【最終回&祝100回】サポーターズが紹介したい本②
こんにちは。
ちょっと涼しくなったかと天気予報を見たところで日中は未だ30℃超え。
夏にはもうあきあき、なんてらしくもないダジャレが浮かびましたが、披露する機会がないので、今日この第100回目のブログに載せさせていただきます。
さて、昨年4/14から始まった当ブログですが、ついに100回目の更新を迎えました。最初は水曜と日曜に週2回更新をしていたものの、50回を機に週1回更新に切り替えまして、その辺りでだいぶ息切れの予感はあったのですけども、どうにか、100回はやりきろうと毎週やって参りました(1/1は休みました)(あと結構日付変わるぎりぎりの更新が多かった)。
そんなこんなで勝手に始めて、勝手にゴールと見据えていた100回目。
これにて定期更新に終止符を打ちたいと思います。
さて、先週から続きます最終回企画ですが、ラストはサポーターズ2人の「最後に紹介しておきたい本」で締めたいと思います。
読書超人と呼んで何度も頼らせてもらった梅子さん、そしてブログ主のあひるで参ります。
どうぞお付き合いくださいませ。
ブリアン・ペロー『アモス・ダラゴン』 ~梅子さん~
面白い本はいつ読んでも面白い。
なんてことはない。本には適正年齢がある。指定図書や規制のように、誰もに対してまとめて同じには出来ない、個人の適正年齢がある。
内容が幼児向け、言葉が難しいなども関わるが、もっと単純に、本Aを人Aが読むためのちょうど良い時期、というやつがある。
小さい頃なら寝食を忘れても、大きくなると手放す本。小さい頃なら意味が分からなくても、大きくなると嵌る本。子供の頃は、つまらなければもう読もまないと思えば済む。これが大人になってしまうと、この本とはもっと早く会いたかったと惜しむ事が増えていく。
私がよく読むジャンルのファンタジーというところは、児童書も多いので惜しむ本にもよく出会う。一冊を読み切るのが苦痛になる本もある。逆に出会って数十年経っても読み返す「十二国記」のような本もある。同じように、あの頃読んでおいて良かった本もまたある。
夢枕獏の『キマイラ』とは中学生の頃に出会った。確信しているが、今ならあの本は読めない。中学生の一心不乱さがあったから、読み込めて楽しめた。読み返すことに苦痛なんて無かった。いつ完結するのかと苛々していた思春期に謝りたい。完結編の頃には読み直し出来る体力は無くなっている。すいません、駄目でした。
けれど、E・ファージョンの『ムギと王さま』は幼少の私よりも、先生(ポラン堂店主)の下で学んだ私の方が楽しめている自信もある。「月がほしいと王女さまが泣いた」はいいぞ。
これが会話なら、咳払いをしたいところにきた。つまりは場面転換、究極の私信を挟んで、ようやく紹介したい本の話に行くわけである。
大学生は若い、けれど幼くはない。親から独立できる身分を手にし、しかしそれほどお金はない。尻で脛を齧って生きていた私は、学費を稼ぐことよりも、効率よく本を接種することに学生時代を費やしていた。つまり、図書館に入り浸っていた。
平日の昼日中、身長は低くても子供だとは思われない大学生が、幼児コーナーや低学年向けとの記載がある本棚群で、這いつくばる様にして動く姿を気味悪く思う人がいたら申し訳ない。あそこの棚は低いんだ。
『アモス・ダラゴン』に出会った日も、私は這いつくばっていた。なんなら気持ちも這いつくばっていた。前日まで読んでいた児童書のシリーズがあまりにもつまらないのに、手を出したからには最後まで読まないといけないマイルールに逆らえず、超嫌々最終巻を借りようとしていた。
しばらくは児童書から離れて京極夏彦作品を読み返そう。などとぶすくれながら二足歩行に戻ろうとした矢先、とても好きなイラストレーターが表紙を描いている本を見つけた。「アモス・ダラゴン」だった。いそいそと超嫌本を棚に戻して図書館を出た私は、少年が仲間と一緒に成長しながら世界を救う冒険ファンタジーに、寝食を忘れて嵌った。
晩御飯を食べ損ね、読み終わるまで寝ることができず、貸出中に阻まれ続編が読めないまま受けたその日の講義ノートは、当然、見返すに値しない出来となった。
現実の貸出予約戦争が終結し、四つの仮面を求める物語も終わった時、私は「十二国記」を思った。ジャンルや翻訳に関係なく、自分の本棚で最も読み返している本の列の末席に『アモス・ダラゴン』が座ったことを感じたからだ。
素晴らしい事にこの世界には、数十年くらいならいつ読んでも面白い本がある。
長嶋有『愛のようだ』 ~あひる~
いつか、なんやかんや記念日や企画にかこつけて紹介したかった一冊でした。
そのような本は言わずもがなたくさんあるんですが、自分が愛してやまない長嶋有さんの作品を最後にという、感傷的な思いが大半です。
『愛のようだ』は長嶋有公式サイトには「漫画と泪と男と車」の作品集とあり、バツイチのフリーランスで歳もそこそこいっている主人公の男が車の免許をとるところから始まり、各話違う面子でドライブをするという連作短編集です。
印象的なのが最初、自動車教習所の試験の前に、主人公が琴美という女性が選曲したmp3をヘッドホンで聴く場面。
ネガティブになると猫背になる“なんてこった!”
見た目からでもOK!
