本当の願いが叶わない限り幸せは感じない
フェイクの願いが叶ってもそれは幸せではないのですよ。
その下にある本当の願いが叶うまで、満たされることはないのです。
ではフェイクの願いってなんでしょう?
本当の願いってなんでしょう?
お裁縫が不得意で、中学時代、家庭科の宿題は母に縫ってもらって提出していた私。
大人になってタヒチアンダンスの衣装を3着も縫わなくてはいけなくて、自分には絶対できないって思っていた。
前回の衣装は先ずは自分で作ってみて、ガチャガチャで着れなかった。
ほらね、私は不器用だからやっても無駄なの、出来ないの、という確信がさらに深まりました。
そして、最終的には先生に縫い直してもらってイベントに参加できたのでした。
タヒチアンダンスのイベントに出るっていう願いは叶ったから自分としては満足だったと思っていたし、実際先生に縫ってもらってよかったな〜、ラッキーって思っていました。
その時はね、本当にそう感じていたんですよ。
今回、また3着も縫わなくてはいけないってなって、もう絶対無理って思ったんです。
そしたら代わりに縫ってあげますよってお声がけを頂きました。
やっぱりね、イベントに出て踊るっていう願いは叶うのね、ってその時も思ったのです。
でもね、自分の心が満たされていないことに気づきました。
私が縫ってみたい。作ってみたい。不器用でもって気持ちが出てきたんです。
出来ないって思っていて、チャレンジすることを諦めていた自分に気がつきました。
ちょうど踊りの振りもね、3曲も覚えなくてはいけなくて、振りを覚えるのが不得意な私は焦っていました。
不得意だから覚えるのは無理って自分で決めていたんです。ビデオを撮ってもらって見ながらじゃないと覚えられないって思っていました。
でもね、そうやって苦手だからってどんどん自分が何もしなくなって、出来ることも出来ないようにしてしまっているって感じたんです。
私は経験を端折ってゴールに最短でつければいいと思っていたのです。
で、実際にこの件に限らず、最初からゴールにたどり着いていることが多かったのです、実生活の中で。
願いが叶っていることが多かった、と思います。
それがね、あまりにもそれだと味気なくてつまらなくて、何よりも自分に自信がないまま人生が終わってしまうのではないのかなって、感じるようになって、
ええ?
それって。。。
超つまらない!それにダサい!
って思ってしまったんです。
そこからです。
友人にお願いしてミシンを貸してもらったり、先生やみんなに縫い方を教えてもらったり、メールで頻繁に写真や縫い方を確認させてもらったり。
その過程で見えてきたことがあったんです。
自分は能力が低い、と思っていたこと。
出来ない自分を受け入れることができなかったこと
それをカバーしてくれるだけの人たちや環境が周りにあったこと(これは悪いことではありませんが改めて気づいたことです)
しつこく教えてもらったり、頼みごとをお願いすることで相手から嫌われてしまうのではないか?と思っていたこと
その思い込みが私の人生の枠をグッと縮めていたことに気づきました
びっくりしました。
そしてね、なんと!衣装が縫えたんですよ!自分で!
しかもファスナーもつけてタックも入れて。
驚きました。
ダンスの振りも、振りのビデオが手に入ったこともありますが、今まで以上にできる限りの事をしよう、というモチベーションに変わりました。
私は、本当にしたいこと、経験したいことをしているって感じています。
上手くできなくても、どうやったら出来るようになるのかな?こうやって工夫してみよう!という気持ちで取り組めるようになりました。
そして人のありがたさ、一人では何も出来ないってことにも身に染みて感じることになりました。
昔よりもずっと自分の人生を生きてきたつもりでしたが、まだまだ人ごとのように感じている部分を知って、不安や恐れから行動を制限している自分に気づけました。
小さいことですが、気づきに小さいも大きいもありません。
この一件で、今まで逃げてきた大きなことにも取り組んでいこう、という気持ちに切り替わりました。
その今まで逃げてきた大きなこと、のお話はまた今度します。
たとえ話があまりにも小さすぎて、参考にならなかったらごめんなさいね〜。
でもね〜、もし今、日常生活で
自分の人生はこんなもんだ、このまま予想した通り日々が過ぎていって、死ぬまで生きるんだって感じている人がいたら
別に仕事をやめるわけでも変えるわけでもないし、引っ越すわけでも旦那と別れるわけでも結婚するわけでもないけど、
今ある日常生活でこれだってものになんでもいいので意欲的に取り組んでみてはどうじゃろう?
視点を変えてみたり工夫してみてはどうだろう?
自由に生きる
自由を感じて生きる一歩になるのではないのかなあ、と感じています