レゾン デートル
記憶というものは、実は回想ではなくて、想像だという話しがあるけれど、遠い昔のあの瞬間のことだけは自信を持って「今でもはっきり覚えている。」と言える。
小2の夏休みのある日、両親は共働きで、2人の弟はおそらく保育園だったのだろう。自分は田舎にある引っ越したばかりの新居のだだっぴろい床の間で一人仰向けに寝転び、不規則な木目の天井をまるで海の波を見るようにぼうっと眺めていた。
当時、まだ冷房なんかは家になくって、全力で回る扇風機が開け放した縁側にかけられた風鈴をせわしなく鳴らしていた。
所在なさげにゴロゴロ寝返りを打つと、真新しい畳の香りと、小児喘息持ちで虚弱だった少年のランニングシャツにうっすらにじんだ汗のにおいとが混ざり合い、淡い夏の記憶を創り出した。
私にはプランがあった。ダラダラと寝ころがりながらもそのスキームを頭の中で組み立てていた。
魚釣りはもっと小さい頃から親父に連れていってもらっていた。
しかし、一人で全てをやり切ったことはなかった。いつも親父が仕掛けを全部作り、足場の高い防波堤からたくましい全身の筋肉を振り絞って、はるか遠くにキャストし、竿先がピクピクすると、「ホラ、巻け。」とだけ言われていた。
真夏の青黒く透き通った海からはキスや、フグや、たまにワタリガニなんかも上がってきて、それはそれでとても楽しい時間だった。
でも、独りで全てをやり切りたかった。
釣りのハウトゥ的な漫画を隅から隅まで読み尽くして、いつか実行してやろうと思っていた。 なぜなら、引っ越した家の目の前にはきれいな小川が流れていて、モクズガニや小さなエビ、イモリやザリガニ、そして何だかよく分からないが15~20㎝くらいの魚がキラキラと泳いでいたからだ。そいつを釣ってみたかった。
親父は当時、色んな釣りをやっていて、当時高価だったであろう渓流用のカーボン竿を持っていた。しかし、それを勝手に使うと後で大目玉を食らうに違いない。そう考え、裏山の竹を切ってのべ竿を作った。引っ越す前に同じように竹竿でザリガニを釣っていたのでこのやり方には自信はあった。糸は親父の銀鱗1.5号をこっそり奪った。玉ウキにゴム管、カミツブシ、サルカンにハリス付きの小さな袖バリたちも同じくバレないように親父の道具箱から拝借した。
そして、エサ。何でもそのハウトゥ漫画によると、魚肉ソーセージで釣れると書いてあった。そこにググっときた。
ミミズなんかはいくらでも掘ればいる場所を知っていたが、冷蔵庫の中で眠っているソーセージで釣れるなんて、何だかとてもワクワクした。
誰もいない台所で一人、包丁でソーセージを細かく四角に刻んで、作ったばかりの竿と仕掛けを固く握りしめて出撃した。目標地点はずっと目を付けていた家から200mくらい下流。竹やぶの中を流れるポイント。
抜き足。差し足。今思い返しても、幼いながらに立派なストーキングだったと思う。
魚が上流を向きながら泳ぐのは観察済みだったので、下流から背中を丸めてそうっと仕掛けを流す。赤と黄色の玉ウキが所在なさげにキュルキュルと流れにもまれる。薄いピンク色のソーセージはゆっくりと下流に向かって放物線を描きながら潜行し、やがて玉ウキを引っ張っていくように流れていく。
あの魚はいる。いるのだけど、一瞬興味を示すだけで、口を使ってはくれない。ちょっと考えてウキを少し上にずらした。レンジを下げ、目の前を少しでも長い時間漂わせたかった。
一投、二投、食わない。でも時折ソーセージをつつくような仕草を見せる。
息を殺して、というよりもむしろ息を止めて、気配を消して、同じ動作を繰り返す。周りの音が遠くなり、心臓が耳の奥にまでせり上がってきているような気がした。そして何投目から分からないが、突如、水中で「ギラッ」と銀色の稲妻が走り、玉ウキがジグザグの軌道を描きながら水中に引き込まれた。
反射的に竹竿を立てるとグググという確かな手応えが伝わってくる。水から引っこ抜かれて、足元の草むらにボトリと落ちたその魚には、下アゴにニキビのようなボツボツがあって、シリビレはおとぎ話に出てくる天女の羽衣のように優雅に伸びている。大きさは大体18㎝くらいだったように思う。
家に帰ってカラー図鑑で調べると、オスのカワムツだった。
