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長州力、最初で最後の異種格闘技戦!トム・マギーは格闘家だったのか?

2018.05.23 09:28

5月20日の昼にこういうニュースが入った。

 写真を見ても頭は凹み、顔は歪み、ボコボコ・・・こうなっては昔の面影は全くない。昭和62年全日本プロレスに参戦し、1月1日の元日に長州力と異種格闘技戦で対戦したトム・マギーで間違いないと思う。

  トム・マギーはカナダでウエートリフティングやボディービルでも数々のタイトルを獲得、1985年にミスター・ヒトにスカウトされて、カルガリーマットでデビューを果たした。ヒトは新日本プロレスの外国人ブッカーの一人だったが、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスのブリティッシュブルドックスの引き抜きを契機に全日本プロレスに乗り換え、特にジャパンプロレスの社長だった大塚直樹氏とも親しかったこともあって、ジャパンの主催シリーズにはブルドックスだけでなくカルガリー勢もジャパンに送り込んでいた。

  なぜ長州とトム・マギーが対戦することになったのか、カルガリーハリケーンズの項でも触れたとおり、全日本プロレスと提携していたジャパンプロレスは独立を模索、布石を打つためにTBSと交渉を開始しており、ハリケーンズと旧UWFとのプレオールスター戦を開催するだけでなく、大晦日に長州の異種格闘技戦をメインとした『格闘大戦争』を開催して、紅白歌合戦の裏番組にぶつけてジャパンの独立をアピールしようとしていた。その長州初の異種格闘技戦用に用意された選手がトム・マギーだった。大塚氏は長州も異種格闘技戦が出来ることをアピールして、長州を馬場やアントニオ猪木の地位まで押し上げようとしていた。 

 ところが日本テレビ側の圧力でジャパンとTBSとの交渉は白紙になると、馬場がジャパン側と話し合いを持ち、ジャパン側有利の契約を結ぶだけでなく、全日本と新日本は休戦し引き抜き防止条約を結んだことでジャパンの独立の芽を絶ち、がんじがらめの状態にしてしまう。全日本も日本テレビで放送されていた「全日本プロレス中継」が10月から土曜7時の枠でゴールデンタイムに復帰することが決まっており、長州も大事な視聴率要員だったこともあったことから、ここで長州を手放すわけにはいかなかったのだ。ジャパン独自で呼び寄せていたトム・マギーも宙に浮いた状態となるが、新日本の影響下のレスラーでなかったこともあって全日本に参戦することになり。全日本初の元日興行の目玉として長州初の異種格闘技戦が組まれた。結果的にはジャパンが大晦日で行うはずの異種格闘技戦は、そのまま全日本の元日興行にスライドした形となったのだ。

 後楽園ホールは長州初の異種格闘技戦ということで元日にも関わらず3400人と超満員札止めを動員、テレビ中継も録画ながらも特番枠で放送された。トム・マギーはパワーリフティングの出身だったが、全日本プロレス中継では「カナダマット世界最強」「レスリング、カンフーや空手の心得もある」と紹介されたことで、トム・マギーも意識してか1R開始からキックで牽制、長州がバックを奪うと力で振りほき片足タックルを仕掛け、ヘッドスプリングから後転、バク宙からトンボを切ってドロップキック、飛行機投げを狙う長州を持ち上げてエプロンに出すなど、パワーや身軽さもあることをアピールする。リングに戻った長州は首四の字で捕獲からグラウンドへ引きずり込み、動きを封じにかかる。

  2R入ると長州のショルダースルーを着地したトム・マギーはトラースキックを発射、フィンガーロックの攻防で長州を押し込みにかかるなど怪力ぶりを見せるが、リバーススープレックスで投げた長州はサソリ固めを狙うと、トム・マギーはロープに逃れ、2度目のサソリ固めは防がれるが長州はアキレス腱固めに移行も、しだいにトム・マギーに疲れが見え始める。

  3Rに入るとトム・マギーはハイキックを命中させ、ベアハッグで捕らえてからツームストーンパイルドライバーで突き刺す、そしてコーナーに長州を押し込むとサマーソルトキックを決めるが、大した威力がなく、トム・マギーが着地したところで長州がリキラリアットが炸裂、最後はバックドロップからリキラリアットの連発で3カウントを奪い、長州が自身初の異種格闘技戦を制した。

  長州は試合後のインタビューで「確かにいい素材だと思うけど、まだまだレスリングを知らない、これはと思ったのは、あのキック一発だけだったな。」と評していたが、試合を改めて振り返ってみると、異種格闘技に見せたプロレスであり、セコンドに着いていたヒトも指導はしたと思うが、パワーは見張るべきものがあったもののキックもレスリングも付け焼刃レベルで、キャリアの浅さが目立っていた。もし予定通り大晦日で放送されていたら、"どこが異種格闘技戦なんだ!!"と猛反発を受けていたのではないだろうか…

  格闘技戦を終えたトム・マギーは1週間だけ全日本のシリーズに参戦して栗栖正伸、ハル薗田、仲野信市、渕正信、新倉史祐らとシングルで対戦して帰国、その後WWFへ参戦したが上位グループに食い込むことが出来なかった。この頃のWWFはハルク・ホーガンを始めとするマッチョ系のレスラーがトップを張っていたことから、"日本でも試合をしたから自分もアメリカでトップを張れる”と思ったのかもしれない。だが見栄えは良くても試合運びはレスリングに成長はなかったこともあってトップを張ることは出来ず、WWFを離れた後はヨーロッパを始めとする各団体を渡り歩き、1988年に全日本に再来日するも成長の後は全く見られず、中堅選手の噛ませ犬要員として扱われ、輪島大士とのシングル戦では無駄なアピールで失笑を買うだけでなく、逆エビ固めで速攻で敗れるなど醜態を晒した。日本から離れた後は引退してアクション俳優に転身し、表舞台から消えた後は地域のガードマンとなっていたという。

 今思えば日本でキャリアを積ませたら、現在のケニー・オメガのように大化けする可能性は秘めていたと思う。しかし見栄えだけでトップを取れると思い込んでいたことで肝心の本人に向上心がなかった。惜しいとしか言いようがない。