い侘びられておられる心の中も御后のそれに劣ることもなく憂くて倦まれておられる。

在り難くも稀なる、よろづに心強くお想いになられられ獲る人とてもなくて、それぞれにひとり、やがては御方の、ただ想い侘びておられになるさまをお耳にいれられれば、どうしようもなく《あはれ》にお想いに為られられて、御后の御文に


風もさわぐ浪の上にただよう船よりも

わたしの想いのたださまよってただようばかりなのは

これは、どうしてなのでしょう?


風さわぐ浪のうへなるふねよりも思ひたゞよふなにゆゑにぞも


と、あったのを見留められなさるにも、悲しみは駆ける。


浪の上の小船にあなたは居るのですね

ならばわたしは焦がれましょう

あなたを取り囲んでつつむ、その浪のうねりにこそ


浪のうへの小船(をぶね)はとまりありと聞くたゞよふ水に思ひこがるゝ


人に問われるほどに(注:1)恍惚をうかべられておられるが、時も時、場所も場所であって、荒れた人々の目に触れるのも恐れられて、お逢いすることもかなわないでいらっしゃられる。

大将殿の姫君を見棄てられ、母上をもお見置きなさって仕舞われたが心地、いかにもみずから責められるばかりにあらせられる。

こうして意図もあらせられて想い発ちになられられた旅の道を、にもかかわらず心弱くもぐずぐずと、無為がまま救いもないままただ戸惑っておいでなのは、ひとえにかの契りのなせるわざであったのか。

あるいは、ひとたび遠く荒れた浪のかなたに渡ってみれば、万事のもの想い、すべてきれいに解け放たれて仕舞うものなか。

ましてこの国は人の心の荒れすさんだ異国の地、であるならばと、心強くも想い立たれて、御若君のご出立も御みずからに遅らせるわけにもいかず、忍んでお率きになられて渡るべくお想いになられておられるものの、たしかにそれは道理であって、まさにそれはそうではあるのだが、御后は御若君とさえ生き別れなければならないその御事が、ただただ心に責めてもの悲しくて、どうしたものかと泣く泣くお眠りになられなさったその夢に、

これはこの世この国の人にはあらず。

日本のかためである。

ただ、疾(と)くかの国に渡らせよ。

と、人のいうのを見れば、ならば、と御心にお決めになられておられるが、とは言え言いようもなく《あはれ》である。

わたしもかの国に生まれ、母君の御身をはなれて渡り来たときも、かの母君の御心中はこんな有様であったものか。

今こそはとの別れの最後のときに、母君の不意に抱きしめられて、ただただ泣きぬれていらっしゃったその御面影、いまも片時も心を離れはしない。

廻って来たったその代わりのように今日にまた、身を分けて差し上げた御若君をお渡ししなければならないこの悲しさは、母君の御涙の意味を、いまふたたびわたしに教えつくしてあまさない。

事の報いとは、實にこのようなものでこそあったかとこそ、ひとり御もの想いに更けられてあらせられる。

中納言の御君の、明後日ばかりにお帰りになられるというその夜の、月も隈なく照り渡ったあかるさに、御君、《かうやうけん》に参られるのだった。

三の宮の御皇子、もはやいたしかたもないことであれば、惜しまれてお留まり願われることも叶わなくご承知であって、その、御恨みの御言葉さえなく想い侘びてだけいらっしゃられるのは、言いようもなく《あはれ》であらせられるのを、御事の初めの頃より、いまに変わらぬ見馴れた宮の樹木、茂る草の靡き、水の流れも発ち離れ難く御君も、お想いになられながらも眺めて懐かしまれて、御語らいのお相手の適当もなければ、ただ、ものの気色を御眼差しに愛でてだけいらっしゃられたそのうちに、夜もしだいに静まって、いよいよ更けていくころに、御后の御方からお召しがあった。

