第8回十字軍2-対モンゴルの盟主ルイ
2018.09.01 12:22
シリア、パレスチナに進撃したモンゴルはついに1260年アレッポを陥落させた。この指揮をとったのがネストリウス派(景教)のキブカである。ヤコブ派キリスト教徒はいち早く降伏、イラン占領以来シーア派もモンゴルに従軍しているので、シーア派教徒も保護され、スンニ派は略奪された。モンゴルの征服でも実に宗教がついてまわっている。
続いて侵攻したダマスカスでは、スルタン、アル・ナシルが無抵抗で降伏したので、略奪を免れた。キリスト教徒はモンゴルの侵攻を歓迎し、ダマスカスのモスクがキリスト教会に衣替えした。アル・ナシルは「エジプト攻めに協力すればダマスカスを返してやる」と言われてつき従うことになった。ここにシリアまでモンゴルの手は伸びたのである。
十字軍国家は、モンゴル恭順派と交戦派に分かれ、ローマ教皇やフランスに援助を請願した。しかし中東だけではなく、東方からもモンゴルの脅威がヨーロッパに迫っていた。キプチャクハン国ベルケは、ロシアを席巻し、ポーランドのクラコフを焼き払い、ハンガリーに再度迫っていた。頼るはずのドイツは混乱状態だったのだ。
北ではドイツの混乱にチャンスとばかり、リトアニア王ミンドウガスが、ドゥルベの戦いでチュートン騎士団に勝利し、ロシアの独立派アレクサンドル・ネフスキーと同盟を組んだ。欧州の盟主はルイ9世となり、パリに諸侯が集まり、対モンゴル統一戦線を組むこととなった。ヨーロッパにとってモンゴルは黙示録の地獄の戦士ゴク、マゴクであった。
下はポーランドで教会を略奪するキプチャク軍