スーパー・ストロング・マシンヒストリー①キン肉マンから始まったストロング・マシン
1984年8月24日、新日本プロレス「ブラディ・ファイトシリーズ」開幕戦の後楽園大会で、突然目出し帽を被ったマスクマンと、黒いテンガロンハットを帽子を被り、サングラスを着用、白い装束を纏い、短い鞭を持った男が登場、マスクマンはセコンドについていた若手達に襲い掛かり、放送席で解説をしていたアントニオ猪木に挑戦状を叩きつけた。この模様は金曜8時の「ワールドプロレスリング」で生中継で放送されたことでファンにインパクトを与えたが、白い装束の正体はカナダ・カルガリーで悪党マネージャーとして名を馳せていた若松市政で、目だし帽を被ったマスクマンの正体は謎とされた。
目だし帽の男の正体は平田淳嗣、1978年5月に新日本プロレスに入門、8月にデビュー、同期だった前田日明と凌ぎを削っていたが、1982年11月にメキシコへ海外修行に出された。平田本人はブレット・ハートのルートでカナダのカルガリーを希望していたが、受け入れ先のUWAは長州力と入れ替わりにとしてヘビー級レスラーを欲していたのもあって、営業本部長だった新間寿氏が平田に白羽の矢を立てた。だが自分の希望を通らなかった平田は合同練習をさぼり、自室へと引きこもるぐらいショックを受けたという。
平田はメキシコUWAではエル・カネックの保持するUWA世界ヘビー級王座に挑戦するなど、そこそこのポジションを築いていたが、カルガリー行きに未練を残していた。そこでメキシコから先にカルガリーに渡っていたヒロ斎藤を頼ってカルガリーへ渡り、同地で若松市政と出合った。平田は世話役となったミスター・ヒトによってバリカンでモヒカン頭にされ、インディアンレスラーのサニー・トゥー・リバーズに変身し、ジョージ高野ことザ・コブラを破り英連邦ミッドヘビー級王座を奪取するなどトップで活躍した。
1984年夏になるとカルガリーマットも冷え込み始め、WWFへ売却寸前になったところで、平田はキラー・カーンの誘いを受けてフリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサスのWCCWへ転戦することになったが、新日本の副社長だった坂口征二から帰国命令を受け、平田は戻る気はなかったものの、坂口直々の命令には逆らえず帰国を決意する。当時の新日本は第1次UWFが旗揚げしたことで、前田日明、藤原喜明、木戸修、高田延彦が退団してUWFへ移籍、業務提携を結んでいた。WWF(WWE)もビンス・シニアから現在のビンス・マクマホンに代替わりしたことで、主力選手の貸し渋りが始まり、新日本プロレス興行の大塚直樹社長も全日本プロレスと業務提携を結んだこともあって大揺れに揺れていた。新日本は前田らの抜けた穴を埋めるだけでなく、UWFからの引き抜きを防ぐために平田だけでなくヒロ斎藤、同じくカルガリーで活躍していた高野俊二を帰国させたのだ。
しかし帰ってきた平田に用意されたのは『キン肉マン』のマスクだった。当時アニメで『キン肉マン』が放送され大人気を呼んでいた。新日本はタイガーマスクの二番煎じだったザ・コブラが思うように人気が出ず、また全日本も2代目タイガーマスクを誕生させたことで、新日本も対抗するためにテレビ朝日側のアイデアで『キン肉マン』を誕生させてリングデビューさせようとしていたのだ。日本への帰国も『キン肉マン』への変身も平田の本意ではなかったが、会社命令には逆らえない、平田は周囲の説得もあって渋々『キン肉マン』への変身を決意、『キン肉マン』のマネージャーには、カルガリーマットの冷え込みと家庭の事情で帰国を余儀なくされ、故郷に戻っていたが、新日本の顧問となっていた元国際プロレス社長の吉原功氏の招きで新日本入りを果たしていた若松が着いた。ところが『キン肉マン』はテレビ朝日ではなく、全日本プロレスを中継していた日本テレビで放送されていたこともあって、許可を取り付けるのに難航してしまい、8・24後楽園当日になってもまだ交渉していたため、新日本は苦肉の策として『キン肉マン』のマスクに目出し帽を被らせて登場させたのだ。
『キン肉マン』は許可が下りずボツとなり、新日本はマスクを取って素顔の平田として猪木と対戦させようとしたが、この頃の新日本は新日本プロレス興行の大塚社長が「新日本からの選手の引き抜き」を公言したことでまた揺れ始め、長州力率いる維新軍団の離脱が噂されていたこともあって、長州の二番煎じになることを嫌った平田はマスクマンで通すことを決意、マスク屋が何種類も用意した中で現在の「笑い仮面」のマスクを選択した。平田本人はマスクを被るたびに人格が変わるマスクマンの魅力に取り憑かれるようになっていったという。
8月31日南足柄のテレビマッチにて目出し帽の男と若松が再び現れ、目出し帽の男の名前はストロング・マシンと公表されたが、ネーミングは若松が考えたものだった。9月7日の福岡でアントニオ猪木とのシングルマッチで再デビューとなったが、今度は若松が新たな怪覆面も従えて登場するサプライズを起こす、試合も平田自身も新日本への反発心もあって猪木相手に気後れもなく好きなようにやれた、いや猪木が平田の良さを引き出していたのかもしれない。試合は若松の乱入もあって猪木の反則勝ちとなったが、ストロング・マシンは同じ覆面をした2号も出現したことで大きなインパクトを与える。そしてシリーズが終わると長州率いる維新軍団が新日本プロレス興行に引き抜かれる形で離脱するが、マシン軍団は3号や4号も誕生して増殖、ヒロ斎藤も加わったことで一大勢力となり、ワールドプロレスリングも全盛期とは比べ若干視聴率は落ちていたものの、15%以上とキープ、観客動員も満員が続いたこともあって、維新軍団の穴埋めに大きく貢献したが、新日本は単なる穴埋め要員としか見ていなかった。
(参考資料 GスピリッツVol.40 ベースボールマガジン社 日本プロレス事件史Vol.13)