いよいよもってつつましくもしめやかに、凛として調えてあらせられる、月影は常よりも濃く堕ちて、御簾の内の人は御涙を留め難くていらっしゃられる。

御皇子も此方におわします。

どうぞお近くに、と、お誘いの者の声がつぶやけば、御君、やおらのその歩をおすすめになられる。


(注:1)平兼盛《忍ぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで》





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。




濱松中納言物語

巻之一


九月にもなりぬ。帰る方も覚えず。さりとてかくのみ年月を過さむも、さすがにあるべき事にもあらず。母上にも、よを経て夢に見え給ふ。さりとも、今はと待ち給ふにやあらむ、いかゞなり給ひにけむ、留まらむ事も悲しう、今一度ありし夢を見合わする方なくて、速かに帰りなむを堪え難く、中そらに身を責むる心地して、年比常なき世の哀ればかりを、思ふより外に、さしあたりて、心づくしなる事はなくて、習ひにしものは、この世もかの世も、斜ならむ思ひに惑ひて、道の空、浪の上にて、すゞろにさすらへぬべく思ひ侘びつゝ、出で立ちやらで、ほれぼれしう詠め居給へり。后も人知れぬ若君を、女王の君忍びて、時々見せ奉り給ふにも、心憂きものから、あやにくに哀れも限りなきに、中納言留むべきにもあらざなるを、許し取らせて、この世ながら聞きかはすべきにあらず、行方も知らず思ひなしてむも、いみじう悲しう、さりとて事の紛れあるやうもあらぬ有様を、この世に留め置きても、生い立たむ程はいかゞと、物悲しう言ひ遣るべき方なし。さらでだにある世の気色を、まいていかなる事か出で来むと思しつゞくるに、中納言、中ぞらに思ひ侘び給ふ心の中にも、をさをさ劣り給はず。ありがたう、萬を心強う思ひとれる人ともなく、思ひ侘ぶるさまを聞き給ふに、いとあはれに思さるれば、

 風さわぐ浪のうへなるふねよりも思ひたゞよふなにゆゑにぞも

とあるを見給ふ、なのめならむや。

 浪のうへの小船(をぶね)はとまりありと聞くたゞよふ水に思ひこがるゝ

人の問ふまで、ほれぼれしうなりにけるも、あまりにならば、この世の人に思ひおとさるゝがたがひめ、おのづから出で来むも、今更にあいなし。大将の姫君を見すて、母上を見置き奉りし心地、いかばかりかはいみじう覚えし。かばかりに思ひ立ちぬる道を、心弱くとまるべきかはと思ひ立ちしは、かゝる契りのありけるにや。たけう漕ぎ離れにしは、いふかひなうて過(すぐ)されずやは。まいてこれは、かくてのみあるべき世にもあらず、さもあれたと心強くおもひ立ちて、若君は後(おく)らかすべきにもあらねば、忍びて率(ゐ)て渡るべき心遣ひにて、果すべうもあらぬを、后いと哀れに悲しく思されて。いかなるべき事にかと、泣く泣く寝入り給へる夢に、これはこの世の人にてあるべからず、日本のかためなり、唯疾く渡し給へと人のいふと見て、さらばと思ふもいと哀れなり。我もかの国に生れて、母君の御身を離れて渡り来し程、かくこそあらめ。今はとて別れし暁、抱き給ひて、いみじう泣き給ひし面影は、今も身をはなれぬ心地す。そのかはりに、又これを渡してむする悲しさは、母君のおはしけむも、かばかりにこそあらめ。事のむくい、實にあるわざにこそと思しつゞく。明後日ばかり帰り給はむとての夜、月隈もなく明るきに、かうやうけんに参り給へり。皇子えさらぬ事にて、惜しみ留めさせ給はぬものから、思しわびたるさま、いみじう比類(たぐひ)なく哀れなるを、はじめ常に立ち馴れつる宮の中の木草の靡き、水の流れも立ちはなれ難く覚ゆるに、なかなかとかくも聞えやるべき方なければ、唯つくづくと一間には詠め給ふに、やうやう静まり更け行く程に、后の御方に召しあり。いよいよいみじうもてしづめて、突(つい)居(ゐ)給へる、月影常よりも殊に見ゆるを、御簾の中の人涙を留めがたし。皇子も此方(こなた)におはします。さかつき、人々御前近く侍ふにやと聞えて、やをら膝行(ゐざり)出で給ふ。









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