乳がん肺がんステージ4
症状と経過
50代前半 女性(Dさん)
原発は11年ほど前(2012年)。右胸乳腺にシコリを発見。
仕事環境が変わるタイミングで、小さかったシコリの急成長の時期があり
4年ほどたった頃に、腫瘍が皮膚を突き破って表皮に顔を出すという、ショッキングな瞬間を体験。
恐れおののきながらも翌春、通院スタート。
整形外科から始まり、乳腺外来で精密検査の予約をするも、不安と恐怖でキャンセル。
その後、アトピーに見舞われたことが切っ掛けで通院検査に繋がり、
2017年12月、右乳房上内側部乳癌、右脇リンパへの転移疑いの診断。
乳房全摘出&リンパ節郭清手術と抗がん剤の治療提案を受けるも、最終的に受け入れられず
セカンドオピニオンをいくつか受け、そちらでステージ3Bと伝えられるが
どこにもお任せする気持ちになれず、病院との縁を切ってしまう。
「手術イヤ、抗がん剤イヤ」で模索の日々を経験して、かなりたった頃
2022年の4月頃、胸水からの呼吸困難に陥り、救急搬送され入院。
肺への癌転移が確認され、一気にステージ4へ。
改めて病院とのご縁が繋がるも、標準治療は選択しないまま現在に至る。
Dさんは、そこから10ヶ月ほどした今年(2023年)2月頃に、私のイネイト活性療法と出会いました。
癌の人は一般的に体温が低く、血液が酸性で血流もよろしくなく、そもそも免疫が落ちているので感染症に罹りやすいベースです。
なので、やるべきことは先ず、体のベースを整えてあげることと血流を良くすること、感染があれば見つけ次第取ることです。
それと同時にがん細胞の増殖を止めて、できれば除去していくこと。
なのですが、イタチごっこのように数限りない感染除去をして、肺炎を乗り越え、次々発生する小さな症状を取り、、、
それやこれやを毎週2〜3回、ほぼ半年に渡ってやってきました。
果てしなさが続いていましたが、8月頃に転換点が訪れました。
どうも変だ変だと思っていたんです。
ある程度は肉迫できるのに、肝心なところで隠されているかのような感覚がありました。
そこをずっと追いかけていたら、ある時「疾病利得」をやる回が訪れました。
これについては、Dさんご自身がもう認めていたことなので、あえてやる必要を感じていなかったのですが、ついにやる必要があると迫られたのです。
このメンタル施術をやってみてびっくりでした。
中学生の頃の、古い体験記憶から獲得した観念が出てきました。
「病気だと幸せ」(お母さんが優しくしてくれるから)
こんな病気のメリットを刷り込んでいて、それを裏打ちするように胸髄にズラッとエネルギーの塊がくっついていたんです。
体の異常はこんなエルギーの塊が原因であることも多くあります。
それは、事故等で外傷時に体に入り込むことが多くありますが、精神的なインパクトある体験やショックでも起こります。
実際、この後から検査とその反応がスルスルと進み、肺炎や胸水や息苦しさを生んでいた、肺の数箇所に転移していた癌細胞が次々と姿を消し始めたのです。
オマケに、それまで効かなくて飲まなくなっていた、胸水のお薬(利尿剤)が効き始めたのです。
飲むと1時間ほどでトイレ通いになり、どんどん排出されると。
この胸髄に固まっていたエネルギーの塊は、薬さえ受け付けなくさせていたのでした。
ここからは、V字回復のようでした。
1ヶ月ほどは順調に回復しているように見えました。
実際に呼吸が楽になり、背中の重いものが取れて、気力が復活していました。
まだ波はあっても、どんどん歩けるようになったりしていました。
それでも私には、まだ何らかの抵抗があるのを感じていたのです。
肺癌はほぼ姿を消したように見える。けれども、原発の乳癌は枯れて来ない。
おかしい!
そこでもう一度、疾病利得をやるタイミングがやってきました。
右胸の癌細胞が無くならない原因を追求したら、そこでもう一度メンタルが出てきたのでした。
0歳の記憶で、今度はお父さんでした。
お父さん大好き!お父さんに愛されたい!
そんな愛おしい可愛らしい記憶が、なんで癌に結びつくの?と辿ったら
「痩せて小さくなったら、もう一度お父さんに赤ちゃんのように愛される」
という想念でした。
現に今、癌による悪疫質によって、骨と皮ばかりに痩せてしまっていますから。
そうして、胸髄7番に微細骨折30か所、傷44か所が出て、そこに細菌が入り込んでいました。
胸髄6、7、8には、前のとは別のエネルギーの塊が張り付いていたんです。
さて、これがつい先週の土曜日のことでした。
ここからが楽しみでありますが、正念場とも言えますね。
何らかの結果が出るようなら、また記事にしようと思います。