胸を張って“ちょいとハッスル!”最近の「アニソン」というよりは少し昔の「歌のお姉さん」ぽさのある声音で、前向きな言葉を明るく繰り出している。あらゆる「頑張れ」という主旨の歌を、もうずっと聞いていない。大人になるとアニメをみなくなるだけでなく、前向きに応援される機会も必要もなくなるのだ。
これ、知っててもぱっとわからないかと思うんですけど、「プリキュアシリーズ」で3回もEDに使われた「ガンバランスdeダンス」という曲のAメロなんですよね。
なんの話だ、と思った方もちょっとまだ聞いてください。
長嶋有さん作品を紹介するとき、これはフックとして良いなと思っているのが『佐渡の三人』の冒頭のユニクロの袋、『ジャージの二人』で最初に父がコンビニで買う「ビックコミックオリジナル」増刊号、そして、『愛のようだ』がプリキュアの曲の引用から始まること、だったりします。このあたりの視野の広いアイテムの使い方やフラットさって、あんまり小説のイメージにないでしょ、楽しいよというふうに。
ブログ第一回の更新で、自己紹介もかねて、先生(ポラン堂店主)との出会いについて書きました。
「授業に知っている漫画やアニメやライトノベルが出た」ことが楽しい以上に衝撃だったというのが、単純でありながら確かな縁の始まりでした。学問、文化が越境できる、広がっていけることの気付きは、今日の私をも大きく形作っています。
昨年出会ったものなかで面白かったのが、Spotifyのポットキャストで聴けるんですけど、「お笑い地政学」という「お笑い」について批評を繰り広げようというラジオで、その中の冒頭、文芸雑誌『すばる』の評論の新人賞をとったこともある西村沙知さんという方が、お笑いの批評をしづらい磁場について話すところがあるんですね。
今や、音楽もアイドルもお笑いも、それを支えている人たち(ファン)が、そのコンテンツに通じていない人とも分かち合えるような共通の言葉を持たないということ。ビジネスする側もそれで成り立ってしまえるということ。異文化を越えてまで、言葉が、交通する必要が全然ないということ。
文化と言ってしまえば大仰なほど、今、様々に小さな「界隈」で溢れていて、知っている人しか楽しめない、が無数に溢れています。バラエティのノリも、ドラマにおける斬新さや古典も、スポーツのスタンダードも、ユーチューバーなどの動画配信者のタレント性も、アニメも、漫画も、楽めている中にはどうしてもそこにしかない言語があって、外に伝わらない言葉がある。もちろんそれが楽しいというのもある。外からの評価などなにくそと思う側に立った経験もそりゃああります。
でもそこを完全に閉じてしまわないからこそ、新しい感動や驚きがあるじゃないの、って思い続けたいのが私です。そしてその開かれた可能性を、文学の中で見つけたことが、長嶋有さんの作品との出会いでした。
『愛のようだ』にはプリキュアの曲を引用した後、『アオイホノオ』の自動車教習所の場面で話数を割かれた話や、『キン肉マン』の負ける姿の描かれ方など、いろんなものが語り手の思考のなかに出てきます。もちろん長嶋有さんは私が上記でしたような妙な主義主張のもと、引用をしているのではありません。もっとフラットで、スマートです。
日常の会話や何かを考えるとき、身の回りにある漫画やら音楽やら時事的ニュースを思う、全くもって自然な、生きている主人公がそこにいます。いろんなことに興味を持っている彼は、多元的に開いていて、言葉も豊かで、だからプリキュアの歌を「あらゆる頑張れという主旨の歌」と評するキレキレのセンスもある。
結局どんなストーリーだというのをほぼ伝えられていない『愛のようだ』ですが、プリキュアEDを選曲するような「琴美」という女性、実は親友の恋人である彼女を想う主人公の話だったりします。各話のドライブで、助手席や後部座席に乗る人は変われど、その一連は変わりません。
自然体で、いろんな文化に語る言葉を持つ作家によって紡がれる、「愛」について。
もっといろんな人に出会ってほしい一冊です。
以上です。期せずして、梅子さんも私もいろんな作品名を列挙するような文章になりました。語りたいことは尽きないという証なんです、と得意げになってみたり。
梅子さんには計9回、テーマ別の本紹介やサポーターズ企画など多くの記事の依頼をしました。特に、「鬼」「人形」「悪魔」とこちらが決めたテーマにがっつり選書して、仕事も忙しい中で素敵な記事を仕上げてくれたことは、感謝もありつつ畏敬の念を持たざるを得ません。読書超人と勝手に読んだこと、勝手に和製ファンタジーの専門と扱ったこと、どれも許してくれてありがとう。100回でやめると伝えたとき、このブログを惜しんでくれて、最後までにまた記事を書きたいと伝えてくれてありがとう。とにかく、あらゆる面で支えられました。
先週の香椎さん、阿月まひるさん、他にも忙しいさなか、ポラン堂古書店サポーターズと勝手に名付けておいて、しょっちゅう頼らせてくれたみんな、──あさぎさん、さきたまさん、はねずあかねさん、桜澤美雅さん、本当にありがとう。
そして先生(ポラン堂古書店主!)、ブログを始めることを認めてくれたこと、毎週毎週たくさん協力していただけたこと、お客様からのリアクションを逐一お伝えくださったこと、都度このブログを大事な活動として評価して、感謝の言葉をかけてくださったこと、本当にありがとうございました。
何よりもお伝えしたいこととしては、この後も私とこのブログはポラン堂古書店を応援し続けるということです。ポラン堂古書店はまだまだ続きます。また何か力になれることを見つけて、サポーターズとして、ああだこうだしていきたいと思います。
このブログの定期更新は最終回を迎えますが、また遠くないうちに何らかの企画や連絡事項等、もしくは突発的な思いつきで更新するかもしれません。そのときはよろしくお願いします。
それでは最後に、ここまでお付き合い下さった方へ、貴重なお時間をありがとうございました。皆さまに、幸せな読書と、幸せな日々がたくさん訪れますように。
そして今後とも、ポラン堂古書店をよろしくお願いします。