ノートの隅のメモ。
6年生たちのノートを見ると、
私から習ってきた子たちなんだな、
というDNAを感じる瞬間が
多く見られます。
例えば、タイトルのような、
ノート隅のメモ。
わたしは指導時に大切なことは、
必ず2〜3回は言います。
印象付けるため、というのもありますが、
なにより、メモの時間を
稼いでやるためです。
早い子は1回でメモをし、
(強調を一発で見抜いています)
2回目できちんとメモを
完了する子もおり、
メモを残さない子もいます。
メモが大切なのではありません。
何が大切なのか要点が分かって
やるのと、闇雲にメモをするのは
違うからです。
ただ、本当にメモを役立てられる
次元にある子は、中学以降もよく
自立をします。
今中学で上位層にいる子は多いですが、
すぐ反応する、聞きながら
解釈する、忘れないように
要点をメモしておいて、
参考にする、といった一連の動きが
とても優れています。
ボーッとして聞き逃すことが
一ミリもなく、聞かなくていい
タイミングではきちんと
抜くことができる緩急を
持っています。
集中力がある子、というのは、
適度に集中のスイッチを
解除できる子です。
たとえば、小学生に6時間とか
ぶっ通しで勉強させられるか?
これは、可能なことです。
では、6時間ずっと集中できるか?
していませんよ。集中というのは、
断続的なものです。
むしろ、切れない方がおかしい。
私もつとめて、
授業には呼吸を作ります。
絶対押さえるべきことを
説明する時、様々な解法の
展開性を見せて遊ぶ時、
一見関係ない雑談を含めながら
具体性を高める時、など。
聞き逃してはいけないこと。
役に立つことをかいつまんで
自分のものにして欲しいこと。
余計なエピソード記憶を挟んで
記憶を強化していくところ。
授業自体には無駄は作りません。
しかし、学習には大いに無駄が
必要になることの方が多い。
余計なことを考えたり、調べたり、
間違ったり、それについて考えたり、
読み直してみたり、それでも
分からなかったことを寝る前に
ぼーっと考え直してみたり。
結局、考えた時間、向き合った時間が
全てであり、そこに効率も何もない。
やっぱりやればやるだけ伸びるし、
やればやるだけ深まるし、
やればやるだけ、好きになる。
メモの話に戻りますが、
メモは、印象的だった記憶と、
理解をつなぐ道具だと
考えていいでしょう。
家庭と塾とを繋ぐ架け橋。
いわば、私の言葉が彼ら彼女らと
つながり続けるための
道具なのだと思います。
それは、中学高校に進学しても
一切変わりません。
弘学館、附属、致遠館に
進学した子は特にですが、
豊かに先生方が指導するので、
生徒の資料やノートによく
先生の言葉がメモとして
残されているのをよく見ます。
私の中で、私の教えてきたことの
大切さを噛み締めながら学べる
受験校はこの3校かな、と。
公立にもいい学校はあります。
公立を勧める時は、安心して
進まれて構いません。
まあなんにしても、
私のDNAが染み付ききった
完全な学習者となった子は
弘学館に行くべきでしょう。
一択かなと思います、県内では。
指標は、模試で9割付近が
とれるようになった子です。
この近辺までとれれば、
うちを経て弘学館へいけば
学年10位近辺か以内を
維持できています。
そして今は、私も安心して
お任せできる唯一の学校です。
数年前とはかなり変わりました。
今から志望校選びに思案する
時期に差し掛かりますね。
面談もかなり時期的に多く、
お待たせしてしまっている
ご家庭もありますが、
その間、お子さんともしっかり
話し合いながら、
人生一度の選択を
楽しまれてくださいね。