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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

世界大戦へ25-シュリーフェンプラン

2023.10.04 11:11

サラエボ事件でオーストリア帝国では好戦論が強まった。セルビアを討ち、バルカンを安定させる絶好のチャンスだというのである。皮肉にも故フランツ・フェルディナンドはセルビアとの戦争には反対だった。しかし問題はロシアの介入だった、そのためドイツ皇帝にお伺いを立てた。

なんと大使に面会した皇帝ウィルヘルム2世は「ドイツの支援をあてにしてよく、ロシアと戦争になった場合ドイツも参戦する」と約束したという、これが後世有名な「白紙委任状」というヤツである。そしてセルビアへの行動は「遅延すべからず」とも言ったそうだ。

実はドイツは戦争計画をすでに作成していた、それが有名な「シュリーフェンプラン」である。これはフランス、ロシアとの二正面作戦を前提として、まずベルギーを通過して背後からフランスを叩き、その後ロシアと対峙するという作戦だった、戦争するならロシアもフランスも準備できてない早期が良い。

普仏戦争を勝利させたモロトケの甥(小モロトケ)は、ドイツ包囲網にあきあきして戦いで打ち破ろうと考えていた。このドイツの回答を得て、墺帝国ではセルビアが飲めない要求をすることになった。軍部からセルビア民族主義者を追放し、民族主義団体を解散させ、ベオグラードに墺帝国の監視機関を置くことだった。