9月24日 主日礼拝
9月24日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書26章17-25節
あなたは地の塩、世の光
イエスの言葉には聖書の世界観が込められている。
あなたは地の塩、世の光
宣言している。
努力をして、塩になるのではない。
がんばって光になるのではない。
すでになっている。
生まれた時からあなたはそういうもの。
宣言している。
だが、人はそれが見えなくなる。
バイアス。
斜めから見る。
ちゃんと自分が見えなくなる。
バイアス、人の言葉、評価、富、権力
自分以外のものを通して自分を見ようとすると必ずバイアスがかかる。
私でないものを私だと思い始める。
蛇に唆された時のアダムとエバも自分を見失った。
必要でない善悪の知識の木の実が自分には大切だと思い込んだ。
1タラントンを土の中に隠したもの、自分のやるべきことを見失った。
本当の自分が分からなくなる。
イスカリオテのユダ。
香油をイエスに塗った女性を叱責した。
このユダをイエスは嗜めた。
面白くないユダは腹いせに祭司長の所に駆け込んだ。
イエスを渡せばいくらもらえるか。
この後、ユダは自分のしでかしたことで自分を激しく攻めることになる。
自分が何をしているか分かっていない。
自分が分かっていない。
過越の祭りの食事をしようとする時
イエスは12弟子に語りかける。
この中に私を裏切るものがいる。
弟子たちは口々に言う。
「私ではありませんよね」
私かもしれないと思っていたのか。
自分が何をしているのか分かっていないのか。
自分が信じられない。
ユダも聞く
「私ではありませんよね」
イエスは答える
「それはあなたが言っていることだ」
自分は裏切り者ではない。
自分は正しいものだ。
「それはあなたが言っていることだ」
あなたが自分について言っていることだ。
本当のあなたを分かっていない。
あなたは自分を分かっていない。
バイアスのかかった自分。
それしか見ることができない。
あなたは地の塩、世の光
これはイエスが自分に向けても語った言葉。
裏切り者がいる。
敵が迫ってきている。
自分が捉えられる理由がない。
それでもイエスは慌てない。
私の時が近づいてきている。
私のなすべきことをしよう。
慌てたり、逃げたりしない。
裏切り者を糾弾して作戦を立てたりもしない。
食事をし、その時が来るのを静かに待っている。
これが私の使命
これが私のなすべきこと。
イエスは自分をちゃんと見ている。
ちゃんと見て、自分の務めを受け止めている。
私の時が近づいている。
イエスだけの言葉ではない。
私たちにも当てはまるもの。
私が私の仕事をする時。
私は地の塩、世の光
自分を正しく見つめられれば、私は私を知ることができる。
私の務めを果たすことができる。
私が私になることができる。
今の私
この私
本当の私か。