「ふらつき」の基点(や)
エープリルフールに「沼」が始まって、はや6ヶ月目(ということは6回目)。31歳の誕生日も前にして、それよりも、正直、遅れに遅れている翻訳のことばかりが焦りとして、あらゆる瞬間、すべての呼吸のたびに頭に浮かんで、ああ、どうしよう、と思う。けれども、訳しているあいだ、イメージとして腹に喰らった総体が、日本語として出口を探し出したとき、そして、感触的イメージから直接に脳内シナプスにつながる言葉が、私だけでなく他人も通行できるやや幅広い橋として敷設できたんじゃないかと思えるときに、それは、私にしか見つけ出せないことであるし、その瞬間のためであったら、全てを賭けてもいいと思える。それは翻訳だけではなくて、何も考え始めずに文章を書き出す全ての瞬間にも通じることだけれど。
(ところで台湾の青年が話してくれたことによると、台湾では、死後にわたるのは「三途の川」ではなく「橋」であるらしい。)
センチメンタルな前置きはここまで。
今までの5回、結果として海外のことばかり書いてしまったけれど、私は、旅とは言えないちょっとした「ふらつき」が好きである。
例えば、いま私が住んでいる路地のそばには、駅もスーパーもないけれど、どこまでも一軒家が広がり、たくさんの猫がいて、インドで「猫の目を持つ」と恐れられた私も、たまに猫たちと一緒に、都電の踏切を渡る。そして、住宅街の中にポツンと、ニューヨーク帰りで白シャツを着こなすクールな店長のいる小さなカフェもある。値段はチェーン店よりは少し高いけれど、お雑煮が入りそうな本当に大きなカップに、こだわりのコーヒーをなみなみと注いでくれて、真っ白な壁に囲まれながら読書をするのが、とても好き。(しばらく行っていないけれど、好きな場所!)
会社終わりには、画材屋さんに寄って、いつか誰かにあげるかもしれない小さな素敵なものを購入し、綺麗にラッピングしてもらってカバンに忍ばせたり、ライトアップした噴水の前に腰掛けながらアイスクリームを舐めたりする。読みたい本を抱えて喫茶店に寄ることもあるし、空いた時間に、年間パスポートを片手に近代美術館の常設展をぶらつくのもすごく好き。
そして、自分の家があるから、私は心置きなく「ふらふら」とできるのである。上京してから5回引っ越したので、今の家が6軒目。ここも、もうすぐ更新の時期を迎える。
大学院生の頃に住んだ、前の前の家(4軒目)は「S荘」という築50年ぐらいの木造アパートの一階で、家賃は月4万円だった。なぜか石垣のような玄関の階段を数段のぼり、ベニヤの壁と床の間からは地面が見え、夏にはヒョロヒョロと緑の草が生えてきたり、気がつくとアリが手足を這っていたこともある。さらに、この物件の特徴は、風呂トイレ別、だけれども同じ空間にあるということで、つまり、タイル敷きのトイレの細長い空間の反対側に、ドーンと四隅をラバーブロックに支えられた風呂桶が置いてあって、蛇口が台所の給湯器に繋がっていたのだ。
それでもこのお家がとても好きだったのは、一つにはケーブルテレビが見放題で、大好きな「シンプソンズ」や海外ドラマはもちろん、映画は毎日最低3本はみていた。そしてもう一つの理由は、ご近所さんの存在である。家の前の路地には、まるで「レレレのおじさん」のようによく道路を掃除してくださっているダンディーなおじさまがいて、挨拶をきっかけに、その人が参加している公民館の英会話教室にさえお邪魔した。できれば就職してもそのまま住み続けたかったけれど、1時間を超える通勤時間は、寝坊常習犯の私にとってかなりのリスクだったのだ。 残念ながら「S荘」はその後取り壊されたようで、今は真新しいアパートになっている(Googleマップ調べ)。
それから引っ越した前の家は、6畳ワンルームで日当たりが良く、真向かいにある小学校の毎朝の校内放送を聞きながら、冷蔵庫の上に立てかけた鏡に向かって立って化粧をした。この家にいた頃は、壁をたくさん飾り付けて、本当におもちゃ箱のような空間で、今でもたまに懐かしくなる。
でも、自分が住む家には、自分が選んだものがひしめいていて、全てに文脈があるのが心地よいし、親しみがある一方で、全てのつながりから逃れたくなるときがある。だから、私はよく家出をする。私と、私が選んだものと、ルンバがいるあの家から、ヒョイと抜け出す。そこでは、私の経歴とか、属性とか、関係などが問題にされない。1時間もせずに戻ることもあれば、夜を越すこともある。それを旅と呼びたいのならば、私は喜んで旅と言いましょう。
……と、偉そうなことを言っている割りに、飲んで記憶を無くしても、必ず家にたどり着いてしまう私である。<家と、そうではない場所>じゃなくて、家が複数あればいいなと思う。小さいとき、友人の家、他人の家に行くと、それぞれのにおいが気になって仕方なかった。今は、その嗅覚も衰えたようで、違いはよくわからない。ああ、家がもうひとつ欲しい。