あの時の歓喜はきっと一生忘れることがないだろう。本は読んだけど、親父には何も教わらず、一人で全てをやってのけた。この光り輝く充実感は何事にも代えがたかった。心の中でとてつもなく大きなものが弾けた瞬間だった。
もう数十年前のこの幼少体験は、その後の人生にまあまあ大きな影響を与えてきたのだと、最近特に思わされるようになってきた。
思い返してみると、私はここまで「師匠」と呼べる存在に出会ったことがない。これは偶然ではないと思う。もちろん友人や仲間、先輩・後輩、上司・部下みたいな存在は沢山いたが、ものごとの「カン」・「コツ」や秘密を手取り足取り教えてくれるような師匠はいなかった。
むしろ、そんな匂いがする人が現れたら、避けて通るくせがあったんだと思う。
多分何事も人に習うというのが嫌いなタチになってしまったんだろう。感動のコアな部分は一人で試行錯誤して掴むものだと勝手に思い込むようになってしまったんだろう。これも一重にあの1匹のカワムツのせいだ。きっとそうだ。
これまで生きてきて、大体はそんな感じでこなしてきた。そのせいで大きな失敗をやらかしたり、かなりの遠回りをしたことも沢山あったけれど、それほど後悔はしていない。これが私のやり方なんだと思ってやってきたし、これからもきっとそうしていくんだろう。
つい最近まであれこれとよしなし事を書いていた”TailSwing”では、後輩が志したことに協力したい、バックアップしたい、という気持ちから始めて、多分5年以上はやっていたのだが、段々とその気持ちが管理人の藤井くんに対する過剰な期待に変化していった。
また、彼自身にも私に対する甘えの気持ちがあっただろう。だから一旦リセットした。
反面、元々どこか人嫌いの気(け)がある私が”TailSwing”を通してとても多くの方々と知り合いになることもできた。これは一人では絶対に出来なかったことだ。だから、彼には素直に感謝をしているし、これからも見守っていきたいとも思っている。
当たり前だけど、物事は何でも始めることよりも継続することの方が難しいし、エネルギーがいる。挫折や失敗も多い。そこでそのまま続けるのも、方向転換するのも、やめるのも本人の自由だ。
ただ、その決断をすることで知らず知らずのうちに自分自身に対してのあきらめや、卑下するような感情が心の中を占めるようではいけない。私はそう思います。
レゾン デートル(Raison d'etr)という哲学用語がある。英語に直すと”Reason for living”。
その意味は、「他人から認められるための価値・理由ではなく、自分自身が求める価値・理由、生き甲斐」といったものだ。
大人になり、社会人になると誰でも評価というものは周りがするものだということをまざまざと気付かされる。
しかしそれは社会人としてのそれであって、自分自身を腹の底から幸せに出来るのは己の感性・直感・行動だ。そうやって生きていないと、何とも息苦しい人生になってしまうだろう。現実にそんな風にしか見えない大人はとても多い。
己の心が勝手に作り上げている「敵」のようなものは実在しないということに気付くこと。
素直に楽しい、嬉しい、美しいと思えるものを求めて軽やかに行動していくこと。
こんなことに尽きるんだと思う。
また、そんな風に感じられることをこれからしばらく綴っていきたいと思う。
ここ数年、本当にフィールドを問わずスプーンだけでトラウトを追いかけていたが、これからは惹かれるルアーならこだわらずに使ってゆく。
渓流用のタックルでさえ、スプーン仕様にしていたから、組み合わせとしてスプーンでの釣りにはかなり完成度が高いのだけど、このタックルに合うミノーとそのセッティングも追求していきたい。スピナーだって。時にはトップウォータープラグだってやるかもしれない。やりたいことが沢山あってとても幸せな気分だ。1つ1つ丁寧に詰めていきたい。
湖のスプーニングではかなり面白いことにも気づき始めているし、ここ九州ではあまりフィールドが少ない本流にもチャレンジしてみたい。
私自身のレゾン デートルは多分もうぼんやりとは自覚出来ている。後はその形を整え、磨き、一生かけて作り上げてゆこうと思う。
自然に抱かれ、感性と言葉の海に泳ぎ、心赴くままに生きてゆこうと思う。
皆さん、どうぞよろしくお願い申し上げます。